スウェーデンという経験(最終話)
本稿は大学生時代の留学経験を基に書いたフィクションです。
最終話は、スウェーデンという経験について...
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タツロウを待っている間、もう一度、渡された原稿を読み返していた。
最後の数行以外はちゃんと読める。
【この話で「僕」は、スウェーデンで「彼女**暖炉を囲んでいた時と、彼女と再会した時で根元的には同じ*を抱えてい**。】の「彼女」の後の二文字はいったい何だろう。
「根源的には同じ」の後も気になる。
【それは「僕」がいくつも経験したであろう幸福とは別の問題なのだ。幸福とは**であると思う。僕が「幸福で人は救われない」と言ったのもそのためだ。】
幸福とは...。そんなことをまた考えていると、彼が帰ってきた。
彼はトイレから戻って来ると、出し向けに『コミュニケーション能力ってのが身についた。留学へ行く前より、同年代の人間と、より深く意思疎通、情報交換ができるようになった気がした。』と言って、ガタンと大きな音を鳴らして、椅子に座った。
『同じ「外国人」という立場で北欧に住み、時間を共有した友人のおかげで、遠回りした気がするけど、何か自分の中で一貫して大事にしたいモノが見つかった気がしたんだ。
私にとってそれは取り除こうとしても取り除けない人種や文化の違いを踏まえたうえでの、人と人との関係であったり、共感であったり、文化の理解があった。
やっておけば良かったと後悔していることより、経験して良かったと思えることのほうが多い日々だった。
留学によって得られたのはモノは、新しい環境に対応できる力、コミュニケーション能力だった。
英語力が上がった。
しかし、英語が「話せる」ようになったという喜びほとんど感じたことがないんだ。』と彼は言た後、ふぅとため息をついた。
『それによって多くの人と出会い、今こうして大儲けしてるんじゃないですか』と僕は言った。
『人と語り合える喜びは何にも代えがたい、でも世界に目を向けて、自分の未来の可能性を大きく広げていこうなんて思うことはなかった。
バックグラウンドの違う人と出会い交流することで自分が求めている人生のヒントが見つかった。それは認めるよ。
でも、留学生活を振り返り、そのヒントを一つ一つ吟味するには、正直まだまだ時間が要る。
留学に行く前の日本で暮らしていたころの自分を振り返り、自分がどのように変わってきたのか顧みたとき、留学生活が「良い、悪い」の枠に収まらない大きな変化を与えてくれたことは実感として強くあるが...。』と彼は言い切って、自分の時計をチラッと見てから、僕の方に向き直った。
『君と話ができて良かった。自分でも、少し頭の整理ができた気がするよ。』と彼は言った。
僕は少しがっかりした。
これでスウェーデンの話は終わりみたいだ。
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