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父と未来とツーブロック

 ディズニーランド・シーには「未来」をテーマにしたエリアがある。小学生だった僕は、ディズニーの未来観は現実化すると本気で思っていた。また、ドラえもんが誕生する22世紀は、きっと車が空を飛んでいるのだろうと非現実的な未来の空想を膨らましていた。

 しかし、子どもながらに「未来」を客観的に捉えたかったのであろう。自分以外の他者は未来をどう考えるのかを知りたくなった。同級生に、どうなると思うか聞いても、相手は小学生だから当然深い議論にはならない。未来という言葉から派生して、将来子どもを産んだら名前を何にするかとか、ドラえもんの道具で一番欲しいものは何かというたわいもない話になってしまう。

 隣のクラスにいる頭の良いやつに聞けば、「地球が滅亡するから火星に移住すべき」と、議論が大幅にずれる。先生に聞いても、「どうなるんですかね。未来は誰にも分りません。逆にあなたはどう考えるのですか」と質問を質問で投げ返される。

 あきらめきれなかった僕は、家に帰ってから父に同じことを聞いてみた。父も先生と同様、「未来はわからないけれど、どんどん便利になっていくことは確か。」という意見であった。ああ、大人の考え方とはかくいうように、抽象化して曖昧に答えるのだと思わされ、少し寂しかった。だが、父が一言付け加えた。

 「でも、便利になりすぎるとそこに弊害が生まれてくるんだ。だから便利になりすぎていない今の状況がずっと続くのが良いと思う」と。

 小学生に対して「弊害」なんて難しい言葉は使ってはいないけれど、そんなニュアンスだった。未来がどれほど便利な世界になるのかをワクワク妄想していた小学生の僕には、父の言うことがさっぱりわからなかった。いや、楽しい未来しか考えなかった僕にはわかりたくなかったのかもしれない。

 しかし今考えてみると、「便利になりすぎたときに生まれる弊害」というのがよくわかる気がする。SNSに書き込まれた誹謗中傷、「ながらスマホ」で交通事故といった数々の社会問題。「はんこ廃止」でデジタル化を一気に推進させる政策も利便性は高まる一方で、はんこを売って飯を食う人たちからしたら、それは本能寺の変同然である。これからますますAI(人工知能)が発達していけば、労働人口の49%が就いている仕事がAIに代替されるとも言われている。デジタル化がさらに加速すれば、必然的に最新のアプリや電子機械を使いこなさなくては生きてはいけなくなるに違いない。生涯学習が義務化されているといってもいいだろう。

 こんな革新的な現代に生きる僕たちは、新しいものばかりに目が行きがちだ。いや、デジタル化への不安から、新しいものを常に追いかけなくては社会的死が待っている。だから、新しいものを追いかけることは、今や生きるために必要な本能なのだ。それゆえ古き良きものや伝統といった過去や歴史といった側面を忘れてしまいがちである。加えて、未来にフォーカスしすぎるあまりに「今」のことも考えられなくなってしまっているのではないだろうか。頭の中はいつも新型iPhoneの妄想ばかりで、今と過去を見つめられない。そんな人が世の中に五万といるだろう。

 そういう意味では、現代のデジタル化といった革新的な波に逆らうような保守的な考え方も大切であるような気がする。だから、父が新しい未来を望まないことがよくわかる。

 しかし、僕が高校受験の面接を翌日に控えていた日のことだった。僕が緊張でうずうずしていると父が、「頭を丸めれば面接官も気合入れてきたと察してくれるから、絶対受かる」と意味不明な行き過ぎた保守的な発言をした。考え方が昭和すぎる。

 父の助言も参考にしたうえで、イレブンカットで坊主でもロン毛でもない髪型にしてもらった。(参考にしていない) トップを残してサイドを刈り上げる、中途半端なツーブロックといわれる髪型だ。結局このツーブロックヘアのように、保守と革新のちょうどいい塩梅が理想的な考えなのだと思う。

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!