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スケッチ

今回の短編は、普段からスケッチをよくする知り合いと、メッセージのやり取りしていて思いついたフィクションです。

良ければ一読ください。
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 絵を描くならスケッチをする。
 カズは絵を描くとき念入りにスケッチをする。
 クロッキーで物の輪郭を、鉛筆でその細部を描く。

 美和はスケッチをするカズを近くで見ているのがお気に入りだった。
 その日もカズの部屋で、カズが輪郭をクロッキーでなぞっている時、彼女はその手の動きを近くで感じていたかった。
「今日は何を描くの?」と美和は聞いた。
「今日は君のサーバーを描いてみるよ」とカズは言った。
 カズは相手の知っている言葉の、新しい使い方を見つけるのが好きだった。
「また私を茶化してるのね」と美和は言った。
 美和はカズの集中を少し邪魔しようと思った。
 あるいは、カズの集中力を少し分けてもらおうと思ったのかもしれない。
「茶化していないよ。
 今日は本当に君の家にあるパソコンを描くんだ」とカズは言った。
「私はカズの集中力が憧れなの」と美和は言った。

 カズはそれには取り合わなかった。
 静かに自分の作業に入っていこうとしていた。

「斜め上から、斜め下...
 水平の線が4つ...
 君がいつも座っている位置からは見えない角には実は丸みがあるんだ」
 カズは描く輪郭について独りごとを言った。

 黙って自分の作業をする美和も、カズの声が大きくなってくると次第に不機嫌になってくる。
「何よ。
 私に言ってるの?」と美和はカズに向かって言った。

 カズはイヤホンをしていた。
 でも、美和の文句に反応して、独りごとを止めた。

「ごめん...」と彼は言った。

 美和は何も言わずに作業を続けた。
 30分くらいだろうか、美和とカズは自分の作業に集中した。
 美和はプログラマーだった。
 カズが絵を描く横で、彼女は一人で黙々とプログラムを組んだ。
 美和がその時作っていたのは、ライブチャットというやつだった。

「1秒の時差もなく、自分の言葉を相手に伝えるのは苦労するのかい?」とカズは美和に尋ねた。
 カズは先に集中力を使い切って、美和に質問し始める。
 美和の作業に興味を持ったのだ。

「ライブチャットは1秒の勝負じゃないわ。
 その前にゼロが3つは付くわよ」と美和は答えた。
「3つもか。
 それは大変そうだね」とカズは言った。
「興味もないのに質問しないで」と美和は少し不機嫌になって言った。
「興味はあるさ。
 ただ、イメージができないんだ。
 僕はスケッチをしていても、そんなぎりぎりの作業はないからね」
「ギリギリ?」と美和はいよいよ我慢できずにカズの方を向いた。
「1秒くらいが関の山さ」とカズは言った。
「じゃあ、なんであんなに精細なスケッチができるの?
 私を混乱させないで」と美和は言った。

 カズはその美和が混乱している様子をイメージしようとした。
「つまり、僕が君の作業を邪魔しているのかな?」
「違うわ。
 自分の作業は終わったんでしょう。
 もう少しゆっくりしてて」と美和は言った。

 カズはさっきから自分のスケッチを眺めていた。
 作業自体は終わっていなかった。
 まだ輪郭がぼんやりとし過ぎていたし、細部はカズの思うレベルまで達していなかった。
「実は、まだなんだ」とカズは言った。
「じゃあ、続きをしましょう」と言って、美和は自分のモニターに視線を戻した。
 作業の続きがまだまだあるのだ。
 美和はそう思った。

 カズはもう少し美和の作業の状況を確認したかった。
 でも、それ以上何も言わなかった。
 カズは黙って自分のスケッチの細部を描き込むことにした。

 また30分が過ぎた。
「そろそろ、お昼休憩にする?」
「いいね。
 僕はドーナツが食べたい」
「ドーナツはいらないけど、チョコレートクッキーなら食べたいわ」
「それでもいいかもしれない」
「じゃあ、チョコレートクッキーを買ってくる」と美和は言って、部屋から出て行った。

 カズは部屋に一人残された途端、持っていた携帯の画面に文字を打ち込んだ。

- 美和、やっぱりドーナツもお願いします

 すぐに返信が来た。

- いらないと思う

 カズは少し混乱した。
 だけど、カズも物分かりは良い方だった。

- わかった

 カズはスケッチと携帯の画面を交互に眺めた。
 美和のサーバーに映る緑色の文字だけが、異様に光を放っていた。

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