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59日目(運動会)

留守番

今日長女の運動会であった。今年はコロナ禍で、家族の中で二人しか参観できないので、長女に、父、母、ばあばの中で誰がきて欲しいか聞いたところ割と迷いなく母とばあばを選択した。私はそんなに観に行くことにこだわりがなかったので次女と遊んで待っていたのだが、やっぱりちょっと気になって門の外からかけっこの様子を覗きに行った。とはいえ、遠くからだったので長女がいつ走ったのかすら分からなかった。

動画

なんやかんやで動画が見られれば良いかという思いがあり、見に行った二人の収穫を期待していた。帰ってきたらうまく撮れていなくてすこしがっかりした自分がいた。運動会を運営する側にとって、カメラは結構厄介で、拍手や応援をして欲しいし、生の様子を楽しんで欲しいという気持ちが強かったので、少し複雑な気分である。これが親心というものか。

文明の功罪

子どもが一生懸命何かをしているとき、できれば機械越しではなく、肉眼で見るべきだという気持ちに変わりはない。むしろ、その場にいるということは、五感(どころかあらゆる感覚)で感じることができるからだ。一方で、その場で見られない人に動画が送れるのは本当に便利な世の中だなと感じるのもまた事実だ。

本当の意味で記録することはできない

どうやら、わたしは、動画を撮ればその時の様子を完璧に記録できると勘違いしていたようだ。動画は所詮、その場で感じられることの極々一部に過ぎない。動画に残っているからといって、その場の様子が全て記録され、それさえ見ればその場を全て思い出すことができるわけではない。また、その動画を見てその場にいる気持ちになるのは良いが、それだけでは、その場を理解したことにはならない。だからこそ、私は現地に赴いたのだと思う。残された動画の素材や画像と、門の外から見た運動会で感じた匂いや風とを合わせてみて初めてその場を理解するスタート地点に立ったに過ぎないのだ。

帰ってきた長女

1日の手応えを長女は話してくれた。そしてその表情はスッキリしていた。私はとても安心した。長女の気持ちを想像してヤキモキしていた自分に気づいた。結局、運動会のことを知るのに一番手っ取り早かったのは、長女の帰宅を待つことだった。


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