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rivise 〜美しき少年 カイリの場合〜【短編小説】

※BLです。性的な描写もあります。あと、長いです(笑)

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「僕に父親はいない」

小学校の高学年くらいからだっただろうか。父について聞かれると、小高光(コダカヒカル)はそう答えるようになった。

生物学上の父親は無論存在する。単純に、その存在を認めたくないだけだ。そして、物理的には既に存在しない。光が小学校に入学した年に離婚をして、その翌年にあっさり死んだ。薬物の過剰接種が原因だった。

母の朱莉(アカリ)はヘアメイクの仕事をしていて家を開ける事が多かった。当時は芸能事務所の専属で、担当するタレントに合わせてあちこち飛び回っていたようだ。逆に父の黒亜(クロア)は仕事をするわけでもなく、朱莉が稼いだお金で朝からパチスロや麻雀に興じ、夜になると飲みに行く。だから、光は物心がついた頃には1人で過ごすことも多かった。黒亜はたまに家で朱莉と会うと「お前のせいだからな」と言って髪の毛を掴んで引きずり回したり、殴ったり蹴ったりしていた。光には「お前のせい」がどういう意味なのかも、朱莉が「ごめんね」と謝っている姿も理解出来なかった。どう見ても、悪いのは父で、母は何も悪くなかったのだから。光が「やめて」と何度言っても黒亜の気が済むまで終わることはなかった。

それでも黒亜は決して光を殴ることはせず、家に居付かないとは言え食べる物は用意されていたし、幾らかのお金を置いて出て行った。父としての愛情を感じることは無かったが、光を虐げることは全くしなかった。

光が中学生になった時、朱莉が父の事をいろいろと話してくれた。
「アタシの一目惚れだったの。仕事の関係でホストクラブに連れて行かれて、そこで出会っちゃって。仕事でヘアメイクやってるからイケメンは見慣れてるし、そういうお店に興味なんてなかったんだけどね。本当に運命狂わされちゃったわよ」
その話をした時の朱莉の表情は、淋しそうでも嬉しそうでもあった。
「隣の席に座られて、すぐにアタシ『この人の子供を生まなきゃ』って思っちゃったのね。付き合いたいとか結婚したいとかじゃなくて、もっと本能的に。動物の雌としてって言うか…。光にもその内わかるわ。たぶんね」
大人になっても光には理解出来ていない。
「その日からアタシ、お店に何度も通って連絡先を聞いて、なんとかして彼を自分の物にしようとしたの。それなりに人気があったから、とっても大変だったけど、最後は彼が根負けしてくれて、結婚してくれた。もう、お腹の中にはアナタが…、光がいたから」
あれだけ暴力を振るわれていたはずなのに、その話をする母に、悲壮感は無い。懐かしい、美しい思い出を語るようで、そんな朱莉を光は心の奥底で軽蔑した。
「光はね、本当に彼に似て美しいの。それで、アタシのことは殴っても良いけど光は殴らないでって、そうお願いした。彼も光が自分にそっくりなのは嬉しかったみたい。だから、アナタのことは愛してたんだと思うの。生きがいだった仕事をアタシが奪っちゃったから、殴られても仕方ないって思ってたから、我慢出来たわ。薬物も、たぶんアタシのせいなんだって。最期…、棺桶の中でも、やっぱり彼は美しかったわよ」
そんなこと全く、愛なんて感じたこともないし、聞きたくもなかった。歪んでいるのが母の方だったことを理解して、光はその時から、母には伝わらないようにして、心を閉ざした。

光は美しい少年だった。父の黒亜はロシア人の母を持つハーフで、肌は白く、緩めのパーマと金髪は天然素材。朱莉もまた美しく、道を歩いていれば、必ずと言って良いほど男が振り向く。光はそれぞれの優れた素材を受け継ぐと共に、母の持つ美しさを追求する心も受け継いでいた。

父が他界した年、朱莉が「アナタは強くなりなさい」と言って、光を空手の道場に通わせるようになった。

元々運動能力が高く、背は高いし手足も長い。光が頭角を現すのにそれほど時間は掛からなかった。入門して3年目の小学5年生の時に、初めて全国大会に出場し、ベスト8まで行った。6年生で前年に負けた相手にリベンジして、ベスト4まで行った。結局優勝までは行けなかったけれど、光は容姿の美しさもあって一部で注目を集め、雑誌やテレビの取材が来ることもあった。本人は嫌で嫌で仕方が無かったが、道場が勝手に受けてしまうし、その当時は好きだった母も喜んでくれるから、渋々対応していた。

