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マリリンと僕14 ~海辺のロリータ少女~

僕の実家は、都心から新幹線とバスで2時間程の海沿いの街にある。

それほど遠くない場所に海水浴場があり、温泉があり、新鮮な魚介類を味わうことも出来るから、一年通して旅行客も多いし、富裕層が別荘を持っていたりもする。

父は市役所に勤め、母は友人の美容院をパートのような形で手伝っている。母が仕事でいなくても、近くに母方の祖父母や伯母家族が暮らしていたから、幼少期に寂しい思いをしたこともない。経済的に苦労することも無く、何不自由なく高校を卒業するその日まで、その場所で生活をしていた。

「役者になりたい」

そう初めて両親に伝えたのは、卒業後の進路を考え始めた頃だった。それまで何かをやっていたわけではなく、部活もバドミントンで役者とは無関係。ルックスの良さだけで女子からはチヤホヤされていた。就職はしたくないが、かと言って一流の大学に入るほどの学力は無い。振り返って考えれば、何の覚悟も強い意志も無く、なんとなくイケるんじゃないかと思っただけだった。舐めていたのだと、今は思う。

しかし、両親は僕を止めることをしなかった。母は「あんた顔だけは良いもんね」と言い、父は「お前の人生だからな。好きにやってみろ」と言った。どちらかには反対されるだろうと思っていたのに、結局すんなりと俳優の専門学校への入学が決まり、東京で一人暮らしをすることになった。

「おぉ、帰って来たな、放蕩息子め」
帰宅した僕の顔を見るなり、父がそう言った。父なりの冗談だが、実家を出てからの自分の生活を考えると、心からは笑えない。
「最近お店の常連のお客さんから『あのドラマに出てるの、あんたんちの子じゃない』って言われるのよぉ」
今度はあっけらかんと母が言った。

僕の方は、大切な話だからと思って相応の緊張感を携え、両親の揃うタイミングを見て帰って来たのだが、反応があまりに軽過ぎて、ちょっと言葉を失った。でも、それも仕方ないのかも知れない。毎年年始だけは帰省していたが、具体的な話は避けて来た。2人の中では、ずっと俳優を目指して頑張って来て、遂に花開いたという印象なのかも知れない。

「新しい名前をもらったんだ」
率直に、報告をした。
「なんだ、お前婿養子にでもなったのか?」
「そうなの?」
伝わらなかった。
「芸名を付けてもらったんだ。少し顔が知られるようになって、ずっと本名だと大変だからって」
改めて、説明し直した。
「最初からそう言ってよぉ。わからないじゃない。で、なんて名前付けてもらったのよ」
母に尋ねられ、昨日小山さんからもらった封筒を開け、芸名の書いてある紙を広げて見せた。
「あらぁ、素敵な名前じゃない。ちゃんと本名も残ってるし。いっそ本名もこっちにしたらどう?」
したらどう?、じゃないって。
「母さん、苗字はたぶん変えられないぞ」
そういう問題でもないから。
「でも、本当に良い名前だな」
父が真面目な表情になって言った。
「正直に言うと、ずっと心配してたからさ。最近は特にな。お前も若手とは言いにくい年齢になったし、いつまで続けようと口出ししないつもりではいたけど、そんなに簡単な問題じゃないからな。生きるってことは。俺だってもう、ジジイ目前だからな」
「アタシだって孫の顔も見たいし、でも、陽ちゃんの好きなようにさせてあげたいしさぁ。だからドラマに出るって聞いた時は本当に嬉しくて、アタシ泣いちゃったわよ」
2人からそんな話をされて、僕の方が泣きそうだった。
「次は結婚の話が聞きたいわね」
冗談ぽく言って、母が微笑んだ。昔から見続けてきた、優しい笑顔だった。

ビールを飲みながら、母が作ってくれた夕食を食べた。朝早く市場まで行って、新鮮な魚を買って来てくれたらしい。刺身の美味しさは昨日居酒屋で食べた物とは比べ物にならなかった。5人の女性を掛け持ちしていたことや、マリリンの話は避けつつ、いろいろな話をした。ここ数年の中で、一番両親との距離を近くに感じることの出来た時間だった。

