めっちゃUP TO YOUなスタートアップCityCampで働きませんか?
※本記事はあくまでも私個人のエントリーであり、私が帰属するCityCamp株式会社公式の文章・文書ではありません。
ちなみに長くなるので読みながら聴けるオススメのBGMを最初に貼っておきますね。赤ちゃんが泣き止むと話題のPOISON。
言いたいことしか言わないnoteになると思いますがご了承ください。
大好きな湘南のとあるタリーズコーヒーにて久々のnoteを書いております。
タリーズコーヒーは元カノと別れ話をしたちょっぴり苦手な場所。
あ、どうもはじめまして"のっち"です。OFF COLAの卸事業部ののっちをしています。ごめんなさい、間違えました。責任者をしています、のっちです。
よくPerfumeののっちさんですか?と間違えられますが、まだ違います。
本記事では、下記について書いていきます。
自己紹介
CityCamp, inc.
STAY GREENで在り続ける(自分が大切にしていること)
CityCamp、OFF COLA、ブランドを作ること、スタートアップ、急成長する組織、転職・副業、Perfumeじゃない方ののっち、などに興味のある方は以下駄文にお付き合いいただけますと幸いでございます。
求人
早速で非常に恐れ多いですが、私の所属するCityCamp株式会社では共に「1兆円企業」を本気で目指す仲間を募集しております!
ここでしか経験できないこと、今しかできないタイミング、そして一緒に進むからこそ見える景色にも出会えるチャンスです。
興味があればぜひお話ししましょう!
自己紹介
過去にめっちゃ赤裸々に書いた自己紹介はこちら。見ないでください。
長いので要約しながら書きます!
1995年9月20日生まれ、A型、ENFJ、愛媛出身ののっちです。
前職の後輩がまとめてくれた動物占いの資料を見ていただくのが割と早いので貼ります。
これ見たらわかりやすいくらいに自分ですが念の為生い立ちも書いておきます。
幼少期〜中学生卒業
今考えれば、本当に毎日があっという間で勉強と卓球部のキャプテンとブラックバス釣りと恋愛に明け暮れていた日々だった思います。恋愛に!?
この頃から休日に休むみたいな感覚は皆無で、釣り好きで時間さえあれば池という池を巡ってはルアーを投げてみる、そんな日々でした。
気が狂ったのか実家の前の駐車場にルアーを投げて日が暮れるまで妄想の中で釣りをしていたこともありました。絶対近所で噂になってる「やばい子」でした。
中学校の文化祭の時にはEXILEを有志で踊りました。これには実は裏エピソードがあって本当は「TAKAHIRO」つまりボーカルをやる予定だったのですが、音痴すぎて(意味:歌が下手すぎて)ダンスに回らされたというエピソードがあります。
そしてもっというと、ダンスも緊張しいということと運動神経の無さが相まってワンテンポ他の人より遅れるという全米も泣いた衝撃のステージを披露しました。
高校生
高校生になっては割と自我ができてきた気がします。
大好きだった卓球部を色々あり退部したことで、姉からの紹介でマクドナルドのアルバイトと、親友からの紹介でバレーボール部に入部することになりました。
実際メンタルはお豆腐なのですが、よくメンタルが強いと言われることが多く、この辺りからバグってきたと思います。
ちなみに高校は進学校(若干自称進学校になりつつある)で国公立進学こそ正義の風潮の中日々勉学に励んでいました。
入学当初は成績順位も最下位から10位圏内で、特に数学は絶望的な点数でした。
そんな中で、高校2年生の時立井先生という弓道の名手かつ独身の古文の先生に出会い、辛辣な言葉を親同席の三者面談で言われてしまい、泣く泣く勉強に励む日々になりました。(も、もちろん嬉し泣き)
「息子さんはこのままでは国公立大学なんていけやしません」
今思えばあの時、あの痛烈な言葉たちが無ければ自分は変われていなかったし、100%国公立なんていけなかった。たっちゃん、その性格を親の前でも貫いてくれて本当にありがとうございました。
ちなみに高校2年生の時、日本にタピオカブームのやってくる約5~6年前だったにも関わらず、文化祭にてタピオカミルクティーを販売し空前の大ヒットを生み出したその発案者は私です。
高校3年生になったらドラマの主役ができるのではないか(もちろん悪役)というくらい生きるGTO(くらい癖が強いってこと)おさじ先生のクラスにも光栄にも入り、益々勉強と恋愛に(!?)励む日々になりました。
この時に地元の派遣団としてアメリカ🇺🇸ウィスコンシン州メノモニーフォールズに研修で行くことになりました。
ノリで応募したのに希望者多数の中、ヘルプでお世話になった合唱部の桑原先生が面接官だったのでおそらくご贔屓いただき無事選ばれた…。こういう運の良さはマジで持ってます。
