見出し画像

マリリンと僕13 ~君の名は~

年始公演の後、小山さんに呼び出された僕は、会場近くの喫茶店にいた。店内の一番奥に位置する4人掛けのテーブルには、僕と小山さんと、見知らぬスーツ姿の男性と僕より歳下であろう女性。

「打ち上げ前に悪いな」
前置き的に、小山さんが言った。
「いえ、僕は今日出演していないので」
「まぁそうだな。それより紹介するよ。こちらはキャッスル・エンターテイメントの松岡さんと萱森さん」
スーツ姿の男性が松岡さんで、女性の方が萱森さんだ。松岡さんは40代後半から50代前半だろう。白髪混じりではあるが頭髪は綺麗に整っていて、見るからに仕事が出来そうな印象。萱森さんも身なりは整っているが、ショートカットの髪は赤茶色に染められていて、社会人2〜3年目ぐらいのフレッシュさを感じる。
「松岡です。宜しくお願いします」
小山さんに紹介された松岡さんが、僕の目を見たまま会釈をした。それにならって萱森さんも挨拶をした。萱森さんの方は一瞬目を合わせ、深めにお辞儀をする形だった。状況はいまいちわからないが、僕もとりあえず同じように挨拶を返した。
「松岡さんはキャッスルのマネージャー部門の統括で、萱森ちゃんはお前さんの担当だ」
萱森ちゃん?いや、それより担当って?困惑している僕を見て、ニヤニヤしながら小山さんが説明を続ける。
「今までは俺と桜井でお前さんのスケジュール調整とかやってただろ。でも、ちょっともう面倒見切れねーなって思って武内に相談して、松岡さんにつないでもらったんだ」
武内さんは、小山さんと旧知のディレクターだ。
「お前、今度オーディションあるよな。そこから基本的に萱森ちゃんがいろいろ面倒見てくれるから。良かったろ、べっぴんさんで」
相変わらずニヤニヤしながら話す小山さんに対し、萱森さんは何か言いたげに不服そうな視線を小山さんに送っている。
「でも、手ぇ出すなよ。萱森ちゃん、桜井の従姉妹なんだよ。桜井もお前の無自覚なモテっぷり知ってるから、心配そうにしてたぞ」
言いたい放題だ。そして、やりたい放題だ。俳優としての小山さんは尊敬しているが、こういう時はただの暴君にしか見えない。
「あの…僕、何も聞いてませんけど」
勇気を振り絞って、抵抗を試みた。
「当たり前じゃん、言ってないもん」
全然当たり前じゃない。だが、これ以上抵抗するだけ無駄なことも、重々承知している。
「まぁぶっちゃけて言うと、お前さんの成長だったり求められ方がさ、こっちの想像より遥かに上だったんだよ。俺や桜井じゃスケジュール調整ぐらいは出来ても強く売り込んだりは出来ないし、ちゃんと事務所に所属させた方が良いよなって、桜井と話して決めたんだよ。もったいないよなって」
そこまで期待してくれているとは思っていなかった。同時に、始めからちゃんと真面目に話してくれるとより良いのに、と思った。
「ありがとうございます」
率直に、感謝を伝えた。
「あ、ついでにバットもな」
ついで…。バットとは、同じ劇団の菅原のことだ。僕より2歳下だが、劇団ではかなり先輩になる。
「菅原さんもですか」
「あぁ、アイツも相当ポテンシャル高いから『出てけ』って何回も言ってんだけど、『俺は小山さんとやりたいんです』って毎回返して来るから、いい加減めんどくせって思ってさ。まとめて預かってもらうことにしたんだ」
めんどくせって。でも、菅原をそんなに高く評価していることも、初めて知った。
「アイツは歌も上手いからミュージカルとか向いてると思うんだけど、ウチじゃミュージカルは出来ないからな」
確かにクォーターでモデル寄りのルックスは、ミュージカルに向いているかも知れない。
「あと、お前に名前付けてやった」
え?
「はぁ、僕、名前有りますけど」
唐突過ぎて、意味がわからなかった。
「当たり前だろ。孤児かお前は」
「ニックネームってことですか」
「バカなのかお前。芸名だ」
「芸名って、あの芸名ですか」
「あのって何だよ。それしかねぇだろ。まぁ、少し名前が知られて来てるからタイミング的にどうかなとも思ったけど、昨日決めた」
言うまでもないが、今まではずっと本名でやっていた。名前が世に出るなんて想像もしなかったから、芸名のことなど考えたことも無かった。
「名前が売れるほど、本名だと生活しづらくなって行きますからね」
松岡さんが言った。
「僕の為に…。画数とか、姓名判断とか、考えるの大変だったんじゃないですか」
芸名とは言え、これから役者を続ける上で、ともすれば本名以上に濃く、長く付き合うことになる名前だ。それを考えるとなれば、それ相応の覚悟で向き合うことになるだろう。
「ん?タモリ倶楽部観ながら3分で決めた」
3分…。タモリ…。久しぶりに本気で、全力で人を殴りたい衝動に駆られたが、なんとか堪えた。
「いやいや、私も3分はないでしょうと思いましたが、良いお名前だしお似合いだと思ったので、それで行きましょうとなりました」
僕の憤怒の心境を察したのか、それまで静観していた松岡さんがそう説明してくれた。
「名前、決定事項なんですか」
「ダメなの?」
「いや、聞いてみないと何とも言えないです」
「じゃ、発表しまーす」
軽いノリでそう言いながら、ズボンのポケットから皺の寄ったスーパーの特売チラシを取り出した。どうやらチラシの裏側に書き殴ったようだった。さらに怒りゲージが上昇した僕を気にせず、小山さんは口頭でドラムロールを流し始めた。
「ドン!」
ドンじゃねーよ。
「お前さんの芸名は…」
瞬間、さすがに緊張し、息を飲んだ。
「C.W.ニコルです!」
拳を硬く握り振りかぶった僕を、松岡さんがすかさず制した。その横で、萱森さんが必死で笑いを堪えている。
「僕、帰って良いですか」
半分本気でそう言った。
「ごめんごめん、落ち着け。まぁそう怒るなよ。本当はちゃんと悩んで考えて来たんだよ」
ジャケットの胸ポケットから封筒を取り出し、テーブルの上を滑らして、僕に差し出した。
「まぁ見てくれ。嫌ならもう一度考える」
今度こそ、真剣な表情で小山さんが言った。これも嘘なら、僕はきっとテーブルをひっくり返すだろう。

