見出し画像

アート思考とは No.1

デザイン思考とアート思考

創造的な思考プロセスをメソッド化した「デザイン思考」と「アート思考」。「デザイン思考」は少し先進的な取り組みをしている企業ならば内側で定着し、実践されて始めている感がある。一方「アート思考」については言葉がようやく普及しはじめた段階で、定義はまだ曖昧なのではないだろうか。一つの例として、(株)Saltでは以下のように整理している。(→参照

スクリーンショット 2020-01-07 11.04.01

この2つの思考法は視点・立脚点の違いであるとし、どちらが優れているというわけではない。両者を使い分け、あるいは掛け合わせて、商品・サービスは両者を掛け合わせて考えることが重要なのである。

やっかいな問題に取り組むときの思考法

正解のない社会で、企業や個人が取り組まなくてはいけないのは、ホルスト・リッテル(Horst Rittel)が提唱しリチャード・ブキャナン(Richard Buchanan)が取り上げたことで広まった「厄介な問題(Wicked Problem)」である。「厄介な問題」は、解き方が不明で、答えがなく、さらに客観的な正解・不正解の判断が難しい問題として定義される。このようなVUCA時代の問題に対して、企業レベルではどのように取り組んでいるのだろうか。
企業では生き残りのために、既存の価値観・枠組みに囚われない独創的なイノベーションが求められている。ただし、ロジックやサイエンスのアプローチだけで意思決定を行っていくと、他社と同じフィールドで戦うことになり、差別性のあるものを生み出せない。(このあたりの話は山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』に詳しく記述されている。)
ロジックやサイエンスによる既存のフィールド/価値観の中での最適化にかわるアプローチとして提唱されているのが、新しい未知のフィールドをつくりだす戦略である。ダブリンシティ大学のイノベーション論を専門とするPeter Robinsはこの考え方を「既存のシナリオ上のA地点の延長戦上のポジションA +を目指すのではなく、別の最上と思われるポジションBをつくり出すこと」と表現している。
この考え方は、「与えられたゴールに向かう解決策」を考えるのではなく「問い」を自らつくることから始めるアーティストのような思考である。Robinsが論文の中でたびたび言及し、「実質的に初めてアート思考とうい考え方を打ち出した」(Robins)というAmy Whitakerは、著書Art Thinking(2016)の中でアート思考のフレームワークとして「成果目標よりも自らが立てた「問い」を道しるべとして行動するべき」と主張している。そして、この『問い』は企業の存在理由、個人の能力、もしくは人間としての経験から発するものだと述べている。

アート思考の教育やキャリア開発への活用

「与えられたゴールに到達するための解決策を考える」のではなく「問い」を自ら作っていくアート思考は、VUCA社会で個人が自らのキャリアをデザインしていく時にも有効なのではないだろうか。「個人のキャリア」という課題もまた、解き方が不明で答えがなく、客観的な判断ができない「厄介な問題」だからである。
13歳からのアート思考』(2020)の著者・末永幸歩はRobinsや Whitakerと同様に、アーティストを「正解を導くだけの人ではなく、『問い』そのものを生む人」とした上で、さらに「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探求を続ける人」と述べている。末永が繰り返し強調するのは「自分の内側にある興味・好奇心」を見つけ出して、追求していくことの重要性である。このことは、正解のない現代において、アーティストやビジネスマンに限らず、すべての人にとって重要なことだと末永は主張する。
『13歳からのアート思考』についてもう少し言及したい。この本で末永氏は、アート思考を教育的な観点で捉え「すべての人に役立つ、自分なりの見方ができる能力」としている。
具体的には、アート思考を構成する要素を「興味のタネ」「探求の根」「表現の花」という3つの言葉で表現している。興味のタネとは、自分の中に眠る興味・好奇心・疑問、探求の根とは、自分の興味に沿った探求の過程、表現の花とは、そこから生まれた自分なりの答え、という定義だ。
この3つのうち、アート思考の本質は表に出ない「興味のタネ」と「探求の根」だというのが末永氏の主張なのである。

スクリーンショット 2020-07-20 18.08.21

(続く)

#アート思考 #とは #13歳からのアート思考

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?