そして人生初の海外を五感で体験し圧倒されました。
高校での授業やホームステイ先での何気ない日常全てが僕に大きな経験と海外への憧憬を抱かせました。
こうして高校生も進路の選択の時期になり、親友との片道40分の自転車での帰り道にフラッと聞いた「北九州市立大学」を受けることに決めました。
親の影響で興味のあった地方自治や政治を専攻できるのと、教員免許が取れることが魅力的でした。
推薦入試の小論文では自信は全くなかったものの晴れて合格をいただき18年間愛し愛された田舎を去ることになりました。
大学生
こうして長く続いた反抗期と親元を離れ、無事に松山観光港からのフェリーに揺られ、着いた早朝の街「小倉」。
朝5時にオープンして12時には閉まるどぎどぎうどんのお店もあります。
暴力団や荒れる成人式の街として毎年ニュースを賑わすこの街に住むことになったビビりでちびりな僕はありがたいことに本当に多くの友人と、夢中になれた墓所場所「マクドナルド」にて仕事をする上で大切なことや尊敬する方々に出会えた。
マクドナルドでは大学1年生の頃からSWマネージャーという時間帯責任者に任命され時間帯関わらず早朝から深夜まで働きました。まさに24時間営業。色々やったんだけど、最終的には人材育成の成果で日本一を叩き出し、大学生にして日本初のグランドオープンのPDM(People Development Manager/人材育成担当マネージャー)を務めました。あの4年間で培った経験、情熱そして仕事の仕方は今でもずっと大切にしています。
そして何よりチームで働くということと、働くメンバーを承認しチームで成果を出すということを骨の髄まで学んだ墓所場所になりました。
そして、もう一つ大きな出会いを経験します。
ずっとなりたかった公務員のための勉強を受講した際に、ふと心の中のリトルのっちが囁きました。それはそれは甘い言葉で「お前はただ単に入社歴が同じというだけで隣の奴と同じ給料でいいのか?稼ぎたくないのか?」
自分の中で自問自答した挙句、公務員という選択肢を自分の中から除外しました。
ビジネスの世界に飛び込んでみたい、ただ自分は今まで何の就活対策もしなかった。そんな時に見かけたのが海外インターンの募集でした。
全然面白そうな内容がなかったのですが、自分にとって一際目を引く内容がありました。
それは一風堂を運営している力の源ホールディングスと北九州市立大学の産学連携の初の海外インターンシップの募集でした。
場所は常夏の国、シンガポール。前人未到の海外インターンシップ。
「担当する一風堂店舗の客数をどう上げるのか?」が命題となり、創業者や経営幹部に直接プレゼンさせていただく貴重な機会となりました。
とにかく現場、現地、よく食べ、よく歩き、知らない方によく話しかけたそんな2週間でした。
異国の地で正解のないことの答えを出すというインターンシップはきつかったけれど大きな収穫ばかりでした。
いまだにお声かけいただく尊敬しかない素晴らしい先輩方に出会い、僕自身の海外への憧憬はより一層強くなっていく一方でした。
「ここで働きたい、何がなんでもこの地にまた自分が駐在者として帰ってきたい」気付いた時にはその一心でした。
今思えばキャリアの観点で間違いなく僕にとって大きな人生の決断をしたタイミングでした。
社会人|一風堂
ここまで読み進めていただいた皆様、ありがとうございます。
ここまで挫折もなく淡々と面白くないジョークを挟んで参りましたが、一番面白いところがやってきました。
順風満帆に進んできた人生、そしてマクドナルドの功績もあって鳴物入りで入社した一風堂。
が、しかし、大きな挫折を経験します。
新卒で最初に配属された横浜のお店で僕はある日出勤できなくなりました。
完全にメンタルを病んでしまい、足が動かなくなりました。
今でも当時働いていた横浜のお店の前は通れない。
でもそこから優しい出会いに巡り合って再起することができました。
何がダメだったのかいくつか気付きを言語化するのなら
①他人と比べることで何も生み出さない
②過去と他人は変えられない
③未来と自分は変えられる
かな、身を持って体感しました。
それから関東一生産性低く利益も取れていなかったお店に異動し、約2年後日本一生産性が高く、客数前年比全国1位のお店を作り上げて、エリアマネージャーの話もいただくのだから、ほらね、やっぱり未来は変えられるんよ。
社会人|狭間の数社
それから数社経験し今に至ります。
めっちゃ割愛するやんと思われたと思いますが、ちゃんと仕事はやっていて新業態の1号店店長やその業態の0→1から更にグロースさせていくフェーズを経験したり、インサイドセールスで過去最高売上を更新し続けるなどどこに行っても求められる成果以上をずっと出してきました。
CityCamp, inc.