しかし、光の興味は既に、強くなることとは別のところにあった。ごつごつとして猛々しい、逞しく強い男性への憧れ。そしてそれは、性的な意味合いも持つものだった。強くなればなるほど、自分より逞しい年上の男たちを練習相手にさせてもらえる。練習後に一緒に銭湯に行けば、鍛え上げられた裸体を見ることも出来た。光の容姿の美しさは男性からも好まれ、冗談ながら、体を触れられることも多かった。いつしかそれは興奮を伴い、人知れず勃起をするようになっていた。

学校では男女のどちらからも好かれた。低学年の頃はハーフいじめに近いような揶揄われ方もしたが、空手を始めて以降、強さが噂になる頃には光を揶揄う人間は誰もいなくなった。勉強はからっきしだったが、小学生くらいの内は容姿が良くてスポーツが出来れば、女子はそれだけでモテ囃してくれるものだ。光も卒業するまでに数名の女子から告白されたが、当然のことながら一切興味はなくて、「ありがとう」とだけ伝えた。
男子にとっては正義のヒーローのような存在でもあった。弱い者をいじめる奴らは光には忌むべき者だから、そういう状況を目にすると、自然に声を掛けに行く。いじめの対象にされそうな子と仲良くするのだ。誰も光を敵に回したくないから、恥ずかしそうにその場から離れる。気弱な男子グループは光のことを、陰では『ガーディアン』と呼んでいた。

中学生になっても光のスタンスは変わらなかった。弱い者いじめをする者には与せず、誰とでも平等な関わり方をしていた。特殊な家庭環境もあり、感情を表に出すことは苦手だったが、そのクールさは余計に光の美しさを際立たせた。女子に性欲を感じることは無かったから、性的な感情を出さずに誰とでも話す。そこで笑顔など見せられたら、ほとんどの女子は大なり小なり好感を持った。光自身はその頃には、自分の性欲の対象が男性であることをわかっていたが、その中でも年上にしか興味が無かったから、学校でそれを気づかれるようなことはない。しかしながら、光も思春期の男子である。自分という存在の異物感に悩み、心を痛める時間が少しずつ多くなっていく。そのやり場の無い鬱屈した感情を癒やしてくれたのが、ロックミュージックとの出会いだった。

きっかけは朱莉と黒亜が揃って好きだった、Sex Pistols。それまで能動的に音楽を聴くこともあまり無かったが、家にあったCDのジャケットデザインに魅かれ、プレーヤーに入れてみた。

衝撃だった。

甲高いダミ声の男が、歌うと言うより喚いているようで、演奏もなんだか酷く汚らしい。しかしそれは、しっかりと音楽として鳴っていて、傷ついた心に、何かを訴え掛けて来る。それから光は、対訳付きの歌詞カードを目で追いながら何度もリピート再生した。ピストルズが既に解散したバンドだと知って残念な気持ちにはなったが、光はそれからロックやパンクといったジャンルの音楽を貪るように聴くようになった。

ライブはオールスタンディング以外興味が無かった。激しい音楽に癒しと解放を感じながら、熱狂する観客のモッシュに溺れる。その瞬間、自分は何者でも無い。ただの人間だ。注目されるでもなく、好奇に晒されることもない。朱莉は黒亜の死をきっかけにフリーランスになったが、収入は以前より増え、光も自由にライブに行かせてもらえた。ライブハウスは光を本来の、何者でも無い自分でいさせてくれる、唯一の空間となった。

空手は変わらず続けていたが、中1の時の大会はまたベスト4止まり。空手を始めて以来、初めて悔しくて涙を流した。いつもは試合中も冷静な光だが、準決勝の相手の圧力に怯み、心で負けてしまったことがショックだった。
「お前はよく頑張ったよ。相手、優勝しただろう。彼は圧倒的だった」
泣いている光に声を掛けてくれたのは、師範の小林だった。

小林は段位五段の師範であり、光が通う道場では最も強い男だ。猛々しさと凛とした佇まいを併せ持つ、光の憧れの存在だった。
「お前はまだ強くなれる」と言って、ハグをしてくれた。包まれた瞬間に、他の男性とは異質な何かを感じた。それが何なのか、光にはなんとなくわかっていた。
「一緒に飯食って帰ろうか」
他の仲間たちと分かれた後、小林の家で夕食を取ることなった。

