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欠如しているのは「想像力」じゃなく「想像する習慣」だと思う。

先日フジテレビで放送されたIPPONグランプリの始めのお題がコレ。

「おでんツンツン」「醤油ペロペロ」彼らをも忘れさせる程の悪行を教えてください

あーあ、遂に大喜利のお題にされちゃったよ、というのが率直な感想だった。

これらの行為については許されることじゃないし、擁護する理由も全く無いのだけど、長くサービス業に携わっている人間なら、あのレベルの悪戯は日常的にされていて、もっと悪質な行為も頻繁に行われていることを知っている。

この問題の本質は「行為そのもの」ではなく、それを「不特定多数の目に入るネット上にアップしたこと」だ。

その結果、ガキの悪戯に毛が生えた程度の過失が、社会(主にネットメディアとネット民だけど)によって重罪認定された。企業側にとってはいい迷惑だろう。くだらない話題を社会問題にされ、そいつらの為に対応に追われる。これだけ騒がれたら企業も生半可な対応は出来やしない。本音を漏らそうものなら、批判の矛先が企業に向けられる。イジメられっ子を守りたくても守るのが怖い、そんな心理と同じようなものだ。

個人的には、社会がこの話題に飽きた頃に、ひっそりと示談で決着すると思う。元々が大した問題じゃなく、株価の暴落も一時的なハレーションでしかなかったのだ。要するに、小火が大火事に見せかけられただけの話。当該の少年は、十分過ぎるほどお灸をすえられた。反省よりも、トラウマになりそうなほどの巨大なお灸を。

さて、こういった事件の分析でしばしば見られるコメントが「想像力の欠如」だ。でも、私はそれは微妙に違うと思っている。「想像力の欠如」ではなくて、「想像する習慣の欠如」の方がより本質に近いように思う。

件の悪戯を動画投稿サイトにアップする時、彼らは「投稿したらどうなるか」なんて思慮深く想像すること自体していない。「面白い」「バズるかも」という安易な衝動によって行動している。だからこそ「まさかこんなことになるとは」な状態に陥る。まぁそうでなくても、あんな悪戯で社会的に抹殺されるレベルの集団リンチを受けるなんて、誰も想像出来ない気もするが。少なくとも私は、今回のことで初めて知った。ここまでされちゃうんだ?と。

無自覚にリンチに参加した側の理念はきっと“社会正義”なのだろう。そういう自己満足さん達にとっては格好の生贄だった。「俺たちは良いことをしているのだ」「正しいことをしているのだ」という自己満足モンスターの美味しい餌だった。

けれど、飲食店の現実は何も変わりはしない。一人の悪ガキを生贄にするくらいで何かが変わるほど、世の中は甘くない。相も変わらず、日々迷惑な客は訪れ、その場にいる周囲の客は傍観者だ。ネットという匿名のシェルターの外で、その正義感は発揮されない。私は普段、偽善も善意の一つだと考えているが、これこそ正に偽善だろうと思う。物陰に隠れて石を投げるだけの正義を、正義とは言わない。

衝動による悪ノリで行動する人間は減りはしないから、飲食店での悪戯動画を投稿するアホが一時的に減っているだけで、別のアホ動画は投稿されるし、それを見つけては吊し上げる一連の流れも減りはしないのだろうな。

先日息子が、カレーをよそったおたまを鍋の蓋にかけるように乗せていて、結果ガス台がおたまから垂れたカレーで汚れていた。「それをしたら、その後どうなるか考えた?」と聞くと「考えてなかった」と言ったので、「何をするにも後のことを考えないと、その内大変なことになるぞ」と言って件のスシローペロペロ事件を例に説明した。

どこまで響いたかはわからないけれど、もう小6だ。親の知らないところでいろんなことをしているだろうし、出来ることも増えていく。多くの体験を積むことで想像力も育まれるだろう。けれど、どれだけ想像力があったとしても、倫理観や道徳観、そして行動と共に想像する習慣が身に付いていなければ、その想像力は活かされない。

子どもが過ちを犯した時、親は責任を免れない。それは子どもが何歳になっても同じだと私は思う。

まずは…、自分が性的な衝動に負けて、不倫とかしないように気をつけよう。こっちも社会問題ですから、ねぇ?想像するだけで怖いったらないんだから…。

こんなオチじゃ、ダメですかね(笑)

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