僕はなんで今CityCampの一員としてOFF COLAを売っているのだろう。
でも今この瞬間を選択した決断は結構あっという間でした。
転職の機運が高まる
前職はインサイドセールスをやっており、毎月過去最高売り上げやKPIの大幅な達成をチームで経験している状態でした。
そりゃあインセンティブもガポガポだったし、期末には大幅な昇給も経験しました。
ただ、何か自分の中で不完全燃焼感がすごかったんです。
自分のやりたいことなのか、今やっていることは将来に繋がっているのか、正直自分でもよく分からなくなり「ただ転職したい」みたいな転職がゴールになってしまった時期も経験し、でもうまくいっているからいいやと結局何もせずぼんやりと思い過ごしてました。
でも3社連続で自分をリファラル採用で引き抜き続けてくれた上司が退職するとなった時に、ふと自分の置かれている立場を考えるきっかけになりました。
自分の人生を誰かに委ねてはいけない、自分の人生に責任を取れるのは自分しかいない。そう強く感じました。
そしてこれまでコネや人脈で転職を選択し、必然的に楽な方を選び続けていた自分とも決別するために何も自分のことを知らない場所での転職を決意しました。
COOばっちさんとの出会い
まず、そもそもCityCamp株式会社との出会いはWantedlyです。
上場、スタートアップ、インフルエンサー、事業責任者、CxO…
ビジネス界ではこうしたキラキラした募集要項が多々ありますが、そこがなんと一堂に介した求人が目の前にありました。
"CityCamp株式会社か、カノックスターさんが映ってるから今風の会社なんだろうなあ"とぼんやり思った記憶があります。
そして印象的だったのは面接までのスピード感とばっちさんの金髪!
※今はピンクですのでびっくりしないでください。
これまでの実績などをめっちゃ根掘り葉掘り聞かれた記憶があります。
結果的にばっちさんのこともたくさん聞けて、いよいよCEOの松池が来るということで挨拶する運びになりました。
CEOキョースケさんとの出会い
予期せぬことでしたが、CEOのキョースケさんに出会うことになりました。
ダビデ保育所というキリスト系保育園を卒園した僕は幼少期以来にイエスキリストを見たのかと思いました。ただそこには間違いなく現代に生きる人間がいました。そう、それがキョースケさんだったのです。
ここまでのお話を整理すると目の前の登場人物は
・金髪成人男性
・イエスキリストばりの長髪成人男性
という何ともカオスな状況でした。
「どの船に乗るか」
それからしばらく経ち、原宿のとあるカフェでキョースケさんとは再会したのですが、サンドイッチを頬張りながら色々話したのを覚えてます。
「のっちはさ〜何がしたいん?」「ほんでほんで〜?」「なるほどね〜」「理解!」というキョースケさんがよく使う語録の連続でしたが、そこで「なぜ自分がCityCampにジョインする必要があるのか、自分には何ができるのか」を半ば強引に考えるきっかけになりました。
その中で未経験ながら、そして営業が嫌いだと先入観を持ちながらも、【卸営業】に興味を持ちました。
そして自分にとって今でもずっと心に残っているお話を聞きました。
この人この見た目に反して本気で夢を目指しているんだなと思いました。
一方で自分は何者でもない感であったりとはやりたいことが漠然でしかないんだと痛感させられました。
自分の中でもまだ転職自体は半端な気持ちでしたが、こういう人の元で働けたらいいなと思ったのを覚えてます。
CityCampの一員として動き出す(仮)
この規模のスタートアップにとって人を一人雇うことのリスクは想像以上に大きいです。
一旦3月から少し稼働してみようということでお試しで動き出しました。
ばっちさんから当時いただいたKxIは下記です。
とにかくやるしかない、その一心で動き出しました。
まずは店舗をとにかく回って現状の把握と課題の洗い出しを行いました。
新規営業ではなく、既にOFF COLAを置いていただいている既存店舗が中心となり店員さんからヒアリングを行うことが中心でした。
