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だまって飲んでくる男、後で知って怒る女

我が家が我が家に成る前、私たちには大きな課題であった。わたしは、「嘘がバレない可能性に賭けたい」派である。バレなければ何もなく事がすぎるし、それに越したことはない、そう考えていた(たとえば黙って飲み会に行くなど)。一方で、妻は「どうせバレるなら最初に伝える」派である。嘘がバレるリスク(時に嘘は身を滅ぼす!)を犯すくらいなら嫌な顔をされても正直に言う派である。この見解の違いにより、私たちが出会った当初は多くの揉め事が生まれた(何度も協議が行われた結果、手軽に予定を伝えられるように、お互いの予定を同じスケジュールアプリにいれ、共有できるようにした)。
 しかし、子育てにはこの特性の違いが活きることもあるようにも感じる。たとえば子どもを公園で遊ばせる時、我が家では、妻は、安全性に重きを置いて(リスクを侵さない!)とてもよく子どもを見ている反面、慎重になりがちで、危険な遊びをさせたがらない傾向がある。一方、私は子どもが転んでもあまり気にせず(少し転んでも大丈夫だろうと基本的には大怪我はしない可能性にかけている)遠目に見ている(周りの方々にたまに心配される汗)。しかし、それが子どもにとってはよいこともあるようで、自然と転び方が上手になったり、少し難しそうなアスレチックなどの遊具に臆せず挑んでいくようになる(やや無謀なチャレンジもあるが汗)。
 こう考えると、なんやかんやで父親にも存在意義というのはあるのだなぁと感じる(決して自己満足ではなく汗)。いや、きっと存在意義はあるのだと思う。私自身、実は小さいうちに父親を亡くしており、父親というのがどんなものか知らずに育ったのだが、割と自然体で子育てできていて、自分なりの父親像ができつつあるのかもしれない。そう考えると、今自分の置かれている環境には感謝しなきゃいけない。特に、妻、娘たち、母には。

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