小林は結婚しておらず、一人暮らしだった。小林もまた、女性を愛することは無かったのだ。
家に着くと「とりあえずシャワー浴びて、汗を流そう」と小林が言った。光は言われるまま、小林と一緒にシャワーを浴びた。
光の体を小林が洗う。違和感を感じさせずに。
「筋肉のバランスは良いし、関節も柔らかい。お前の体は芸術品だな」
実際、光は顔だけでなく、体も美しかった。白い肌に、彫刻のように綺麗なカットの筋肉。体毛は色素が薄く、量も少ない。
その体を、感触を確かめながら丁寧に洗う。そして流れのまま、既に硬く勃起しているペニスを、ゴツゴツとした大きな手で、優しく包み込んだ。光は抵抗することなく、心も体も委ねていた。包んだ手に少しだけ力が入り、その手を数回前後させた。我慢出来ず、「あぁっ」という声と共に、光は射精した。若々しい、激しい射精だった。それはとても快楽的であり、喜びがあり、しかし、罪悪感と喪失感を伴うものだった。気を抜くと、一気に心が瓦解しそうだった。
「自分を偽るんじゃない」と小林が静かに言った。その言葉で光は崩れ掛けた心を、ギリギリのところで保つことが出来た。これが本来の自分の姿なのだと、受け入れた瞬間だった。

それから光は強くなった。ロックとの出会いで解放の場を得て、小林によって自然体の自分でいられるようになった。心に一切の乱れがなくなったのだ。

中3の全国大会で優勝を勝ち取った。それから空手をやめるまでの間、同世代に負けることは無かった。小林は空手の指導だけでなく、心のケアと、男同士の交わり方もレクチャーした。小林の家に泊まることも増えたが、母がいない日を選んでいたし、都度確認されることもないから、バレることは無かった。光は心の何処かで、この関係がずっと続くことは無いと感じていた。

高校でも光は誰からも好かれ、何人かの女子から告白を受けた。3年生の時、男子からも告白をされた。それは初めての経験で、好奇心が芽生え、心が揺らいだ。堀田という勘の良い男子で、光が同族であることを、入学してすぐに見抜いていた。小林との関係もあったからその時は断ったが、光は自分の変化を感じていた。もっと多くの男を知りたいという純粋な欲求が、段々と強くなっていたのだ。
「残念だな。君はタチだろ?僕はリバだから、上手く行くと思ったんだけどな」
堀田が言った。光もその意味は理解していて、だからこそ、揺れた。

堀田のルックスは浅黒い肌に、強めの天然パーマの頭髪。背は低く、黒縁の眼鏡を掛けている。お世辞にもカッコ良いとは言えない風貌だ。しかし、独特な雰囲気と飄々とした話し方に、光は魅かれる何かを感じていた。

「光君、入学した時から感じてはいたけど、どんどんその“香り”が強くなってきて、間違いないなって思ったんだよね」
堀田が言うには、同じ属性の“香り”があるということだった。その光の“香り”は、小林によって磨かれたものだ。
「興味があるなら、このお店に行ってみると良いよ」
と言って、名刺を渡された。名刺には『rivise』という店名と、新宿の店舗周辺の地図が描かれていた。
「君はそこに行くべきだと、僕は思う」
光の太腿を軽く撫で、「本当に残念だなぁ」と呟き、堀田は去って行った。

そこに行けば後戻りは出来ないだろうと、光は感じていた。それでも、堀田の言葉には嘘偽りの無い、預言のようなものを感じていた。

その日の夜、仕事から帰宅した朱莉に、自分が女性を愛することが出来ないことを、告白した。
「バカにしてんの、アンタ」
冷めた目で、朱莉が言った。
「知らないわけないじゃない。普通の男が思春期頃から感じさせる雰囲気を、光からは一切感じない。そのルックスだもん、自分の子どもだけど、モテないわけがないのにって。なのに浮いた話どころか、女の子の話が一切出ないんだもの。こっちは罪悪感しかないわよ」
光は朱莉に対して心を閉ざしていたから、ある時期からは、本音では話していない。それでも朱莉には見抜かれていたし、何より罪悪感という言葉が、光の心に重く響いた。そんな感情が、母にもあったのかと。
「美しい男に育ってほしいとは思っていたし、その為に黒亜を選んだわ。でも、あくまで男として美しくってことよ。それがさ、まさかゲイだなんてね。バケモノみたいなものじゃない」
「えっ」
光は耳を疑った。
「せっかく自分の人生台無しにしてまでもらった黒亜の精子なのに…、アンタなんて子ども作ることも出来ないじゃないの。何の為に男として生まれたんだかわからない。そんな存在に意味なんてないわよ。本当、黒亜に申し訳ない」
これ以上ない、明確な存在否定だった。罪悪感は父に向けられたもので、光がそのように育ってしまったことに対しては、むしろ被害者のように感じているようだった。
「高校を卒業したら、ウチを出て行きなさい。そして二度と、私の前に現れないで」
軽蔑し、心の繋がりは否定していた光だったが、唯一の肉親からこれほどハッキリと存在そのものを否定されるとは思いもしなかった。
「わかったよ」
それだけ言って、光は自室に戻った。涙は出なかった。それは、一人で生きて行く覚悟が決まったから。
「ごめんね。アナタの為なのよ」
光が去った部屋で、朱莉は一人涙を拭い、呟いた。

