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フィルモア通信 New York 80`s No3

 ヨーロッパには四ヶ月いた。たくさんの若者たちと知り合った。今から兵役に行くスペインの二十歳の男、イスラエルの女の子二人もこれから兵役に就くと言っていた。ドラッグを持ち歩くスウェーデンの若者、どこもかしこもドラッグだらけさ、お前もやるかと聞かれた。

 アイルランドでヒッチハイクをした時は家まで食事によんでもらい、神の恵みについて話してもらった。列車の中で知り合ったり、コンサートで知り合ったして、デンマークやノルウェーの人々の家に泊まったりもした。

 みんな自分たちの仕事に満足したりしていなかったり、家族や恋人を愛していたり、していなかったりしていることを話してくれた。それぞれの国の言葉は異なっていて身ぶり手ぶりもちがうけれど、表情は同じに見えた。目は同じものをあらわしているように感じた。毎日の生活、芸術、愛情、仕事、収入、それは「どうして思い通りに自分の人生はならないのだろう」と言っているようだった。

 イスラエルで数年間の兵役を終えてヨーロッパ各地を歩き回っている二十五歳の男と、白夜のノルウェーをいっしょに数日いっしょに過ごしたとき、「日本人のおまえはラッキーだ、いま戦争が無いからね、俺はアラブ人を殺したが、殺らないと殺られるからね。」と吐きすてるように言った。

 スペインの列車のなかで知り合った若い男とカタロニアからセビリアまで十四時間汽車のなかで話した。
バルセロナを発つ時、見送りに来ていた娘が泣きじゃくっていたのはこれから彼の二年間の軍隊生活で離ればなれになるからだと見当がついた。
灼ける太陽に焦がされてアルハンブラ宮殿を歩き回ったり木陰で冷やされたりした。

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