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FORTUNE OF MISFORTUNE

KAZU SUZUKI

僕の好きな言葉に
「幸運は不運の姿をして訪れる」
がある。

ついていない出来事や、腹の立つような出来事があったとき。
その時には気づかないが、後々、なにか幸運を感じるときに、
ふと「あのときに体験した辛いできごとがなかったら、今の幸運はなかったろう」と思う。そんな経験から生まれた言葉だそうだ。

もう少しレベルの低い言葉だけれど、かつて僕にプロデュース業を教えてくれた先輩が
「どんな状況も、ジョーカーと同じ。使い方によって、どんなカードにもなる」
と教えてくれた。

この教えは、僕のプロデューサー人生を、実に生きやすいものにしてくれた。「プロデュース業」というのは、いわば天秤の中心に立って、ルールを決めるような仕事だ。

まず、各メンバーの仕事の領域を決め、責任範囲と報酬を決める。プロジェクトは有機的に変化していくから、その都度、人・お金・時間の配分を調整し、関係者が無理なく心地よく仕事ができる状態をキープする。

ときに、この調整には限界が訪れるので、プロデューサーは常に未来を予想して、誰かの要望が、プロジェクトに関わる様々な人に、どのくらいのインパクトを持つのかを把握する。

働くのは人間なので、相手の性格や気分、駆け引きにも、都度対処しなくてはならない。

良い仕事をする人には、十分な報酬を与え、不誠実なことを企む人には、それに見合ったペナルティを与える。そうやって「誠実」であることが、結果的に、もっとも効率的であるという安心感を構築することが、プロデューサーの役割だ。

若かりし頃の僕は、不誠実なビジネスパーソンに腹を立てたものだけれど、そのたびに、先輩は「どんな状況もジョーカーと同じ。相手が、それを求めるなら、それに見合ったことを返しながら、自分がやりたいことを実現すればいいんだよ」と諭された。

プロデュースの話と、運の話は、次元が違いすぎるけれど、なにか共通のものがある気がする。

もし、僕の存在よりも果てしなく上位の存在があったとして、その大いなる意識が「運」や「因果応報」のバランスをとっているとしたら、不幸が不幸のままで終わることはありえない。

僕はそう信じている。

不幸が幸運の前触れ、もしくは、もっと大きな不幸を防ぐためのアラートなのだと思えば、アンラッキーもありがたい。自分に足りない部分を、思い起こさせてくれる。


目に映るすべてのことはメッセージ

そういえば、こんなことがあった。
ドバイでホテルに泊まったとき、ルームサービスを頼んだのに、1時間以上待っても食事が届かず、ホテルのシステムエラーが原因だったことがわかった。翌日は、天井から水漏れがあって、お風呂に入れなかった。

妻は、その都度、ホテルにクレームの連絡をいれていたが、僕は「これは、なにか良いことが起きる兆しかもしれないね」と話していた。

その翌日、ホテルのマネージャーから連絡があり、今回の一連のことへのお詫びとして、ホテル内のレストランであれば、どこでもディナーを無料で提供てくれる、とのことだった。

僕らは、もともと予約していたレストランが無料になり、世界一高いビルディングとして有名なバージュカリファの噴水ショーを、見晴らしの良いテラス席から楽しむことができた。

僕は「本当に良いことがあったね」と妻に言った。
妻は「私が、その都度、クレームをいれていたからだよ」と言った。
おそらく、その両方が正しい。

なにか嫌なことがあったときに、それをそのままにせずに対処すること。対処することで腹が立っても、その感情をぶちまけて、せっかくの行動を、台無しにしないこと。

幸運は不運の姿をして訪れる

アンラッキーを「メッセージ」として受け止められる心の状態。
それを保っていられる今日は、すでに幸運なのだ。


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