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2023/11/07 雨/くもり

昨夜眠れず。まったく眠れず。あげく除湿器がずっと稼働しておりうるさいのも原因だった。そもそもが眠くなかった。春の大肝気祭りであった。いや、春じゃないよ。今から春のことを考えて憂鬱になったりもした。朝方寝たような気がするんだけど記憶があいまい。動けるし元気だしどうでもいいに分類した。今日は鍼なのでなんとかしてもらおう。

正午過ぎ集荷が来てくれる。文フリの荷物を送った。集荷に来てもらうことが多いけど、ヤマト員の人が電子マネーの機械を持っていたことがなく、毎回取りに帰っている。現金にしたほうがいいのかもなあ……とおもいながら毎回Suicaで、と言っている。毎回。多分みんな知らないんだよな。わたしも最近までカードからSuicaから大体使えるのなんて知らなかった。

Twitterやめたい。何回目? 宣伝に必要よなとおもってやっていたが、いらないだろう。ろくすっぽ考えずにやってるし。昨日エンプティカロリーを求めたが、栄養が不足している(ちゃんと食ってない)と菓子というか手っ取り早く食えて高カロリーなものが食いたくなるというのはもう自明の理で、そんでTwitterもそうなんだろうなと感じた。楽で早くて味が濃くてカロリーが高いがその場しのぎや嗜好に振り切れているため必要な栄養素はない。今だけのもの。Twitterずっと見ちゃうってそういうことだよね。それって刹那じゃん。もうみんな刹那はやめたんでしょ。2010年台になってやめたんでしょ。刹那的な生き方は。わたしも一昨年くらいからやっと抜け始めたよ。90年台デトックス。世間はリバイバルしてるけど……。
しかも今はもうバズに制限がある。金を払えばバズが生まれる。終わりじゃん。今すぐ・多量のカロリーが・一瞬で取れる、という点では登山の時とかいいのかも。でも出かけたときって狂おしいほど見ないよね、Twitter。
うまくやれるとおもってもどこかでつまずいていつもと同じ嫌な感じになるのって完全に自分の問題なんだけど、必ず同じ不純物が水槽に混ざってくるとかいうのは環境の問題でもあるな。

しかし名前だけ変えてもダメっていうのは旧J社にも言えることだな。名前を変えようが何をしようが作り手とユーザーが一新されるかあるいは異常逸脱対応みたいなことを完璧にやらないことには永遠にTwitterだよ。だからJ社も永遠にJ社だとおもう。なんで起きたか・二度と起こさないためにどうするかをずうっとずうっとずうっと同じ熱量で考えていかないといけないし。わたしもさあ、ドイツみたいにやりたいよ。ドイツに住もうかな。習うか、ドイツ語を。むしろ性悪説の国ならどこでもいいんだけど。

ドーリス展のチケ発が今日だと忘れておりTwitterを見ていて助かったのでTwitterは……いる……。本当に嫌……。

湿気がやばすぎるのでドライをかける。普通にやばい。暑い。キモい。梅雨の準備できてない。一時的なものつってももう三日四日こんな感じじゃない? 無理。長すぎ。嫌とか無理とかしか言えなくなるのも嫌。寝室に除湿器をぶちこむ。夜まで除湿し続けてやる。

知らない人のピクミン実況をBGMにできてとってもよかった。ゲーム実況してる人ってわいわい以外基本的に声がダメなので全く見れないのだが、久々に大丈夫な人がいた。いたというか、勝手に流れ出した。超LUCKY。声がダメっつっても怖気が走る! とかじゃなくて、ずっと聴いては……いたくないなあ……って感じなんだけど、最近気づいたことだが人の声についてかなり偏食だ。音楽は何でも好きなんだけどな。人の声って情報が多いよね。聴くと脳内に動画が来るもんな。わたしの脳みその具合がおかしいだけのような気もする。アニメもこのせいであまり観れない。アニメは声に特化しているから。絶対観たいってならないと観れない。なんでなん?

鍼なので行った。前回実証の方はほとんど来ないと言われたのが恥ずかしくて勝手に行く頻度を減らしたら怒られた。いや怒られてないんだけど。実証の人って治療に来たらダメっぽいじゃん……なんだけど、これ実際に院で言われたわけじゃないから、勝手にかかった呪いだな。遠くの誰かの意見じゃなくて本人の話を聞かないと本当にダメ。

夜、のんびりしてたらヒースの訃報で真顔になる。なんで? なんでっていうか……マジでなんで? マジで意味がわからないが、でも実のところはそろそろわかってきた、時期だ。これ。そういう時期なんだ。五十代って。だから、たぶん、あと十年くらいで自分のことになる。それから、天気が変だと、弱っているときにクリティカルなダメージが入る。こんなこと全然知りたくなかったんだけど。


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日記を本にしました。

【わたしの人生は注意書きの中にある】文庫サイズ|カバー付き|278ページ|2000円|今年5月末~9月末までの日記を文庫にしました。  こんなこと認めたくはないのですが、実際のところわたしは、「注意書き」が必要な子ども時代を過ごしてきました。  わたしは不運だった、それはただの現実で、わたしの人生です。日々の話をするときに、何気ない昔の話をするときに、必ずついて回ります。あなたは眉を顰めますか?どんなふうに言ったらいいか分からないと感じますか?わたしは何も求めていません。  わたしが感じているのは、わたしのように生きてはいない他人が屈託なく子ども時代を語れるのならば、わたしの子ども時代も屈託なく語られるべきだということです。  大人になったわたしはすでに不運ではなく、わたしの毎日を送っていますが、たまに不運なこともあります。特別かと言われたら特別だし、特別ではないと言われれば特別ではないのです。誰の毎日もそうであるのと同じです。  そんな気持ちでつづった日々の気持ちと記録を本にしました。  文学フリマ東京37 F38【iggy.】にて

こんなこと認めたくはないのですが、実際のところわたしは、「注意書き」が必要な子ども時代を過ごしてきました。

わたしは不運だった、それはただの現実で、わたしの人生です。日々の話をするときに、何気ない昔の話をするときに、必ずついて回ります。あなたは眉を顰めますか?どんなふうに言ったらいいか分からないと感じますか?わたしは何も求めていません。

わたしが感じているのは、わたしのように生きてはいない他人が屈託なく子ども時代を語れるのならば、わたしの子ども時代も屈託なく語られるべきだということです。

大人になったわたしはすでに不運ではなく、わたしの毎日を送っていますが、たまに不運なこともあります。特別かと言われたら特別だし、特別ではないと言われれば特別ではないのです。誰の毎日もそうであるのと同じです。

そんな気持ちでつづった日々の気持ちと記録を本にしました。

文学フリマ東京37 F38【iggy.】にて

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