人生初の医療脱毛をした日キョースケさんからCityCampにお呼び出しをいただいて、正式に事業責任者として動いてほしいとの嬉しい内容をいただきました。
あの日、OFF COLAを飲みながらCityCampのテラス席でキョースケさんと梨泰院クラスのタンバムメンバー並みに語りながら話した日は忘れられないです。
遂にCityCampの一員として動き出す
ちょうど目黒川の桜が満開になった頃、事業責任者として日々自転車を漕ぐようになった時でもありました。
卸営業自体が初めて、BtoBの法人営業が初めて、メーカーが初めて、ここまでのスタートアップが初めて、そして土日休みが初めてという本当に初めて尽くしのスタートでした。
とにかく現場、店舗様を回って現状をヒアリングしながら、空いた時間で慣れない事務作業もこなす。投下した時間は果てしない時間だったと思います。
でも毎日ずっとOFF COLAのことを考え、自己成長と事業成長を考え、自分自身の全てを言葉の通り全身全霊でフルコミットさせて寝食を忘れるほど没頭し夢中になった日々が始まりました。
役職があっても何も変わらなかった
事業責任者となっても正直自分自身何か変わることはなかったです。
もちろん普通に考えたらそうなんですけど、役職とか年収とか他人からどう思われたいかだけ考えてきた自分にとって事業責任者の肩書を得ても何も変わらない現実に少し戸惑いました。
「OFF COLA卸事業部の責任者ののっちです〜」と挨拶に行っても、だからと言って尻尾をホイホイ振られながら迎えてくださることなんてほとんどないです。役職が偉かろうが、偉そうな役職であろうがなんては本当に関係なく、まだまだいちスタートアップのメーカーの営業職たる何者でもない自分は特に、でした。
でも僕たち一番関わっているシーシャ界では働いている方々の優しさに救われることが多かったです。
本当に優しい方が多いなあとつくづく思いお店に行くことで元気をもらうことも多かったですし、ますますシーシャの奥深い世界やカルチャーを知れてシーシャ界が好きになる一方で最近ちょっと困っています。
役職や肩書きだけで自分自身も変わらない、そして相手からの見られ方も思っているほど変わらない、これが現実です。
ただ変わることがあるとすれば「会社からの信頼と自分自身の中の責任感」だと思っています。
自分のアイディアや行動、小さな一石で数字的に大きな波及を生んだりと、反対に当然何もしなければ何も生まれないただ時間だけが過ぎていく状態にもなります。
それ自身も選べる立場にいるというなかなか稀有な経験をさせてもらっています。
その時にいかに成果や数字に寄与する選択をできるのか、その選択を迫るのが自分の中で渦巻く大きな責任感なんだと思います。
責任者という役職は当然この規模のスタートアップにおいて業績、ひいては会社自体の命運を握ることも多く会社から任していただいているという信頼も感じています。
「狂ってる」
自分はつくづく何者でもないと感じます。
これまで既にシーシャ業界の最大手のブランドにいくつも卸していたりするのはキョースケさんや歴代の繋いでいただいた方々の賜物であり、おそらく僕にはそういった自分の人脈やコネで繋いでいただくということは難しいことだと思っています。だからこそシンプルにすごいなあと思いつつも、では自分はどうするか、どうやってバリューを発揮できるのか、何者でもない者なりに色々考えてみてます。
でも考えても現実は変わりません。よくある言葉で「人生は思った通りではなく、行動した通りになる」と言われます。その通りです。
サウナで自分のぽっこり気になるお腹を見つめても現実は変わりません。家に帰ってカロリーを抑えて運動するしかないのです。
僕は何者でもないからこそとにかく「行動すること」を大切にしています。
狂ったようにスピードが速い時があります。たまに向かう先が違ってたりすることもありますが。そして爆速すぎて通り過ぎてしまうこともありますが。でも、とにかくやるしかない時はやるしかないんです。
そんな行動ファーストな僕をみてキョースケさんから「のっちって狂ってるよね」と言われました。これ僕的には最高の褒め言葉でめっちゃ嬉しかったです!