『月野 陽太(ツキノ ヨウタ)』

封筒の中には毛筆で、そう書かれた半紙が入っていた。それは驚くほどに達筆だった。

「これ、小山さんが書いたんですか」
「あぁ、そうだよ。上手いだろ?これでも毛筆は三段持ってるからな。っつかお前、気にするとこ、そこじゃないだろう」
確かにその通りだったが、自分でも不思議な程にそこに書かれた名前に違和感が無くて、それよりも小山さんが達筆であることの方が気になってしまったのだ。
「お前の名字と名前から一文字ずつ取って、姓名判断もバッチリだ。お前はこの業界を渡り行く上で何よりも大切な『ツキ』を持ってると思うんだ。そして太陽が、これから昇って行く。まぁ、そんな意味を込めた名前だ。月と太陽が同居していて、響きも悪くないだろう。どうだ、嫌か」
「いえ、全然嫌じゃありません。直ぐに馴染むかはわからないですけど、名前に恥じないように頑張ります」
そう控えめに言ったけれど、本当はこれ以上無いくらいしっくり来ていた。この名前と共に、役者としてこれから生きていくことが、まるで定められていたかのように。
「キャッスル所属ではあるけど、軸足はウチに置けるように松岡さんには頼んである。でも、何を優先するかはお前が決めて良いぞ」
「はい、ありがとうございます」
こういう時の小山さんは、人格者で、心から信頼できる。
「松岡さん、萱森ちゃん、月野を宜しく頼むよ」
そう言って、小山さんが頭を下げた。
「宜しくお願いします」
僕も同じように頭を下げた。

2人の名刺をもらい、連絡先を交換して、その場は解散した。

その後の打ち上げでは、小山さんが開始10分で全裸になっていた(女性陣も見慣れていてるから大半は無反応で、一部の新人だけが悲鳴を上げていた)。真面目と不真面目の境界線がフラット過ぎて、本当について行って大丈夫なのかと、時々とても心配になる。

僕もそれなりにビールや焼酎なんかを飲んだが、自分に付けられた新しい名前が頭の中を支配し、普段のように酔うことは出来なかった。

桜井にも芸名のことを伝えて「良い名前じゃん」って言ってもらえたし、菅原は菅原で「俺、まだなんも聞いてないんすけど」と半ベソ状態でテキーラのショットをあおっていた。

そのようにして時間は過ぎ、日付が変わり、気がつけば居酒屋の閉店時間である午前5時になっていた。中締めの後、小山さんと一部の団員はそのまま24時間営業のカラオケに向かったが、僕はそのまま帰宅することにした。準備して、行くべき場所があったからだ。新しい名前が付いたことを、真っ先に伝えなければならない人たちがいる。

実家の両親だ。

つづく

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,418件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?