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初めてゲームを買ってもらった日のこと

コロナウイルス感染拡大防止のため家にこもる人が多くなり、任天堂の売り上げが2倍になったというニュースを目にした私は、もう10年以上前のある出来事を思い出した。

2006年、11月、7歳の誕生日。
私はこの日を心待ちにしていた。

当時小学1年生だった私は、ニンテンドーDSが欲しくてたまらなかった。

クラスでは「おいでよどうぶつの森」「ポケットモンスター ダイヤモンド/パール」などが流行していたし、大半がニンテンドーDSを持っていた。

しかし私は誕生日が11月と遅く、家の方針で何か特別な日でないと大きな買い物をしてもらえなかったのでDSを持っていなかったのだ。

誕生日のずっと前から、私は親に「DSがほしい!」と言い続けた。そしてどうぶつの森を持っている友達が羨ましいことも何度も親に伝えた。

誕生日を迎えるまで、ずっと何をもらえるのかドキドキしながら待ちきれない思いだったことをずっと覚えている。

当日、親は祖父や祖母など親戚を招いて家でパーティを開いてくれた。特別な服を着て、家のダイニングにみんなで並んで座って誕生日パーティをするのは我が家の習慣だった。

私はずっとそわそわとして、もらえるかもしれないDSのことを考え続けていた。

パーティも終盤になった頃、親は私への誕生日プレゼントとして小包を取り出した。おもちゃ屋さんか電気屋さんの、可愛い包装だった。

私ははやる気持ちを抑えながらゆっくりと包装紙を剥がした。

すると中からあらわれたのは、白い機体の写真がプリントされた、ニンテンドーDS liteの箱だった。そしてさらに「おいでよどうぶつの森」のソフトが一緒に入れられている。

嬉しくて涙が出そうだった。
やっとみんなと一緒にどうぶつの森ができる。みんなみたいにゲームができる。

豪勢だった料理の片付けをする親の隣で、私はニンテンドーDSを立ち上げた。少しだけ親に手伝ってもらいながら初期設定を済ませると、すぐにどうぶつの森をプレイすることにした。

どうぶつの森を初めてプレイするときは、その村に引っ越す途中という設定でストーリーが始まる。タクシーの中で「どこの村に行くんだい?」「名前は?」などと訊かれて初期設定を済ませていく。

私はその過程の中で、どうぶつの森の世界に没頭していくのを感じた。

今日から私はこの村にひっこすんだ。

そんなふうに思った。

親から「今日はキリのいいところまでね」と言われた私は、たぬきちのバイトを終わらせるまでプレイし、名残惜しく思いながらも、セーブして真新しいDS liteの電源を切った。

あれから14年、今年21歳を迎える。コロナウイルスでイベントが次々と中止になる中、私は「あつまれどうぶつの森」に魅了され続けている。

あの頃仲良くしてくれた住民たちはもう私のことを覚えてはいない。
でも、私は今の自分の島の住民が好きだ。

世間では人気の高いキャラクターは高値で取引されたり、人気の低いキャラクターを追い出したりしている人はたくさんいる。それは各々自由な遊び方をしていい。それもあつ森の魅力だ。

でも、私はどうしても昔のように純粋な気持ちになって遊んでしまう。

みんな、私と一緒にこの島に住む大事な島民なんだ、という気持ちになってしまう。

この前の花火大会のアップデートも、近所の花火大会がなくなったこともあり、本当の花火大会のように全力で楽しむことができた。

これからもたくさんのアップデートが続くだろう。そのたびに私は、7歳の誕生日のことを思い出すはずだ。


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