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家事労働を所得に換算することの惨めさについて

少し前の朝日新聞の記事で、男性記者の育児体験談のようなものがあった。

妻が育休から復帰して、保育園の送迎などを分担したら以前のようには働けなくなり会社での評価が下がるような気がしてもやもや。妻に当たって自己嫌悪に陥ったことも。

これは記事の一部分で、その後も改善を続けているという話だったと思うのだけれど、すごくもやもやした。それでしばらく考えていて気付いた。

妻の育休中は、子どもにかかわる仕事を全部妻が担って、夫は子どもが生まれる前と同じ働き方をしていた。それで子どもが生まれる前と同じ評価がされていた。妻の職場復帰に伴い育児を担うようになって下がる評価があるとすれば、それは妻への評価だ!妻に下駄をはかせてもらっている自覚がなく、すべて自分への評価だと思っているから、この男性記者はもやもやしたのではないか。(この男性にもこの男性なりの言い分があるはず。)

昔のドラマなんかを見ると、妻の夫へのサポートがすごい。家事育児を一手に担いながら、夫の身だしなみから出張の荷造り、折々の上司への贈り物、冠婚葬祭対応……こういうのが会社での評価に直結したのだろうな。子どもの誕生日にお父さんが不在でも、「お父さんは私たちのためにお仕事を頑張ってくれているのよ。」みたいな。まるで家族みんなで「一人のサラリーマンを経営している」みたいだ。近年は、ここまでのサポートをする妻は少なくなっているとは思うけれど、(少なくとも私と夫は違う。同世代の友人たちも違うと思うけれど、結局それぞれの家庭の中は見えない。)専業主婦のいる夫側に、「妻のおかげでこの働き方ができている」という自覚があるかないかは、妻の夫への愛に大きく影響しそうである。

我が家は、私が仕事で夫は休暇ということもある。痛感したのは、シュフがいるというのはとても価値あることだということ。とてもありがたいことだということ。仕事に出かけるときに子どもの登園準備をしなくてもいいし、戸締りに気を使わなくてもいい。干した洗濯物の心配も夕食の段取りも買い物もしなくていい。たったこれだけのことでも、想像以上に楽なのである。さらに、子どもが熱を出す、役所に行く用事がある、家電が故障した、こういうときに自分が休みを取ることなしに対応してもらえる。そもそも部屋を清潔に整えることや、健康的な食事を摂ること、消耗品がなくならないように補充すること、いつもどおりの生活を続けることは、細やかな気配りと大きな労力が必要なのである。専業主婦が楽をしているとたたかれることもあるけれど、全然楽じゃないし、とても尊いことだと思う。(本当は合理的とか経済的とかも言いたいけれどやめておく。)

主婦の労働を収入に換算するといくら、というのが定期的に話題に上るが、私は違和感を覚える。もちろんこういうデータをきっかけに、夫婦の家事分担を見直すとか、負担感を共有するのであれば悪くない。でもこれって、無償の労働を金銭という「男性が理解しやすい尺度」で測ったもので、男性に「認めてもらう」ことが目的なのだ。家事育児は、金銭には換算できなくても、男性に認めてもらわなくても、尊い仕事だ。この価値観を社会全体で共有できると、女性はもちろん「稼げない者は人にあらず」と考えがちな男性も楽になるのではないかと考えている。

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