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「心が動く」とは何か

Aさんは、庭のみかんの木にアゲハの終齢幼虫が4匹いるのを見て、心が動いたという。今は寝たきりのお母様が、みかんの木を大切にしていて、小さな幼虫を見つけるたびに潰していたため、育った幼虫を見ることがなかったらしい。

また Bさんは、自分が育った頃は人の土地に入ったり、ビワの実を勝手に食べたりしていたと言う。今はそんなことをしてはダメな雰囲気があると。

長久手文化の家で行われた哲学対話に行ってきた。
自分の気づきをメモしておく。

見える世界が違う

哲学対話の前の基調講演は、東大先端研の神崎先生のこんな話だった。
人間が見ている世界と虫が見ている世界は違う。同じ色を見た人間どうしでも、脳の反応の仕方に個人差があるらしい。

アゲハの幼虫と土地境界

同じ幼虫が、Aさんのお母様にとっては害虫に見えていて、Aさんにとっては成長する命に見えていた。
大人になったBさんには、子どもの頃に見えなかった土地境界の線が見えるようになった。

まさに見えている世界の違いだ。
私の日常生活でも、見えている世界の違いを感じることがたくさんある。それを前提に相手に配慮しようと思っているが、数十年生きてきた人どうしだから、年輪のように重ねてきたものがまるで違う。理解するのは難しいと感じることが多い。

子どもの見るもの

子どもが人の家の花を摘もうとするとき「やめようね」と止める。
でも、私には他人の所有物に見えているものが、子どもにはそう見えていないのだ。花は花。区切りのないひと続きの世界。私がもう見ることのできないそれは、なんだか豊かな気がする。

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