自分が休むと事業成長が止まる
4月は前職もフルタイムで出勤しながら、勤務後や休日をOFF COLAの営業にフルベットしていたこともあり、体調管理が行き届かず、結局高熱を出して休んでしまいました。本当に身体がキツくて何もできないという状態で、とにかく情けなかったのを覚えています。
そこで感じたことがあって、自分が休むと事業成長が止まっているという感覚に陥っていることに気付きました。でもこれは案外真実で、卸事業部としての目標や1兆円企業になるためには正直1分1秒も無駄にできない状況なのです。
結局3日程度何もできずにお休みし、その後も鼻声をかなり引きずりました。小学校の時の隣のクラスの担任が「我慢はしろ、無理はするな」と話してましたがまさに無理をしてしまったのかもしれません。
初月で過去最高売上を樹立
でもなぜ無理をしてでもやり抜きたかったのか。
それは自分のエゴでしかないのですが「初月で過去最高売上ギネスを叩き出してやろう」とメラメラ燃える自分の気持ちがあったからです。
色々悪戦苦闘しながらも、自分なりに行動して戦略を立てて、事業責任者として闘いました。
何もかも自分ゴト化して自分から動かさないと誰も動かない、動かせないと痛感した日々でした。
そして2024年4月部署として過去最高売上ギネス記録を樹立することができました。
自分のアイディアが、自分の行動が、伝えた想いが売上になり成果になりました。
ただ喜んだのも束の間すぐに次月の戦いが始まります。毎日が正念場なのです。
"1兆円企業"を目指して
日本に1兆円企業は145社あります。
僕たちCityCampはそこを本気で目指しているのだから面白い。
笑ってないし笑えないけど本当に面白い。
正直、働いているメンバーの熱量は火傷するくらい高いし、能力も高い。
キョースケさんが採用の時に大事にしているのは「素直でええやつ」で本当に今CityCampにコミットしているメンバー全員がそんな人です。敢えて書きますがもちろん僕も含めて。
そしてみんな本気でガムシャラに「1兆円企業」を目指して働いてます。
正直どの部署もどのメンバーも求められているレベルはめちゃくちゃ高い。
今自分たちが持っている視座や能力を1,2段階あげてやっと辿り着けるかどうかのところです。
でもめちゃくちゃやりがいだったり、自己成長もあります。
「早く行きたいのなら一人で行け、遠くに行きたいのならみんなで行け」
僕たちの大きなゴールの一つである「1兆円企業」はみんなで行くしかない選択肢です。
一緒に働く仲間を募集します
そんな僕たちのCityCamp株式会社で働くメンバーを募集しています!
僕たちにはもっともっと遠くへ行くために仲間が必要です。
まず簡単に会社のことを説明させていただくと僕たちは「なんもしないをする」というビジョンを掲げてます。
あ、ご察しの通りこの世界観の実現のためにめっちゃ仕事はしてます!!
