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#23 習慣 ②

びくりしたのなんのって、あさビリィが
めをさましたら なんとへやのなかに
ドラゴンがいたのです。
それも こねこくらいのおおきさで かわいいドラゴンでした。

ジャック・ケント「びっくりドラゴンおおそうどう!」中川健蔵 訳 好学社


 「予防は常に治療にまさる」
 これは、身体の健康を維持し深刻な病気の発症を防ぐための基本原則だ。どんな病気でも症状が深刻になってしまえば、市販の医薬品や近所のかかりつけ医に頼るだけでは対処できないため、より高度で専門的な治療体制の整う医療機関での長期でやっかいな治療が必要になる。だから、そうした事態を招かないよう日々のコツコツとしたケアや健康的な生活習慣が欠かせない、そういう理屈である。病の兆候は日常に少しずつ顔をのぞかせる。そうした意味では、ほとんどの病気が(生活)習慣の病と言ってもよい。

ビリィが いすにすわると
ドラゴンは テーブルのうえに すわりました。
そんな ぎょうぎのわるいドラゴンを みても
おかあさんは しかりません。
なぜって おかあさんは ドラゴンなんか
いるはずないと しんじているからです。

ジャック・ケント「びっくりドラゴンおおそうどう!」

 
 この基本原則は、身体疾患のみならず心の病や問題にも実によく当てはまることを日々痛感する。精神的な不調を訴え私のもとを訪れる相談者には、身近な対人関係、とりわけ夫婦や親子といった家族や家庭の問題について話し合うために来る人が少なくない。
 職場におけるメンタルヘルスへの取り組みは、社会的にも徐々に進んでいる一方で、家庭や家族における問題は、個人のプライバシーとより深く結び付いた特別な領域であり、見過ごされがちで他人にはなかなか見えづらい。また、家族や親しい人たちとの関係に問題があることを他人に知られることは、社会的な評価や関係に悪影響を及ぼす可能性もあるとして、多くの人が表沙汰にすることにためらいや恥じらいを感じるのだ。

ビリィが もどってくると ドラゴンは
げんかんいっぱいの おおきさになっていました。
「ドラゴンなんか いるはずありません!」
やっぱり おかあさんは そう いいました。

ジャック・ケント「びっくりドラゴンおおそうどう!」

 
 家庭や家族の問題は非常に複雑で厄介なものである。なぜなら家族の関係性は長い間の相互作用であり、「習慣」が絡んでいるからだ。習慣であることの最大の難しさは、それがまさに「習慣」として浸透しているため、当事者たち自身が問題の深刻さや本質を認識しづらいことにある。
 家族の中での欲求の不一致や不満、不安や緊張、些細な言い争いや非難など、ネガティブな感情の交錯は日常的に発生する。一見ささいで毎日当たり前のように起きている関係性の中に問題の萌芽はあるのだが、たいていは日常の忙しさやルーティンの保護色に紛れ問題視されずに放置される。ひとつ屋根の下に生活をともにしながらも、互いの内面的な孤独と疎外感は徐々に深まってゆく。こうした経験と習慣の積み重ねが、知らぬ間に家族それぞれの人生や自己形成に微妙な悪影響を与えるのだ。

まいあさ おかあさんは そうじをするのですが
ドラゴンが じゃまになって...
へやからへやへ いくためには
まどをよじのぼって
いかなければなりません。

ジャック・ケント「びっくりドラゴンおおそうどう!」


 家族内の対立や葛藤が長年にわたって存在しているケースもあれば、何年か経ったある時期のある出来事や変化などをきっかけに、問題が突然表面化するケースもある。後者のようなケースがより問題の混迷度が深いかもしれない。気がつけば取り返しのつかないほど修復不能な関係の溝ができてしまっているのだが、非難と拒絶、憎悪の言動を唐突に突き付けられた家族当事者の一方は、いったい何が起きたのか困惑するばかりなのだ。
 いずれにせよ、こうした家族の争いは、一見平和でどこにでもあるような家庭を舞台に勃発する。だが、その対立と葛藤の種子ははるか以前に巻かれ、隠され、知らぬまに成長している。

