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70日目(泥団子)

マイブームを打ち砕く次女

最近、個人的に泥団子作りがマイブーム。次女がお砂場遊びするとき、大抵、私は横で泥団子を作る。ところが次女は泥団子を持って投げるのがブーム。せっかく作った泥団子は、あっという間に砕け散る。

長女は泥団子の先生

長女は幼稚園時代から泥団子作りの名人。私自身も泥団子作りは長女に学んだ。この日も公園で泥団子作りに励む長女は光るまで磨きあげて私に誇らしげに見せた。

泥団子完成とその後

ところが時計は五時。我が家も友達も帰る時間になった。長女は持って帰りたいと言ったが、自転車で来ていたので断念。公園の木陰に隠すことに。ところが木陰が坂道になっていて、泥団子は道路に転がっていった。最後は段差から落ち、見事に砕け散った。

泣きじゃくる長女

緊張の糸が切れたのか、長女は号泣しながら戻ってきた。みんなきょとんとした顔で長女を見る。大きな声で「泥団子壊れちゃった」と言い、なかなか泣き止まない。そこに妻が登場。ハグされて何とか気持ちを落ち着かせるも、不機嫌なまま。「ご飯食べたらまた作りに来よう」と声をかけると、長女は不機嫌なまま先に家へ帰っていった。長女は少し時間が経つと、何事もなかったかのように落ち着いていた。夕食後に、もう一度公園に行くか尋ねたが、公園へ行くことはなかった。

壊す行為の意味

私たちは何が壊れる瞬間、とても悲しい気持ちになると同時に、何かすっきりした気持ちになることはないだろうか。また、失った時に初めて失ったものの大切さに気付くことがないだろうか。私たちはただら作るという行為だけでは何かの大切さに気づき、主体的に動こうとすることはできない。そこに、壊すプロセスがあるからこそ、本当の主体性が生まれるのだ(こんな解釈で良いのかはわからないが、「発達」161号の河合俊雄さんの記事を見てとても面白いなと思いました)。次女の場合、まだ、「壊れる」意味には気付いていない。他方、長女ははっきり気付いている。しかし考えてみると、長女にも何かを思いっきり散らかす時期があり、その時期を経て今があると思うと、なんだか感慨深い。「ちらかしぼうや」にでてくるお父さんの顔とセリフが頭に浮かんだ。

「いいとも いいとも」
と、おとうさんは いいます。
「もういちど、さいしょから はじめるさ」

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