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君のために作りたい・タラのムニエル・ポテトタプナード・人参マスタード・あの岬でまた会おう・チャーリー・ノートン料理教室

無事に年は越して迎える正月まことにめでたい。ふた月前の記事下書き、送り出そう。と、にゃーにゃーうるさいあのニャンキャットわが相棒の声は言う。あのねえ、またこんな写真ばっかりの記事つくってどうすんの。だいたい料理ゆうてもレシピもないやんか。あんたがnote始めた理由はあれやろ、フィルモア通信の完成やろ。最初のうちはよう頑張ってニューヨークの話も聞いてたけどな、ふた月ぶりでもこんなんばっかりやんか、役にも立たん料理記事ばっかりやんか。わが猫の叱責はつづく。すまん、猫すまん。

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では、始めましょう。お魚を使った西洋料理といえば今はポワレとかアクアパッツアとか,よう聞きますがムニエルはあんまり見かけんようになった。だいたい西洋料理という言葉も日常生活でなじみ薄いんやあるまいか。料理でもだんだんとうんちくの多さに比べて語彙は少なくなってきた気はします。まあそれで今回はムニエルや、古き良き時代の西洋料理の響きです。

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いや、ことの始まりは鱈の切り身です、良いのがスーパーで目に着きました。綺麗なその切り身を見ていたら鱈ムニエルの匂い、舌触り香ばしみ、見えてくるものあり。ニューヨークにおった頃、鱈はコッドフィッシュと言うんやと知った。フィッシュアンドチップスと言えばコッドフィッシュやった。ぼくの働くレストランで料理したことないけど。

 休みの日に自分のために鱈の切り身とベーコンスライス、ほうれん草の鍋仕立てみたいな奴作ってポン酢もこしらえて味わった。なかなか美味しいコッドフィッシュやった記憶も蘇る。

 アメリカ人としては珍しく魚料理が好きで美味しい食事を大事にしているジュディに鱈の話をしたら、それは美味しそうだわ、ベーコンはどうかしら、わたしはフィッシュだけの方が好みだけど。ジュディの言葉にぼくはドキドキしてそうか、来週彼女をディナーに誘おう、良い鱈を見つけて念入りに料理するのだ。そうだムニエルで行こう、カリッと香ばしい焼き目にしっとりとほろほろ溢れるような歯触りのムニエルを作ろう。

 ジュディは夏になるとメイン州に出かける、アートワークがあるらしい、詳しいことはぼくにはわからないが。

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 シャンパンをシャロットと煮詰めて新鮮な魚のフュメを足してクリームも入れてタイムかテラゴンで香りづけしたシャンパンクリームソース、またはシンプルに焦がしバターにレモンというのが定石やがここはわが祖国の暮しの手帖風にベシャメルソースで行こう、たぶんジュディは面白がって喜ぶんじゃないかな。

 ソースベルーテや、タイミング、火加減、温度の維持そして力の入れようと根気。これはあんまり作って面白いというソースじゃないけど、料理の基本は結構入っている大事な基本ソースのひとつ。

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 バターを焦がさんように色付けたら振るった粉を入れてかき回し液状になるまでかき回し続け火加減しながらビスケットのような香りが立ってくるまで腕を動かす。液状から個体になってまた液状になるまで火入れを続けるけど色付けてはあかん。そして牛乳は温めておくこと。

 目指すは白い雪の華のようなソースの出来栄えなのだ、かのフランスはグルノーブルオリンピック、ジャン=クロード・キリーが滑らかに疾走する白銀の世界、白い恋人たち。滑らかな感触の香ばしいソース。

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 色づかないようにかつ香ばしく小麦粉を火入れするにはバターと粉等分にてゆっくり、しかししっかり温度を上げつつ鍋のなかで掻き回していかないとね。焦げを怖れるあまり充分熱くなっていないと香りもコクも立っていかないし、かき混ぜる労力を惜しんだり足らなかったりしても目指す仕上がりのソースにならない。たぶん愛の成就とおんなじや、白い恋人よ。

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 いや、言いたいのは料理のプロセスの基本、すっ飛ばしても仕上がりにさして変化ないもの、大いにあるもの、そのことです。例えばこのバターで小麦粉を煎り付けてルーと呼ばれるものを作る。ルーはホワイト、ブラウンそしてダークまたはブラックと呼ばれたりする焦がしたルー、それは用途に応じて目的に応じて作るルーですがクリオールやケージョンに使われるダークルーでは最初に小麦粉だけを鉄鍋で焦がして色と香りをつけてからバターまたはラードもしくは植物油をいれてルーに仕上げる。

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 それは油脂を入れてから小麦粉を焦げるまで色付けてしまうと粉が高温の油で揚がったような状態になりあとで牛乳とかブイヨンを入れても粉が唐揚げみたいになっていて水分と混じり合わずクリーム状ではなくザラザラした舌触りのものになってしまう。油脂を加える前に粉だけ焦がして後から油脂を加えたらそれはある程度防げる。ベルーテ、もしくはベシャメルと呼ぶクリーム状のソースの土台ができます。ふーむ、これは面白い恋人やね。

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 プロセスの話ですが、例えばポテトサラダを作るとするとジャガイモを茹でるとき丸のまま皮付きで茹でるか、ジャガイモの皮むいて幾つかに切ってから茹でるか、その時水からかお湯からか塩入れるか入れないか、それを出来上がるまでの時間の問題とだけ考えるなら良いものは出来ない。 

