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イルミネーションとか日常だから

眼鏡を外せばそこは、光国イルミネーションでした。
と、川端康成みたいな文章を書いてみるが、こんなこと書いたら川端康成に殴られそうである。

まあそれはいいとして、クリスマスにカップルたちがイルミネーションを楽しんでいるようであるが、そんなの近視の我々はいつでも、殆どの場所で、簡単に観ることができるのだ。

眼鏡を外す。さっきまでピントが合っていた光が、弾けたように大きく美しい円を描いて広がっていく。天然無料のイルミネーションである(人工的でもある)。

その目でセブンイレブンをご覧なさい。なんとそこにはクリスマスカラーの緑、赤、(オレンジ)が控えめに輝き、眩しいほどの白光がその色々を包んでいく。少し、というか結構眩しいけど。

視力の良いカップルたちは何ともお気の毒である。イルミネーションとはある種非日常的なものであり、季節柄冬しか楽しむことができない。あくまでも一般的には。

だが僕たち近視の人種は、人工的なものが存在する夜という条件が揃えばイルミネーションがいつでも楽しめる。近視でもない、わざわざイルミネーションを見にくるカップルは全く可哀想に思い、酷く同情してしまう。

大事な日にクウォーツの時計が止まってしまった人くらい可哀想だ。
雨の日にロングコートが車のドアに挟まってしまった人くらい可哀想だ。
白米に黒胡麻がかかったコンビニ弁当を買ったら、箸ではなくフォークがついてきた人くらい可哀想だ。
女の子にご飯を奢ろうとしたら、キャッシュレス非対応で慌てふためく紳士くらい可哀想だ。
誤ってスイカの種を呑んでしまい、大人に「頭から芽が生える」と騙されて泣く子どもくらい可哀想だ。
海外のコンビニで緑茶を買ったら砂糖が入っていて咽せている人くらい可哀想だ。

クリスマスに恋人がいない人くらい可哀想だ

つまり、クリスマスに恋人がいない僕はイルミネーションを楽しむカップルと同類の人間である。

Q.E.D(証明終わり)

【追記】
「イルミネーションが目的ではなく、パートナーと一緒にいることが目的である。つまりイルミネーションは手段であるから、あなたの言うことは間違っている」と、クリスマス忙しい人に言われた。ぐうの音も出なかった。

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!