食事の後、久しぶりの地元を感じたくなり、海沿いを歩いた。真冬の海岸はさすがに寒く、途中にあった自販機でホットの缶コーヒーを買って、ダウンのポケットに入れた。

近くにある、子どもの頃によく遊んだ小さな公園に立ち寄り、ブランコに腰掛けた。

「時間が過ぎるのって、あっという間だな」
なんとなく、呟いた。

「ほんまやなぁ」

聞こえるはずのない声が聞こえた。

幻聴だろうと思い、隣のブランコの方を向くと、そこには漆黒のゴスロリドレスに身を包んだ、ぽっちゃりとした日本人形顔の少女がいた。マリリンだった。

「兄ちゃん、なんでこんなとこおるん」
こっちのセリフだ。
「実家が近くなんだ。マリリンはなんで?」
今度は僕が尋ねた。
「ウチのオトンのホテルがすぐ側にあるねん。それでオカンと一緒に泊まりに来てん」
そう言えば、海沿いにある大きなホテルの名前は『城山リゾートホテル』だった。マリリンのお父さんがオーナーなのだ。
「でな、さっきお腹空いたからオカンの食べかけのハッピーターンの、粉がたっぷり付いてるのだけ選んで全部食べたら、オカンにバレてめっちゃキレられてん。で、ここに逃げて来てん」
場所が変わっても、やることは変わらないんだね。
「まぁ、でもお母さんの気持ちもわかるかな」
言った瞬間に間違ったと思った。マリリンがとても不服そうな顔で、僕を見ている。
「なんでやねん!たかだかハッピーターンやん?オカン今年45歳やで?いい大人やん?カステラやないねんで?大海のような広い心で許すべきやん?」
なんかもう、お互い様としか言えないが、それを口に出してしまったら終わりなのは、なんとなくわかっている。しかも、この話に出て来るオカン、世界的なデザイナーなんだよなぁと思うと、僕はもう何を言って良いのかわからない。
「僕はお母さんのお菓子、勝手に食べたこと無いからなぁ」
ぽろっと心の声をこぼした。それを聞いたマリリンが細い目を見開いて僕を見て、心底驚いている。
「目から鱗や…。せやなぁ。人の振り見て我が振り直せってことなんやな…」
ちょっと違うよ。でも、心に響いたようだから、ここは良しとしよう。

「で、兄ちゃんはどないしてん」
ひとしきり不満を吐き出したマリリンが言った。僕は芸名が付いたことや、帰省してからの家族とのやり取りを話した。
「えぇ家族やなぁぁ」
そう言ったマリリンの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。僕がハンカチを渡すと、マリリンは涙を拭い、鼻をかみ、スッキリした顔で、そのままハンカチを返却した。僕は捨てるかどうか悩んだ。
「ウチのオカンと交換してほしいくらいやわ」
「そんなこと言ったらダメだよ。マリリンのお母さんだって立派な人じゃない」
マリリンのお母さんは、家庭と両立する、世界的デザイナー。
「兄ちゃんな、どんだけ世の中で立派な人って思われててもな、子どもにとってどうかは別やねんで。母親として立派かどうかは別やねんで」
真剣な顔でマリリンが言った。正論過ぎて、マリリンのお母さんのことを知らない僕には返す言葉が見当たらない。
「無い物ねだりなんはわかってんねん。せやけど…、無い物ねだりのアイウォンチューやで、ほんまに」
言葉の意味はわからないけれど、普通の家庭の子どもとはまた違う苦労があるだろうことは、なんとなく察することが出来る。
「『私の一番の仕事はこの子の母親であることです』て、ダイアナ妃かて言うててんもん」
よく知ってるね…。
「せや、兄ちゃん、明日ウチのホテルに遊びに来ん?オカンも会いたい言うとってん。オトンがめっさ褒めとったからな」
確かにマリリンのお父さんとは面識があるが、お母さんとはクリスマスパーティの時も、結局お会いしていない。
「明日の夜東京に戻る予定やから、お昼頃とか来てくれへん?ご飯食べよ」
明日は予定も無いし、断る理由も無い。
「うん。じゃあお昼頃行くね」
僕がそう告げると、「ほな!」と言ってマリリンはドタドタと走り去って行った。

冷め切った缶コーヒーを飲み干して、僕も帰宅の途についたのだった。

つづく

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