めっちゃ伸び盛りのCityCamp株式会社の事業部は下記セグメントに分かれております。
CityCamp事業部
OFF COLA事業部
web
卸
生産管理・流通管理
CityCamp
CityCamp事業部は、"恵比寿の焚き火バー CityCamp"を運営する事業部です。飲食店というより、イベントスペースとしてのハコです。
恵比寿駅からそこそこな坂経由で徒歩3,4分くらいで、そこそこお洒落で、そこそこ広い空間です。手前味噌ですが結構人気店です。
気になるあの子と焚き火を眺めてもよし、エアシーシャを吸ってもよし、VIP席でシャンパン開けてもよし、そして僕が大好きな梨泰院クラス並みにエモいテラス席で黄昏てもよし。
OFF COLA
OFF COLA事業部は、弊社開発のクラフトコーラをweb(BtoC/EC)と卸(BtoB)で売っていく事業部です。Amazon,楽天をはじめとしたモールハック、SNSやSEO等の色んな企画でマーケ。大型酒販店・代理店を通した卸販路dev、個店営業による直卸dev。それら全てに係る生産管理・流通管理。ちなみにめちゃくちゃ美味しい。若手では日本トップクラスのパティシエ"林巨樹" さんがレシピ開発と味の監修しています!今を生きるビジネスマンの主食「BASE BREAD」の監修でも有名です。
一度きりの人生、誰の人生を歩むのか
「そんな1兆円企業なんて馬鹿げた夢じゃん」「ベンチャーなんてやりがい搾取じゃね?」「流行りに乗ったどうせ今だけでしょ」
そうやって心無いことを思っていただくことも結構。でも間違いなく僕たちは本気で「今」を生きています。単にCOLAを売ってるんじゃなくて「なんもしないをする」という世界観を創っているんです。
ちょっとでも興味を持ったら応募してきてほしいです。
確かに1兆円企業なんて想像できないですよね。
雲の上すぎてまだ触れてもいない気がします。
でも、今働いているメンバーとならとてつもないとんでもないところに行けそうなんです。
メンバーだけではなく、関わってくださっているお取引様、愛飲してくださっているお客様、応援してくださっている皆様のお力添えもあり、なんだかんだ根拠のない自信で溢れています。
そしてその状況を誰かが作ってくれるわけでもなく、自分たちで作っていくんです。こんな状況なかなか無いです。自分たち次第、まさにUP TO YOUな世界です。
人生は選択の連続、そしてその結果が今です。
どこに向かうのか、誰と向かうのか、そしてあなたは誰の人生を歩みますか?
STAY GREENで在り続ける
自分の選んだ選択を正解にする
こないだ友人の結婚式で久しぶりに地元に帰ったんです。
いつ帰ってもなぜか地元って久々感がないですよね。あの感覚なんなんだろう。ちなみに挙式の時間をすっぽかしてしまい、優雅にスタバのベンティーサイズ飲みながら式場着いた戦犯者は私です(ほんまごめん菊池)
この地に帰ってくると自分が弱くなる感じがします。
エモーショナルになるというか、よくわからないけど弱くなる気がします。
一方で大学時代を過ごした北九州に帰ると、昔の自分と比較する原点のような場所の感じがしてこれもまたエモーショナルになる自分がいます。
そして東京に帰ってくるとなんか強く見せようとしてる自分がいる気がします。めっちゃ熱い仕事への意気込みを語っておきながら、Instagramのストーリーズを観ながらぼんやりしっちゃたり、気付いたらYoutubeを観てるなんて時間もあります。そんな完全「OFF」な時間も持っているのにキラキラしたシーンばかりをSNSにはあげちゃいますよね。
別に誰かにすごいと思われたところで自分の価値は一切変わらない、その逆も然り。
でも自分自身を好きでいることや、自身の選択を正解にしていくっていう努力はしていかなくちゃいけない気がします。
誰かのせいにして他責で生きていくほど、不平不満を言いながら進んでいくほど、本当に今は暇ではない。ワーカホリックと言われても、仕事中毒と揶揄されても、自分の選択で自分がしたい仕事や時間の使い方を全て自分の意思で行なっています。
フルコミットしないと得られない経験が、体験が、そして景色が多分あるんだと思います。だから僕はこのまま進みます。
もし上の文章をここまで律儀に読んでもらって少しでも面白そうとかワクワクするとかそんなことを思ってくださる変人がいらっしゃればぜひ連絡ください。連絡先はこちら
STAY GREENとは
マクドナルド創業者のレイクロックが残した言葉の一つです。
「木々が一番成長するときは青々とした時だ。一方で熟してしまうと綺麗な色と実にはなるがあとは熟れて落ちるだけ。つまり一番成長する時のままで謙虚で素直でいよう」という意味です。もっと分かりやすい日本語だと「青二才」のような感じです。
