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流転と二律背反


2021年は写真との関わり方が大きく変化した。
暗室に行き、プリントをし、自家現像を始めた。
そして、作品撮りを始めた。
作品撮りの定義は曖昧だが、私の作品撮りは、
・メインテーマを元に撮る
・メインテーマとロケーション、衣装、小物がどう結び付くか、どういう構成にしたいかをモデルさんと共有する
この2点を経るものを言う。

作品撮りを始める前からポートレートを撮ってきた。
それは、私にとっては「あなたは素敵」を伝える行為だった。
芯のとおった瞳にフォーカスしたり、優しさの表れた表情にシャッターを押したり、そういう行為だった。
何かテーマを表現するなんて思いもよらなかったものの、たまたまのご縁で、そういうことへ自然と向かうことになった。

はじめ、テーマは洗練されておらず、行き当たりばったり思い付くままだった。
しかし、撮影し、現像、スキャン、組み立てをしていくうち、何度も再構成され、テーマは研磨されていき、テーマを補強するために続きで撮影をしたいと思えるようになった。
そして、2021年の私が抱えるテーマが何となく明らかになったのだ。

流転と二律背反

刻々と変化する、変化が変化を呼ぶ、止まることのない流転。
そして、ひとつの存在の中にも、様々なものが内包されているということからたどり着く二律背反(用法が厳密には違うことについてはご容赦願いたい)。

時は過ぎ、老い、死ぬ。
文化的背景で風習が異なり悪習や伝統といったものが存在する。
それを善い悪いで解釈することには違和感があった。もちろん誰か虐げられ、当人の望まない状況を強いられるべきではない。それでも、解釈によるところが大きいとき、解釈はそれぞれ解釈なのだと感じる。

そういった思いを抱きながら生きていると、人間というものがひどく醜く、憎く、疎ましく感じる一方で、命に対してたまらなく愛おしく、尊く、安寧を願わずにはいられない感覚も同時に存在する。

高澤哲平フォトスクール「モネとルノワールから学ぶ印象派ポートレート」より

そういったものを、今年は撮りたかったんだなと思い、年の瀬に記録しておこうと思う。
またこの思いも流転することだろう。
凝らず、誤魔化さず、これからもやっていきたいと思う。

special thanks
Misaki Nara
https://twitter.com/____misaki_____?t=nFoz2JCdeH-YPgFQi4Zd-g&s=09

Teppei Takazawa
https://twitter.com/photozawa?t=JFBT3O7ocqdJ6CcHEjPgUQ&s=09

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