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青春を射る

弓を引く時、目には見えない青々とした孤独に潰されそうになる。

よく、弓を引くことを「自分との戦い」とかいう格好のいい表現で言うことがあるが、そうやって言えるのはその領域まで足を踏み出せた者だけだ。高校三年間だけ弓を握った僕なんて、そんな領域を知るはずもない。

二年生の秋のことだ。僕の弓道に対する熱は、気温と共に下がっていった。独り弓を引くことほど自分と向き合う時間はない。思春期真っ只中だ。「僕」という存在が何か、考えれば考えるほど訳が分からなくなって、僕は自分に目を背けた。自分との対話がしたくなかった。弓を引くことほど孤独で、自分と向き合わされ、苦痛を感じることはない。

だから顧問の先生の目を盗み、部室で世界史の教科書をよく熟読していた。弓道より世界史の方が何十倍も心浮き立つのだ。「世界史」というストーリーとの対話は「僕」という存在を忘れさせてくれるものであり、弓道とは対極のようなものだった。

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ある日、試合のメンバーが発表された。男子部員は一・二年生合わせても二十人以上はいて、試合に出場できるのはそのうち六人とかだった。三人一組でトップ3をAチーム、それに続く三人はBチームとして選出される。僕は運が良いのか悪いのか、ギリギリBチームに選出された。Bチームの二人はどちらも身長180センチを超えるほど背が高く、且つ体重五十キロ代のヒョロヒョロだ。いかにも頼りない体つきのチョさんとタマちゃんである。

三人中、僕だけ170センチ代で、二人に挟まれるよう真ん中で弓を引いていたから、僕の身長が低く見えるのがネックだった。それでもこのチームが結成されたとき、心の内が紅く燃えた。

チームが結成された日から、僕は部活中に青い世界史の教科書を開くことはなくなった。正規練習の後も彼らとともに自主練習で的前に立ち、二人がアドバイスをしてくれた。射の形を矯正するのは本当に勇気がいるものだし、面倒くさいものだ。それでもこのチームで戦うのなら、今のままではいけないと、そう心から思った。

僕が久しく弓への熱を持ったのは、彼らの身長が高いからということでも、体重が少ないからでもない。

チョさんは隣のクラスの友人だったから、いつも一緒に部室まで行ったものだ。彼は頭が良かったから、僕によく英語や数学を教えてくれた。入部した初期の初期も、一緒だった。先輩からの圧力と地道な練習量に耐えて耐えて耐えていた時期である。帰り道、「辛いよね」と僕が話したとき、「まあ、仕方ないよ」と彼は淡々としていた。不満を言わないどこまでも真っ直ぐな男だ。

タマちゃんは誰よりも努力家だった。そして誰よりも不器用だ。鶴を上手く折れない僕よりも不器用な人は初めて見た。そのくらい不器用なのだ。その不器用さゆえに人にからかわれることが多かった彼は、それを個性に変えてムードメーカーになった。ムードメーカーの一面がある一方で、彼は貪欲にがむしゃらに弓を握り続ける、ひたむきな努力家でもあった。

そんな二人が僕はたまらなく好きだった。二人を嫌いになれるはずがない。この二人に華を持たせたい。この二人と共に勝ちたい。

そう思ったとき、僕から弓を握ることへの恐怖心がすっと消えていく。練習場の的へ一礼し、恐れていた射位に立つ。もう独りじゃないんだ。チョさんの縦長に大きい背中を見てそう思った。おっちょこちょいなタマちゃんが僕の後ろでバタバタと矢をつがえている音を聞いてそう思った。

四本の持ち矢が全て打ち終わると、僕らは互いに総評し議論した。矢をつがえるペースも、弓を打ち起こして引くペースも、僕ら三人は一つとして呼吸をしている。そしてその呼吸のペースを合わせようとした。僕らの表情は真剣そのもので、僕らの視線は常に同じ場所にあった。

的前で互いを高め合った練習後は、思いきり部室で笑い合った。恋愛話、世間話から下品な話と、多種多様なジャンルでキャッキャと騒いだ。駅まで一緒に並んで歩き、またまたくだらない話をして笑う。空腹であることを共有し、駅近のラーメン屋に入る。何故かわからないけど、部室と下校中とは打って変わってまた僕らは真剣な表情になった。

「本気で勝ちたいんだ」
「勝ちたい」
「この三人で」

熱々の麺をすすりながら僕らの想いも熱く交わされた。あの日々こそ僕らの青春ど真ん中だった。

僕たち三人は結局目立った結果を残すことはできなかった。それでも三人で掴もうとした共通の栄光なる目標。矢に想いを乗せて弓を引く。記録より記憶に残る射だった。

そして、弓を引くことが孤独でなくなったとき、僕という存在を初めて受け入れられた。二人がいたから、受け入れられた。




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