ルッキズムも、学歴偏重も、コミュ力強者も、同じ穴のムジナ(の拝金主義者)

◼️Yeah!めっちゃ既視感

今、世の中は、
ルッキズムに対抗しようと
躍起になっている(ように見える)。

人間、見た目じゃないよ、
中身だよ。

と。

非常に強い既視感を感じる。

💡

「人生、お金じゃないよ」

という、
拝金主義へのカウンターを
連想させるのだ。

そして、
そのカウンターの破壊力も。


◼️貴方は、何主義?

貴方は、人という存在を評価する上で、
何を最も重視するタイプだろうか。

人間、第一印象が大事。
やっぱ見た目でしょ。
外見至上主義(ルッキズム)?

人間、見た目じゃないよ、
中身だよ。
学歴偏重主義

大事なのは中身だけど、
人間、学歴だけじゃないでしょ。
言語コミュニケーション能力主義

貴方が何主義であっても、
貴方が何に価値を見出だそうが、
それはすべて、貴方の自由だ。

他者がそれを否定・非難し、
その見解の訂正を促すことは不当である。


◼️三主義は独立分立、相互無干渉

・外見至上主義(ルッキズム)
・学歴偏重主義(学歴)
・言語コミュニケーション能力主義
  (コミュ力)

それぞれの優先順位は、
各個人の価値観に拠るものであり、
客観的で絶対的な序列は、ない。

さらに、
それぞれが独立した価値体系を持ち、
互いに対立はしない。

それぞれを語る上で、
どれかを肯定(否定)することが、
他のどれかを否定(肯定)することには
決して繋がらないのだ。

例:
ルッキズムを肯定することは、
学歴、コミュ力の否定ではない。


◼️美の追及は、人間の本質

必要以上の興味や関心が、
世間から無駄認定される労力が、
社会のあらゆる分野における
進歩・発展の糸口となる。

にも関わらず、
なぜ、際限なく求めるものが、
学歴やコミュ力の場合は〈〉で、
ルッキズムの場合は〈〉になるのか。

過剰なルッキズムの追及は、
過剰な学歴やコミュ力の追及より、
大きな弊害を生む。
そう考える根拠は一体何だろう。


◼️ルッキズム批判は行き詰まる

良識ある大人の世界であっても、
拝金主義が根強い人気を誇り、
圧倒的な存在感を示す。

その拝金主義とは、
「金」に直結する
学歴偏重主義(学歴)
外見至上主義(ルッキズム)
主な根幹を成し、

利害関係を調整し、連携を促すことで、
「金」を間接的に生み出す
言語コミュニケーション能力主義
(コミュ力)
を経由する。

つまり、
拝金主義を肯定しながら、
学歴、ルッキズム、コミュ力を
否定することは矛盾する。


◼️ルッキズム教祖を問う

ルッキズム信者を非難する眼差しは、
拝金主義全開の情報に釘付けだ。

そもそも、ルッキズム信仰を
造り出しているのは我々大人であり、
それは拝金信仰に端を発している。

ルッキズム信者(若者)を問題視し、
説教を垂れるのはお門違いだ。

ルッキズム信仰の是非を問うべき
本当の相手とは、
拝金主義を盲信する
我々大人なのである。


◼️ルッキズムのみ否定する世界

「人生、お金じゃないよ」
という言葉に、

そうあるのが理想だけど、
現実は違うんだよ…。

大多数の大人は、こう返すだろう。


「人間、見た目じゃないよ、中身だよ」
という大多数の大人の声に、

そうあるのが理想だけど、
現実は違うんだよ…。


そう答える若者に、
反論する言葉も思考も、
私には、ない。


ルッキズムを堂々と批判する人々に、
学歴とコミュ力の偏重には無関心な大人に、
拝金主義に全幅の信仰をよせる世間に、
私は、ただただ脱帽するのみである。


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