旬の新鮮な新ジャガなら皮付きで水から茹でる、急いでいるならそれは皮むいて幾つかに切ってお湯から茹でる、新ジャガは水分多く煮くずれしやすいからね。古いジャガイモなら洗って皮をむいて塩少しの水から茹でる、

それは古くなったジャガイモの皮と身にヒスタミンみたいなアクがあって渋いようなえぐ味を塩の浸透圧でお湯に流出させるため。いやあかん、話がクドクド長なって来た、すいません。


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 ようするにや、ラタトゥユ作る時みたいに材料の野菜をその特徴というかその時の素材ひとつひとつの個性に合わせて火入れしていくこと、あとから全部トマトの水分で煮込むから出来上がりは一緒や、とはなりまへん。やるべき時に火を入れて香りを出す、色付ける、水分を飛ばす、色を飛ばさんように最後に合わせる、などなどたとえ工程は飛ばせても素材の個性を考えるということは飛ばせんのです。

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これは割と新しいキタアカリまだえぐ味はなさそうなので皮付きのまま、しかし塩は入れようゲランドの塩。人参も混浴で省エネです。

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アルデンテに茹で上げた人参は冷蔵庫にあったわが妻愛飲のフルーツ酢ちょっと拝借してマスタードと混ぜる。

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妻を思い出したのでハニーも入れよう、うん、なかなかよろしい。

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茹で上がったキタアカリ、ジャガイモは熱いうちに皮むきましょう、ポテサラなら熱いうちに潰すか切るかしましょう、冷めると澱粉がのり状になって分子が引っ付いて粘ってくるからね。

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熱いうちに手に取ったお芋をアツッアツッと言いながら皮むく楽しさ、手のひらに感じる美味しさの予感。幸せの苦しさ。忍耐と想像力や。

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 タプナード。ブラックオリーブとアンチョビ、少しのにんにくで香りつけたオリーブのペースト。たしか畑のキャビアとか貧乏人のキャビアとかニューポートビーチはパスカルレストランのわがボス、パスカルは言うとったね。

 タプナードはパンに塗ってよし、生野菜に合わせてよし、プロヴァンスの常備菜です。ポテサラにしよう、あつあつのジャガイモ切ってタプナードとオリーブオイル合わせて出来上がり。

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 さてさて、鱈です、コッドフィッシュやジュディを招待するのだ、金曜日。ジュディはカトリックでもないし金曜日に魚の風習も何もないが魚料理を金曜日、週末にどうかと彼女を誘う口実というかストーリー、きっかけというかぼくは只々彼女に会えるうまいストーリーを考える。上手くいった事はほとんどないけどね。ぼくはジュディに会いたいがために料理する。

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 鱈は水分多いので切り身にほんの少し塩をふっておく、浸透圧。それを牛乳に浸して置くと牛乳が身に染み込んでソテーする時にバターと合わさって香ばしく焼きあがる、大地と海が繋がる。

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充分に温めて材料を受け入れる準備のできた鉄鍋にバターを入れて水分を飛ば泡立つその時を逃さず切り身ちゃんを入れよう。

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たっぷりつけてよく払うムニエルの基本、粉のつけ方。


時は来た。ルビコン川を渡らねばならん。火加減は熱すぎていかんぬるくていかん、それはもちろんや。大事なのは外側カリッと香ばしく中はジューシーほろほろでしっかり焼けているということ。加減です、駆け引きです。焼き上がりをイメージに描きあげて、優しく揺すったりもしようか。

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フリップオーバー!いやええんとちゃうか、ええ色やんか。

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 あれからもう、たくさんの水が橋の下を流れ、虫が飛び立つように時は過ぎ、たくさんの鐘は鳴った。ぼくが金曜日のディナーに招待する前にジュディはメイン州かバーモント州のアートコミュニティに行ってしまった。それはぼくの知っているマサチューセッツのケープコッドよりもっと北のユルスナールが住んでいたマウントデザート島かもしれなかった。ジュディに教えてもらたユルスナールの本を近所のスプリングストリートのコーナーにある本屋で見つけて必死で読んだ。さっぱりわからなかったけど、次に読んだクレアンクール名義のエッセイは読みやすくページは進んだ。本のことは何も覚えていない、ずっと後になって日本語で読んだハドリアヌス帝の回想もようわからんまま言葉を追いかけたのは、ジュディを知りたい一心だった。

 誰かを知りたいという欲求は相手の自由を束縛する事だと自分を責めながら、せめて心の中だけでもジュディを理解し、自分のなかに留めておきたかった。その手さえ触れられない彼女を自分の腕の中に抱きしめたかった。   

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やあ、焼きあがったぞ。コッドフィッシュのムニエルだ。

一生懸命作ったぞ、ぼくの手となけなしの知恵を振り絞って作った一皿。きみは食べてくれるだろうか、何回かいっしょに食事した時のように、笑ったアーモンド型の黒い目でぼくを見るだろうか、動かす口元は食べ物だけでなくぼくへの言葉も伝えてくれるのだろうか。グラスを置くテーブルに差し出されたきみの手のひらに、ぼくは触れることはできるのだろうか。そして、ぼくは写っているのだろうか、その黒い瞳のなかに、美しい目のなかに。

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ここまで読んでくださりありがとうございます。


チャーリー、おまえは救い難いアホや。わがニャンキャットは言う。肯じえぬままぼくは彼の目を見る。

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