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A STATE OF MIND

娘を無事、保育園に送り届け、僕はふと惹かれて入ったカフェでパソコンを立ち上げた。

"Do you have Wifi?"

アフリカ系の男性店員にそう聞くと "Yes" と微笑み、白い歯を見せて、僕のパソコンディスプレイに映るネットワークリストから「A State Of Mind」を指さした。

( A State Of Mind・・・・・・ 「心境」か )

思えば、ドバイに引っ越して、もう1ヶ月が経とうとしている。
そろそろ、今の心境を記録しておいてもよい時期だろう。きっと、あと数日もすれば、ドバイの真新しさなんて、感じなくなってしまうのだから。そうなる前に、この心境を力に変えておきたい。

そう。「意思」を、白紙にむけて書き出すのだ。そこから世界はおのずと変化していく。池に投げた石から波紋が広がっていくように。

こうして僕は、海外移住後、最初の日記を書き出した。

今から30分前 ──

僕と娘は、マリーナから保育園まで車で約20分かかる高速道路の道のりを、タクシーで向かっていた。娘が新しい保育園に入園したのは昨日のこと。彼女は「怖い、怖い」とずっと泣き続けていた。

「先生が英語で、何を言っているかわからなくて、怖いの!」

そういって、顔を歪ませて泣き出す。彼女の心が生み出す深い恐怖が、みるみるうちに彼女の精神すべてを飲み込んでしまう。

「怖い」と「怖くない」は、両極端にあるのではなく、ひとつづきで度合いの違う同じものなんだよ、と、心をコントロールする方法を教えたいけれど、そんなことは3歳児に教えられるはずもない。せめて、彼女の外にある「理想の自分」へと意識を移せないか。僕は、そう意識しながら、言葉を選んでいた。

彼女は動物が大好きだ。
「もし君が動物のお医者さんになるとしたら、保育園で教えてもらうことは、すべて役に立つよ」
それを聞いて、数秒間、彼女は考えていたけれど、再び、泣き出してしまった。親のエゴストーリーを押し付けているだけになってしまう。彼女に、どんな未来をイメージさせていいのか、わからない。
彼女には、いったいどんな夢があるのだろう。

僕は、自分が小さかったころに描いていた夢の話をした。
「パパは子供のころ、どんな夢を持っていたと思う?」
彼女は、泣き止んで考えていた。
「パパは、ゲームを作る人になりたかったんだよ。テレビゲームを作る人にね。そして今、パパはゲームを作っているんだよ。ちょっと怖いゲームだけれど、見てみる?」
そういって、自分の作っているアプリを見せた。
彼女は、僕の描いたイラストを見て、しばらく泣き止んだ。

「パパ、今日、お別れするとき、ぎゅってハグしてくれる?」
「うん。するよ。強くハグしようか?」
彼女は、強くうなづき、そのあと感極まって、また泣き出した。

タクシーが保育園の前に到着した。
いよいよ、彼女の恐怖心は最大になり、大泣きし、僕に強くしがみついた。彼女がおしつけてくる額から、体温が伝わってくる。36度8分くらいだろうか。温かくて、とても柔らかいのだ。
君は、どんな人になりたいんだろう。これから、どんな自分を見つけるのだろう。

泣きじゃくる娘をなだめるのに必死なのだけれど、同時に僕は、この瞬間が二度と手に入らない貴重な時間であることもわかっていた。まるで、未来の自分が思い出す記憶の中を、追体験しているような、不思議な感覚がした。スローモーションのように時間がゆっくりと流れる。愛おしい時間を、噛みしめる、とは、こういう感覚のことだろうか。

近代的で真っ白なオフィスビルのロビーは静まり返っていた。僕は、彼女の耳元で、小さな声で語りかけた。

「昨日、お笑い芸人の動画を見たよね。こんにちはー!って、大きな声で挨拶して、こんばんは、だろって、つっこまれてたね」
娘は、泣きながら、僕に強く抱きついて、話を聞いている。

「あんなふうに、大きな声で、グッドモーニングっていってごらんね。きっと、お友達がニコニコしてくれるよ。お笑い芸人って、馬鹿な人を演じているけれど、本当は、とても頭がいいんだよ。とても賢いから、馬鹿な人のふりをして、みんなを笑わせることができるんだ。すごい人たちだね。」
娘が、僕の首に、ぎゅっとしがみつく。

「パパ、早く迎えに来てくれる?」
「うん。早く迎えにくるよ。君の今日のミッションは、みんなに元気に挨拶して、ニコニコすることだよ。そしたら、みんなも幸せになるからね」
「うん、わかった。でも、怖い!怖いよ!」
「そうだね。でも君なら大丈夫だよ。きっとみんなをニコニコさせられるよ。パパもみんなをニコニコさせられる人になりたいな。それが、今のパパの夢だよ」

保育園に到着して、彼女は、さらに強く僕を抱きしめた。
僕は保育士に、"Good Morning" と挨拶をして、娘を強く抱きしめ返した。

「パパ、早く迎えに来てね!」
「うん、いってらっしゃい」
保育士が、泣き叫ぶ娘を抱きかかえ、部屋の奥へと去っていった。
扉をしめ、保育園を立ち去る。

変わらず静かなロビーを戻りながら、僕は、今日一日の始まりを感じていた。

彼女が、新しいことを吸収し、アウトプットするように、僕もなにかを始めなくちゃいけない。変わらなくちゃいけない。そのために、日本を離れて、ここに来たのだから。

エスカレーターをのぼると、白い石壁のカフェが目に入った。

"HOPE, LIFE, FUTURE"

壁にそう書かれてある。まるで、今の僕の心境だ。

白紙に書いた心境が、波紋となって世界を変える。何がしたいのか、どう変わりたいのか、もしくは、変わらずにはいられないのか。

ある人はそれを「欲望」と呼ぶ。
ある人は「ゴール」と呼び、また、ある人は「使命」と呼んでいた。
僕は、どの人に対しても、尊敬の念を抱いている。

僕は、彼らが呼ぶそれのことを「才能」と名付けた。

「才能」に「意思」を向けた瞬間から、なにかが生まれ、波紋は広がり、潮の満ち引きのように引き寄せあっていく。

願い、成長し、未来になる。

それが今日の心境だ。

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