高校を卒業した翌朝、朱莉には何も告げずに光は家を出た。空手も辞め、全ての連絡を絶った。そして向かったのは、新宿2丁目。

『rivise』は雑居ビルの地下に有った。階段の横にはカジュアルな照明看板が置いてあり、一般的なバーと変わらない雰囲気。オープンは夕方5時からだから、午前中の今は店内は消灯しており、ドアも閉まっていた。新宿2丁目の独特な空気に気圧されていた光は、出直しも考えたが、覚悟を決めて、閉まっていたドアをノックした。
「はーい」
聞こえて来たのは、気の抜けた男の声。
「今開けるね」
声は男性だが、柔らかいイントネーションは女性っぽくもある。
ドアが開いた。そこに立っていたのは、スマートで筋肉質な、茶髪のイケメンだ。
「君、あれでしょ。光君だっけ?堀ちゃんから聞いてるよ。その内来ると思うって」
堀ちゃんとは、高校の同級生、堀田のこと。
「はい」と返事をすると、店内に案内された。
「今日はお店休みなんだけど、誰か来そうな気がしてたの。予感当たったなぁ。あ、自己紹介して無かったね。僕はタケル。ここのマスター」
思っていたイメージと違う。テレビで観るような所謂オネエでは無く、言うならば、ただのマッチョなイケメンだ。
「思ってたのと違うって思ってるでしょ」
そう言ってタケルが笑った。
「ゲイってひと言で言っても、いろいろな趣向に分かれるんだ。ウチにはオネエはいないし、オネエ目当てのお客さんも来ないよ」
タケルは境界線を作らずに話し、屈託のない笑顔を見せてくれる。まだ何も話していないのに、光は既に心を許していた。
「堀田君から聞いて、お話したくて来ました」
生い立ちから今朝家を出るまでのことを、包み隠すことなくタケルに話した。
「そっかぁ」と言いながら光の頭を撫で、そして優しくハグをした。包み込まれる中で解放されるような、不思議な感覚。そしてそのままキスをされた。
「こっちおいで」と言って手を引かれ、ソファに座らされた。そして、タケルが上着を脱ぎ、タンクトップも脱ぎ捨てた。鍛え上げられた胸には、縫った痕があった。
「僕はね、小さい頃に心臓の手術をしたんだ」
タケルが横に座り、話し始めた。
「手術は上手く行ったんだけど、君と同じで気づいたら男の子が好きになっててさ。高校生の時にお母さんに話したら、すごいショックな顔をされて、それから精神科に通うようになっちゃったんだ。鬱病でね」
瞳が少し、潤んでいる。
「結局良くならなくて、僕が大学生の時に自殺しちゃったんだ。僕のせいで。せっかく一命を取り止めた息子がゲイなんだもん。そりゃあショックだよね。だから僕が早く家を出るべきだったんだけど、その覚悟も無かったんだ。お父さんは僕がゲイなのは今も知らない。だけど、もう話せないよね。お母さんが自殺した理由だって、お父さんは知らない。話したら、きっとお父さんまでおかしくなりそうで、怖くて。だから、バレないようにして、家を出たんだ」
アルバイトでお金を貯めて、それで開いたのが『rivise』なのだとタケルは言った。人生を訂正したいから、riviseなのだと。

光はタケルを抱きしめ、キスをした。そしてタケルの体を優しく指先と唇で愛撫した。特に胸の傷痕を、優しく。愛おしくて仕方がなかった。止めることが出来ず「挿れても良いですか」と聞くと、タケルが頷いて、導いた。そのまま光はタケルの中で射精した。快楽を求めるのではなく、互いを慈しむようなセックスだった。
「光君、君は明日からここで働きな。ここにはね、いろいろな悩みを抱えた人が来るんだ。僕らと同じゲイも来るし、LGBTQのあらゆる悩みを持った人たちが来る。君にはね、そういう人たちの、心の歪みを整える力がある。君の話を聞いていたら、僕は君に全てを話したくなったんだ。でも、まさか抱かれるとは思ってなかったけどね」
タケルがまた、笑っていった。
「サイコーだったよ」
裸のまま、二人は抱き合った。