僕はずっとこの言葉を大切にしていて、きっとこれからもずっと大切にしていく言葉です。
僕がこの規模のCityCampにジョインしたことは、自分自身もCityCampも伸び盛りの一歩手前、まだ芽が出たばかりの発芽的なポジションにいると思います。吸収するものが多く、本当に1日が一瞬で終わっていきます。気付いたらこの記事を書き始めてもう数日が経っていました。もちろんタリーズコーヒーで寝泊まりをしているわけではないので今は自宅のベットの上で書いてます。
松池キョースケという狂気
発芽に太陽と水と酸素が必要なように、僕のこれまでの成長と事業に全身全霊でコミットしようと思ったきっかけになった人物がいます。
CEOの松池です。
イエスキリストとして本記事にも出てきましたが、そのくだりの人物です。
陰で教祖とお呼びしているのは秘密ですが、人のことを狂っているという割にキョースケさんご自身が本当に僕の狂気を超越するレベルで狂ってます。
本当に事業成長以外興味がないのではないかと思うくらい、全ての思考や行動が事業成長に繋がるかどうかというロジックで生きてます。(たまに気分)
恵比寿在住(本人曰く家賃5万円)で普段の移動はLUUPの自転車タイプ、ご飯もコンビニなのか食べていないのか、やっぱり誰よりもCityCampのことと息するように事業成長のことを考えています。よく笑い、特徴的な笑い方で近くの方もユーモアに巻き込みます。
正直、自分の知っているレベルでここまで事業成長にフルベットしている方を知らない、というかここまで経営者と近くで働かせていただいたことはありません。
4月は有難いことに毎日キョースケさんとの定例ミーティングがあり自分のいちビジネスパーソンとしての戦闘能力もだいぶ引き上げていただいた気がします。
人は人との出会いでしか磨かれない。
キョースケさんとCOOばっちさん繋がりで日々多くの方々にお会いさせていただいてますが、結局のところすごい人に会うことでしかすごい人にはなれないんだと思います。
こういう報酬や福利厚生ではない言語化されない目に見えない価値もめっちゃ感じられる環境です。
※これを言ったらなんかブラック企業っぽくなってしまった。
事業成長こそが報酬
仕事の報酬は仕事でくるとよく言われます。
社会人をもう6,7年くらいして痛いほどのその意味が分かります。
今の僕に置かれている状況は自己成長も重要だけど、それ以上に事業成長という判断軸を自分の中で持つことができているのかももっと大切になります。
COOのばっちさんはここにめっちゃ長けていて、必ず主語が自分よりも「事業」や「目標」がきます。
僕自身も自分の中に自分以外の主語「CityCamp」や「OFF COLA」が持てているか、持とうとしているのか、改めて自問自答しながら仕事をします。
事業成長にフルベットできるこの環境に本当に感謝すると共に結局のところ自分自身も高めていくしかないと感じています。
何を見て、何を聴いて、何を勉強して、そして何に繋げるのか。その先にあるのは事業成長と1兆円企業として君臨するCityCampです。
頑張るではなく結果を出す
なんかすごい頑張ってますみたいな文章になってしまったので、最後にあれですが「頑張るではなく結果を出す」
前職でお世話になった(迷惑をかけた)社長がよく使っていた言葉です。
何時間でも働けるし、何店舗でも1日中回ることができる今で、もちろんやらなくちゃいけないことも、やりたいことも本当にたくさんある。
その中で自分の選択が「成果」に繋がっているのか。ここはぶらしちゃいかんです。さっきの事業成長の軸とも似ているけど、1店舗挨拶行くにしてもその挨拶で何かが変わるのか、意味のある挨拶だったのか、極論その挨拶で事業は成長するのか。
無論、事業成長に繋がらないことや時間もあるのは承知で、ただ極限まで自分自身の「やらなくちゃいけないこと「やりたいこと」の精査はしていく必要があります。
でも分からないんだったらとりあえず突き進んでみてもいいんじゃないすか、とりあえずやってみたらいいんじゃないですか。
だって実際僕は何も分からないのでとりあえず動いてます。
最後に
いよいよ最後ですが、結局誰もいなくなったオフィスで最後の執筆活動(あ、こういうとカッコいい)に励んでいます。
本当に書きたいように書いてしまったなと少し反省しています。
でもこれでいいんだと思います。
もう失うものもなければ、目の前にはやるしかない世界線の中で、「なんでもできる街で、なんもしないをする」のために今日も「なんでもできる街で、なんでもする」をただひたすらにやっていきます。
オフィス閉めました。