 
 物語は、ビクスビー家の少年ビリィがある日、自分の部屋で小さなドラゴンを発見することから始まる。しかし、母親はドラゴンなんかいないと言ってドラゴンの存在を無視し続ける。ビリィは何度もドラゴンの存在を主張するが、母親は取り合おうとはしない。ドラゴンは次第に大きく成長し、やがて家に収まり切れなくなるほど巨大化してゆく。それでも母親は気づかないまま、とうとうドラゴンは家を土地から根こそぎ切り離し、宙に浮かせたまま町中を歩き回り始める。
 仕事から帰宅し家がなくなっていることに驚いた父親が、町中を探し回りやっとのことでドラゴンと自分の家族達を見つける。そしてようやく母親がドラゴンの存在を受け入れると、ドラゴンはどんどん小さくなっていき、ビクスビー家はもとの幸せな家庭を取り戻す。


 「びっくりドラゴンおおそうどう!」という無邪気な邦題のついた小さな子供向け絵本の原題は、”There's No Such Thing as a Dragon”(ドラゴンなんているわけない)である。この作品には、作者の意図はともかく、習慣に関する示唆に富んだ心理学的テーマやメッセージが隠されている。
 たとえば、一見些細ささいと思える自分自身や他者の問題をそのまま放置せず直視することの大切さ、否定的な感情の応酬や問題の無視を続けることが、それらを過剰かつ過激に育ててしまうこと、代わりに問題や感情に誠実に向き合って受け入れていくことで、問題は徐々に小さくなっていく可能性がある、などといったことだ。

 人は傷つきやすい生き物なので、いつも『気づいて欲しい』と互いに心のどこかで願っているものだ。だから、たとえ家族や親しい関係においても、他人に知られ傷つきたくないことや、逆になかったことにして欲しくないことが珍しくない。そうしたことへの気遣いや思いやりが十分に満たされるはずの稀有けうな場が本来家庭であり、家族というコアな対人関係であるはずだ。だが、それも不適切なミスコミュニケーションの習慣が持ち込まれ続けば、次第にその実現は困難になってゆく。
 目に見える身体の傷や怪我、病気で苦しむ人に私たちはとても優しい。だがその一方で、目にみえない心の傷に苦しむ人が発する無言のメッセージを受けとめる私たちの感受性と共感性の感度は鈍い。「誰にでもよくあること」「こっちも大変」「もっと強くなれ」と逆に要求し、彼らの前を素通りしがちなのだ。
 

 「ドラゴンが これくらいのおおきさなら わたしは いいとおもうけど。
でも なぜ どんどん おおきくなったのかしら?」
おかあさんが ふしぎそうに いいました。
「ぼくも わからないよ でも ドラゴンが
ほんとにいるって みんなに しらせたかったのだとおもうよ」
とビリィはいいました。

ジャック・ケント「びっくりドラゴンおおそうどう!」

 人はさまざまな習慣を持っている。良い習慣もあれば、悪い習慣もある。通常、問題ある習慣と言われると、暴飲暴食、睡眠や運動不足など、わかりやすい具体的行動パターンを思い浮かべがちだ。しかし、最も良くない習慣とは、自分自身の不適切な習慣を対人関係に持ち込んでいることに気づけない、という「心の習慣」である。つい自分の懸念や怠惰と誠実に向き合わず、問題を周囲に押し付けたりやり過ごしている習慣への固執である。そうして問題に気づかず放っておけば、どんな家庭でもドラゴンは育っていってしまう。

 意識的な悪人は私たちのまわりにほどんどいない。けれども前回触れたように、「習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまう」のであり、そうした可能性について私たち誰もが常に注意を払う必要がある。
 問題の背後には、常に習慣という怪物がいる。習慣は私たち自身の一部であるから、私たちの意思や欲望に対する大きな支配力を持つ。「予防は常に治療にまさる」という原則が機能するための鍵は、まずその怪物の正体を冷静に見極めることである。家族であっても、相手は敬意を払うべき一人の人間であることを真摯しんしに認識し、相手の心の揺れや家庭内の些細な変化に敏感になる努力をするなら、小さく無邪気なドラゴンの存在にやがて気づくことができるはずだ。 


オトマミさん

こころの健康相談室 C²-Wave 六本木けやき坂


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