住む場所は、タケルが用意してくれた。
そして、新しい名前も用意してくれた。『カイリ』。本来の自分の姿と、あまりに乖離が大きいから、カイリなのだそうだ。光はその名前を気に入り、それ以来、外でもカイリと名乗るようになった。生まれ変われたような、そんな気になれるから。

光はやはり、店でも愛された。勿論好みがあるから、光の美しい容姿を嫌厭する者もいたが、話す内に警戒心は解かれて行くのだった。必要性を感じれば、肉体的なコミュニケーションも用いて相手の心に触れることもあった。悩みを抱えて訪れた者を、笑顔に変えることが出来て、それが自分の存在を肯定することにも繋がる。光にとっては天職だったし、光目当てに来る客も少しずつ増えて行った。店の仲間も皆タケルに魅かれて働いているから、互いの存在に対しても肯定的であった。

ロックは変わらず好きだった。光が自然体でいる為に、心のバランスを保つ上で必要不可欠なものになっていた。

その日はたまたま新宿でのライブで、ずっと好きだったミクスチャーロックバンドBug-Loveのチケットが取れた。セールス的な成功を収めてからもライブハウスにこだわりを持ち、そのスタンスも硬派で好きだったが、その分発売して直ぐソールドアウトが当たり前。光も生で観られるのは初めてで興奮していた。

初めての生のBug-Loveは、聴きたかった楽曲も余すことなく演奏してくれて、大満足だった。グッズも買えるだけ買って意気揚々と帰ろうとした時、会場の側に佇む白い子兎のような女の子が目に入った。光は直ぐに、その女の子の心の歪みを悟って、声を掛けた。
「ライブ、参加してたの?」
「うん、あなたも?」
「この後って、時間あるかな」
「終電までなら大丈夫」
ほんの一瞬戸惑いを感じたが、女の子は誘いに応じて、そのまま近くのバーに入った。

光がその女の子から感じたのは、性的な歪み。いや、歪みというよりは、自分では抑制出来ないような、純粋な性への衝動だ。自分に性の対象物としての自信があり、その快楽の沼から抜けられなくなっている。自らを撒き餌とする彼女の姿に、そんな歪みを感じたのだった。

それぞれにアルコールをオーダーし、光は自身をカイリと名乗った。そしてその日のライブについて語り合い、お互いの好きなバンドのことなんかを話した。女の子は自分のことを一切語らなかったし、光も自分のことは語らなかった。ただただ音楽の話だけを終電近い時間まで話し続けた。光の目的は一つだけ。その女の子に、“その快楽の先には虚無しか残らない”ということを、会話の中で潜在的に感じさせることだった。きっと自己防衛はしっかりしているつもりだろうが、いつか危険に晒される。その前に、その沼から抜けた方が良いと気づかせたかった。

時間になり「そろそろ帰らないとね。駅まで送るよ」と光が言うと、女の子の方から「LINE、交換してくれる?」と聞いてきた。「僕、ゲイだよ。それでも良い?」と光が問い返すと、女の子は驚いて目を泳がせ、やがて表情を失った。
「良かったら今度遊びに来てよ」と言って光はriviseのカイリとしての名刺を渡し、「変更とか訂正とか、そういう意味。僕らにピッタリでしょ」と笑顔で説明し、その場を去った。

そのライブからしばらく経ったある日のこと、バー『rivise』にその女の子が訪れた。名前を『華』と名乗り、カイリを指名した。
「よく来てくれたね。怖くなかった?」
「ちょっと。でも、アナタに会って、お礼言わなきゃと思って」
華は光と出会い、自身の生き方を修正したと話した。肉体的な快楽よりも、心の繋がりの方が大切だと、今は思うと。

それ以来、華は時折店を訪れた。恋人の悠太を連れて来ることもあり、光はそれを喜んだ。
「悠太君可愛いから、手ぇ出しちゃおうかな」と光がふざけて言うと「じゃあ3人で」と華が乗っかり、「ちょっとマジで勘弁して下さい」と悠太が切ない顔でツッコむ。光と華は、顔を見合わせて爆笑した。カウンターの中では、その光を見て微笑むタケルの姿があった。

光はこの場所で、カイリとして生きることを決めた。そして、悩める者に救いの手を差し伸べ、その心の歪みを整えることが、自らの使命であると確信していた。

『rivise』は今夜も新宿2丁目で、悩める者たちの訂正の場として、日々営業中である。

おしまい

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