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ママたちのリアル #シロクマ文芸部

「文芸部だったんだって、美香の旦那さん」
祐里が言った。美香もまた、共通のママ友だ。
「T大出て、有名な進学塾で講師やってるのは知ってたけど、織 縁人って名前で小説も書いてるんだって。しかも今度の直木賞、ノミネートされるらしいの。すごくない」
興奮気味に祐里が続けた。
「ふーん」
私は気のない反応を返した。
「え、興味無いの?詠美も小説好きだし驚くかと思ってたのに」
「あっ、違う違う、美香の旦那さんなら普通に有り得るなって思って」
「あー、確かにねぇ。出来る男って感じだもんねー。羨ましい限りだわ」
「そうそう、ウチの旦那とかとは比較にならないからさ」
慌てて取り繕った。興味が有るとか無いとかそういうことではない。単純に、全部知っている話だったのだ。縁人本人から直接聞いていたのだから、知らないはずがない。

美香の夫が織 縁人であることを知ったのは、縁人が幼稚園に、子どものお迎えに来た時のことだ。

私も大学では文学部だった。一番の趣味は今でも読書。時折自分でも書いて、文学賞の公募に投稿したりしていた。結果は箸にも棒にもという感じだったけど。

ある時文芸誌を読んでいて、縁人の作品に出会った。その時は縁人が美香の夫だとは思わなかったが、何度か掲載された写真やインタビューの内容が記憶に残っていて、たまたまお迎えで見た時に、一瞬で頭の中で繋がったのだ。

塾講師や作家というよりは、美容師やアパレル関係の仕事をしていそうな、垢抜けたルックス。作家としてデビュー間も無く高い評価をされたものの、ルックス人気が逆に足を引っ張った。選考に関わる大御所作家や批評家の中に少なからず嫉妬を抱く者がいて、なかなか大きな賞を獲れずにいた。しかし時代が多様性を求める中で、縁人を推す動きは強まり、遂に今年、直木賞ノミネート作品に名を連ねたのだった。

私は縁人が縁人であることに気づいた瞬間、本能的に体が動き、声をかけた。今を逃したらきっと後悔する、そう思った。

それから不倫関係に至るまでに、それほど時間はかからなかった。お互い夫婦関係に大きな問題は無かったが、40歳を目前にして、刺激を求めていたのだろう。それでも、刺激に溺れず、互いに家庭を大事にしよう。それが私たちの交わしたルールだった。

日常の中で、夫以上に縁人を想ってしまう瞬間。いつかバレるかも知れない、ギリギリのラインをせめぎ合うスリル。それは正しく恋愛感情であり、しかしそれ以上の興奮があった。夫とする以上に、セックスに深い快楽を感じた。このまま抜け出せないかも知れないという恐怖すら、その刺激のスパイスになった。

「それでさぁ」
祐里が話を続ける。
「今書いてる次の作品、不倫の話なんだって」
それも知っている話だ。何せ、不倫のモチーフが私と縁人だと、本人が言ってくれたのだから。
「既婚の主人公と、2人の愛人との関係が複雑に絡み合う、めっちゃドロドロした感じって」
え?そんな話、私聞いてないんだけど。まだプロットが定まってないって言っていたはず。それなのに何故、祐里がそんなことまで知っているのか。
「へぇ、そうなんだ。なんか昔の昼ドラっぽいね」
それらしいことを言い、平静を装った。
「ね。でね、なんかキーマンは2人目の愛人らしいよ。しかも美…あ、主人公の奥さんも実は気づいてたりしてさ。実際こんなことあったら本当に怖いよねー。マジ殺人事件とか起こりそうじゃない」
そして祐里はだめを押すように「本当さ、気をつけようね、お互いに」と言った。

私はファミレスを出てすぐに、縁人に「終わりにしたい」とLINEを送信した。

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