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55日目(大事件)

ランドセルは突然に

夕食を作っているときのこと、長女に次女の様子を見るように伝えて夕食作りをはじめて10分ほどしたとき、食卓を片付けようとして上に置いてあったランドセルに目をやると、大惨事が起きていた。油性ペンをもった次女がランドセルをキャンバスにしていたのだ。一瞬何が起こったか分からず、私は絶叫した。
「何をしてるの?」
「どうしてみてないの?」
その後のことは半分記憶が飛んでいる。長女はランドセルを見て、情けないやら、叱られて悲しいやらで号泣。怒鳴られた次女も号泣。阿鼻叫喚。私はなおも怒りを爆発させ、長女に次女を見ておくように指示。長女が「自分のバカ」と言って自分の頭を叩き出したので、それは何とかやめさせた。みんな脳が破壊されていたと思う。子どもも親も脳を傷つける子育てとなった。

汚れを落とす方法1

何とか気持ちを落ち着かせて
ランドセル 油性ペン 
という検索ワードを入力すると、四つの方法が出てきた
1 サラダ油
2 中性洗剤
3 エタノール
4 タバコの灰

早速1を試す。思ったよりよく落ちたので、キッチンペーパーにサラダ油をつけてとにかく何度も何度もランドセルの表面を擦った。2階で二人が泣いているのが聞こえたが、無言で続けた。泣きながら長女が次女を何とかあやそうとして、また泣いて、またあやして、無理に次女を制して今度は次女が泣いてというようなやりとりが続いていたが、無視してさらに続けた。

かあちゃんの帰宅

ある程度汚れが落ちたところで妻が帰宅。ランドセルを見せたら言葉を失っていた。二階に上がって二人を慰めに行くと、さらに二人の泣き声が大きくなった。かあちゃんの姿を見て安心したのだろう。

汚れを落とす方法2

ある程度汚れが落ちたところで長女が様子を見にきた。思ったよりも汚れが落ちていて、少し安堵していた。「もう少し落とさないと」とわたしがいうと、「もう大丈夫だよ」と、気を使っていた。だが、私の気がおさまらないので、作業を続けた。今度は2の方法を試した。さらに少しだけ汚れが落ち、最終的に仕上がったランドセルの姿が次の写真。

よくぞここまで頑張ったと思う。夕食の準備は完全に中断し何とか学校へ持っていける姿になった。しかし、よく見ると、写真ではわかりにくいが、薄くたくさんの線が残っている。仕方なく、業者へ修理に出すことにした。

ふりかえり1(なぜ起きたか)

そもそもどうしてこのようなことが起きたのだろうか。もう一度整理してみた。
1 ランドセルをしまわなかった。
2 なぜ油性ペンが出ていた。
3 長女が次女を見ていなかった。
4 妻の帰宅前に私が料理を始めた。
とりあえず、思いつく原因はこの四つだった。1については、防犯ブザーに悪戯をする次女への対策として、帰宅したらまず食卓の上にランドセルを置かせていたのがよくなかった。翌日の準備と宿題をさせてすぐに片付けさせればよかった。2については謎である。誰も出していた覚えがないからだ。筆記用具の置いてある棚から自ら出したことも考えられるので、油性の置く位置は変更した。3については上記の通り。そもそも、「お腹減った」と言った長女に、「夕食作るから次女を見ていてね」と声をかけていたのにも関わらず、動画に夢中になり、次女の動向を全く見ていなかったことは、フォローのしようがない。よき教訓として、次から気をつけていただきたい。それは、1も2も同様だが。4については私が反省しなければならない。1-3に対する見通しと環境整備が甘かった。

ふりかえり2(そんなにランドセルが大事か)

そもそもランドセルに対して、私自信が、こだわりが強すぎるのも良くなかったように思う。たしかに大事な大事なランドセルで、汚れないように専用の棚を確保したくらいだ。しかし、その管理に関して、娘に任せたなら私が叱っても仕方のない話である。振り返ってみると、親として、娘と、問題の分離ができていないと痛感させられたら出来事でもあった。さらに、ダメージを受けたのは人ではなくモノである。私の自意識が、モノによって大きく掻き乱されてしまったばっかりに、冷静さを失い、怒鳴り散らしてしまった。これは、本末転倒である。たしかにランドセルは大事だ。でも、ランドセルは何とかして直す方法がある。一方で本当に大事なのは娘たちであるはずだ。そのために脳が破壊されるくらいまで怒鳴り散らしていたのであれば、それこそ取り返しがつかない。そのことについては、自分自身が一番反省しなきゃいけない。モノによっては自分が支配されたばっかりに、本当に大事なものを見失うことはいくらでもあり得ると思った。考えてみると、優先順位を見失った結果、経験した苦い過去がいくつかあるように思えた。

このことから見えたこと

突き詰めると、きっと私たちが働く意味にもつながるように思う。私たちが何かを犠牲にして働いているのだとしたら、その犠牲は何なのかよく考えた方が良いと感じた。本当にその仕事は私がすべきことなのか、あるいはしなければいけないのか、する価値があることなのか。私は、人間性を失ってまでやる仕事には意味がないと思うが、時としてそのことを忘れてしまうし、楽しいからつい夢中になってしまうこともある。でも、仕事自体の価値を見つめ直し、その結果、誰かを傷つけたり失ったりしまわないように、もう一度落ち着いて整理してみたい。日々のせわしい雑踏の中で見出せる少しの時間があるのだとしたら、そんなことに費やすべきだと取り留めもなく思った。


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