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#26 告白

 精神科医というのはある意味で、「患者さんと一緒に苦しむことでお金をいただく商売」です。

太田敏男「精神科診療のヒント」星和書店

 
 公私にわたり多忙に振り回されたり体調不良が中途半端に長引いたりして、ここで文を書く心のゆとりがないまま、気がつけば数か月が経ってしまっていた。こうした何かにつけ余裕のない状態で生活していると痛感させられることがある。それは、仕事であれ日常生活であれ、また対人関係の場面においてであれ、つい基本、原点をおそろかにしてしまいがちだということである。

 私のような職業の人間に相談を寄せるのは、当事者本人であれその家族や関係者であれ、社会生活や自身についてつらい悩みや不安、葛藤を抱え困っている方々である。そうした問題を何とかしたいと切実に願い、意を決して「告白」をしにやって来る。
 カウンセラーとしての個人的な基本(原則)なり原点とは、その「告白」に対してどう向き合うべきかについてだと思っている。それを簡単に言えば、告白の「中身」ももちろん大事だが、むしろそれ以上に告白する「人」を常に大事にする、ということだ。
 目の前にいるその人の視点や感情面につねに注意を払い続けながらコミュニケーションを慎重にとってゆく。告白すること、告白するために来られるという決断がいかに大変だったのかについて、知識として理解するだけでなく感情的にも心から思いを寄せ続けようと努める。
 
 相談者には悩みを解決したい気持ちが強い半面、ためらいもさまざまある。自責の念や恥じる気持ち、劣等感といったリスクから自分を守りたいと無意識に考えてしまう。これは誰もが抱く本能的欲求といえる。
 そうしたさまざまな自己防衛の制約から解放され、抑制されていた感情を自由に表現してもらえるような雰囲気、すべてを受け入れるという雰囲気を維持することがカウンセリングの場にはとりわけ必要である。

 ところが「すべてを受け入れる雰囲気」といっても、これがなかなか言うほど簡単ではない。その理由は、逆説的に聞こえてしまうと思うのだが、治療、支援する側にいる我々は相談者の力になりたい、苦痛から解放してあげたいと日々真剣に努力しようとするからだ。つまりそう思えば思うほど、つい意気込み、前のめりしてしまい、症状や問題の分析や説明、解決の手法手順ばかりに意識が向き、「人」が置いてきぼりになってしまっていることに気がつかないことがあるのだ。

 治したい、解決したい、症状をなくしたいがための、相談者へのさまざまな働きかけや治療(法)への取り組みはもちろん必要である。けれども、カウンセラーの目の前にいる人の多くは、今まで他人にはうかがい知れない、場合によっては筆舌に尽くしがたいさまざまな苦闘を経た末に告白にみえる特別な方々でもある。
 彼らにとってみれば、そうした治療・支援者側の「積極姿勢」の態度は、しばしばさらなるいっそうの強さや辛抱、変化を求めるだけに映ってしまっているかもしれない。これは治療・支援者としてはまずい対応だが、そう相手が受け取ってしまうような対応をしていることに気づけない場合は多い。
 問題の理解について、援助を求めている相手の主観的視点を大切にしないまま、治療者・支援者側からの客観的事情の視点へと安易に移行して対応してしまうと、敏感な相談者は勘付いてしまうものなのだ。
 個人的価値観や経験、今が旬の知見や理論(最近で言えばたとえば発達障害やトラウマ、精神療法としての認知行動療法など)の文脈ありきの問題理解に先走ってしまえば、その他の大事な問題の見落としや別の可能性の排除にもなりかねない。結果かえって問題解決までの不要な遠回りや精神的負担を相談者に強いてしまうことになる。
 ある著名な精神科医の著作中、自分は長年のキャリアを少しでも良い診療と治療ができないかと努力してきたが、進歩、上達しているという実感には程遠く、うまくいかないケースのほうがむしろ蓄積している、という一節があって驚いたことがある。が、今では医者でもない一介のカウンセラーに過ぎない自分も、いやその自分だからこそその思いに内心深く同意せざるを得ない。

 本来カウンセラーの仕事は、目が不自由な陸上競技者に併走する「伴走者」に似ているのだろう。伴走者の役割は、ランナーがその力を存分に発揮するための彼らのペースや環境を調整・維持し続けることにあるのであって、ガイドは必要だがけっしてランナーより先走り、プッシュし続けるためにいるのではない。気遣いと信頼こそが二人の関係のコアなのだ。
 カウンセリングも同じである。カウンセリングは、相手を「変えよう」とするより、その人がその人「らしく」生きられるよう支え続けるぐらいがちょうどよいとも感じる。その結果としてその人のなにかが「変わっていく」こともあるだろう、というのがカウンセリングの成果としてふさわしいのではないか。
 
 告白のたどってきた道はとても長い。人それぞれ、誰一人として同じ告白はない。だから「問題」をどうするか以前にその「人」をしっかり受けとめてゆく必要がある。その人が生きた歴史とその困難さ、告白の来た道に敬意を払う。さぞかし苦しかったであろうそのほんの一部でも心から共有しようとする態度を治療・支援が進んでいってもなお保ち続ける。
 これは、ただ過去をあれこれほじくり返すこととはもちろん違う。相談者とその周辺の情報をいくら詳細に集めたとしても(それは確かに必要ではあるが)それだけで見えてくるものは思ったほど多くはない。また、同情的で感傷的な態度に終始し、ひたすら相手を弱者憐れみの対象としてとらえる姿勢も望ましくない。
 問題解決のためには、相談者本人のなかでそこへ向かうための準備、動機づけやほのかな希望が整わなければならないと思う。我々はそのために一緒になって取り組む。相談者が決してひとりではないことに確信が持てなければ、治療・支援はよい方向へは進んで行かないのだ。

  先へと急がない、分かりたいと願いつつ安易に分かろうとしない、決めつけないままの姿勢で本人と話し合い、支え続けてゆく結果として相談者は治って「いく」のかもしれないとときに思う。
 何が良かったのかがはっきりとはわからなくともよいとも思う。安易に分かったと思ってしまえばその他の多くのケースを縛るフィルターとなるやもしれない。経験による自信がいとも簡単に慢心や盲信に変わるのが人の心である。
 
 治療や支援の側に立つ者は伴走者であり続ければよい。困難に打ち勝った末にささやかでも勝利を手にするのは、今まで苦しんできた人達であって我々である必要はない。周囲からのさまざまな手助けは必要であったにせよ、本人の努力によって問題が解決に向かって動きだしたという経験からくる手ごたえと自信が相談者の希望を繋いてゆく。それがわれわれの目的であり責務だと感じる。手柄はいつも本人のものだ。

 最近、基本や原点に立ち返り、いつもゼロからの出発の気持ちを忘れないよう相談者と会うたび教えられている気がしている。だから、冒頭の精神科医の言葉、『患者さんと一緒に苦しむことでお金をいただく商売』を、自省と自戒を込めいつも忘れずにいたい。

3birdsさん

こころの健康相談室 C²-Wave 六本木けやき坂


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