真野さんと吉田くん 第4話〜吉田くんの休日〜【ショートショート】
七夕の後の、とある休日。
僕は本屋に行った。真野さんが「字が上手くなりますように」という短冊を飾ったあの店だ。タナベ書店という地元の本屋で、品揃えもそれなりに豊富だから僕も学生時代から通っていた。店長の田邊さんとは顔見知りでもある。
今日の目的はただ一つ。真野さんに大人用のペン字練習帳を買ってあげるのだ。本人は「努力きらーい」って言っていたけれど、彦星と乙姫も、そんな我儘な大人の願いを一つ一つ叶えて回るほど暇ではないだろう。
学習関連のコーナーに行くと、思ったより種類があった。選ぶ基準は単純で『真野さんでも飽きずに続けてくれそうなやつ』だ。そうなると必然的に選択肢が限られるから、それほど悩まずに選んで、レジに持って行った。
「お、吉田くん。まいどっ」
薄くなった白髪の坊主頭に丸眼鏡、いつも笑顔で元気な接客。田邊さんは僕が学生だった頃から、ずっと印象が変わらない気がする。
「こんにちは」
本を手渡して、財布の準備をする。
「おっ、珍しいなぁ。さっきも水商売風のネェちゃんが同じの買ってったよ。甥っ子のプレゼントだとかなんとかモゴモゴ言ってたな。普段はそんなに売れないんだけどね。いや珍しい」
田邊さんがそう言った。ペン字練習帳を買う水商売風の女性なんて、この世界に真野さんぐらいしかいないんじゃないかと思うのは、やはり僕の偏見だろうか。
自分で使うであろう練習帳を、恥ずかしそうに言い訳をしながら買う姿を想像して、僕はなんだか嬉しくなった。本当に上手になりたいのだな。努力嫌いって言ってたのに、ちゃんと努力しようとしてるのだな。真野さんの頑張ってる姿を想像して、僕はなんだか幸せな気持ちになった。
「なーにニコニコしてんだい、吉田くん。せっかく買ったんだから、ちゃんと練習して上手になれよ」
お釣りとレシートをトレーに乗せ、紙袋に入れた商品を手渡しながら田邊さんが言った。
僕が言われたのだけど、真野さんに言ってくれているようで、それもまた嬉しい。
思いがけず手に入れた、真野さんとお揃いのペン字練習帳。せっかくだから、僕も今日から練習しようかな。
楽しみが、また一つ増えた。
おしまい
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