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#24 迷子 ①

 強い男というのは、感覚と精神の交信を、意のままに遮断することができる人である。
   -ナポレオン・ボナパルト(1769‐1821)-

「世界名言集-真実と生き方の知恵」岡田春馬 編 近代文芸社

人間は酸素を含まない大気のなかでは身体的に生存できないのと同様、自分に共感的に反応しない心理的環境下では、心理的に生存できない。

ハインツ・コフート「自己の修復」本城秀次 他訳 みすず書房


 しばらくぶりにAさんからかかってきた電話は、「話がしたい」というものだった。
 カウンセリングを求める人の第一声が、ただ話がしたいのひと言というのはなかなかない経験だが、Aさんに関しては驚きはなかった。Aさんは、すでに数年前カウンセリングを受けに私のもとを何度か訪れていた。若く優秀なビジネスマンだった。自らITベンチャーを興し大きな成功を収め、その後より大きな企業のリーダーとして辣腕らつわんをふるっていた。当時まだ30代半ばの若さだったが、彼にはすでにリーダー然とした冷静な物腰が備わっていた。それは落ち着きある成熟さというより、どちらかといえばやや温かみに欠ける無機質な雰囲気だったが、悪い印象はなかった。

 自分がとても有能で、人の上に立ち指示・命令することに慣れており、そのことを当然のことと素朴に受け入れているタイプの人間に感じられた。彼にとって、それはただ「事実」であり、自負心めいた傲慢ごうまんさが入り込む余地もほとんどないようだった。フレッシュな若さと人生なかば悟ったかのような老熟さが微妙に混ざり合った、捉えどころのない奥深さのようなものがあった。 
 そんな人物が相手のカウンセリングであれば、やりにくかっただろうと思われるかもしれないが、そんなことはまったくなかった。Aさんはいつも、慎重かつ冷静に話をした。話の内容や説明は正確で的を得ており、代わりにこちらの返答や説明にも明快さを求めた。聞き手としても優秀だ。決して相手の話を途中でさえぎったり批評したりせず、最後までじっくり耳を傾けた末に、自分の意見を簡潔に述べることができた。自分が関心のあるテーマについては、たった1~2週間の間に驚くほどの量の専門書に目を通し、正確な知識を携えて次のカウンセリングに臨み、質問や意見を投げかけてきた。多忙なビジネスマンのどこにそんな時間があるのかと首をかしげたくなるほど、私のような常人には太刀打ちできない、異才天才の典型にも思えた。年上の私に対して話す時も、敬語は使うことはほとんどなかった。主導権はいつもAさん側にあり、彼はそうしたことに慣れていた。

 Aさんが以前抱えていた悩みは、「悩んだことがない」という悩みだった。冗談のように聞こえるかもしれないが、世の中には一定の割合でこうした人は存在し、珍しいとまではいえない。たしかにカウンセリングに訪れる人の訴えとしてはレアかもしれないが、同じような相談に訪れる個人を私も何人か経験している。
 Aさんによれば、たとえ何か困難や逆境に直面しているという認識はあっても、それに「ストレスを覚えることはない」という。それは、すべての問題や課題には結局答えは用意されているものだ、といった彼なりの信念や楽観性ゆえというより、ただ「感じない」そういうことなのだ。
 
 悩まない、不安やストレスを感じない。ストレス社会と言われる世間を生きる我々からみれば、まことにうらやましい資質ではないか、そう思われるかもしれない。だが、実は事はそう単純ではない。
 少し考えてみればわかるのだが、Aさんは「悩まない人間」なのかもしれないが、他の多くの人はそうではないからだ。Aさんを含めた我々は、社会という大規模な集団のなかで生きている。たくさんの人間が、それぞれに個性や性格、事情を抱え、悩みやストレスと闘い、背負い、心身にさまざまな影響を受けながら共に生きている。
 そうしたことについて、もちろんAさんも、「知識としては」理解や推察はできるだろう。だがもし、浅薄な情緒性や共感性、しばしば尊大に見えてしまう自己中心性が、他者への思いやりや優しさ、良心や愛情といった感情とその表出をはばんでいるとしたら、それはたとえ本人に悪意はなくとも、また別の意味でやっかいな問題を抱えることになるかもしれない。

 だから先に、Aさんの「悩み」と書いたが、彼にしてみれば、むしろ「(周囲に)戸惑う」といった方がより正確だろう。以前、Aさんはこんなエピソードを話してくれた。彼がある知人宅のパーティーに招かれたときのことだ。彼は、途中でパーティーに合流してきた部下の女性から仕事についてちょっとした報告を受けていた。と突然、彼女が体の不調を訴え、彼の目の前で気を失って倒れてしまったのだ。彼は一瞬、何が起きたのかと固まってしまったが、異変を察知した周囲の人達がすぐに彼女に駆け寄った。様子を心配しただちに救急車が呼ばれた。幸いなことに彼女はすぐに意識を取り戻し会話もできるようになったが、まだ朦朧もうろうとしていたという。パーティの出席者達は、彼女に次々に言葉をかけながら寄り添い、救急隊員の到着を待った。やがてその女性は無事病院へ搬送されていった。
 その晩、Aさんはやはりパーティに出席し事の一部始終を目撃していた当時の彼のパートナーとの間で、激しい言い争いになった。
 パートナーは、Aさんが倒れた部下に対し何もせず、彼女がまだ横たわっているすぐそばで、自分の携帯に向って何事もなかったように仕事の話を始めたことを痛烈に非難した。しかもそれは、救急隊員の到着する前からだった。他人事のように傍観しているさまや無神経な行動がパートナーには我慢がならなかったのだ。 
 それに対し、彼はすぐに反論した。彼の主張はこうだ。たしかに自分は最初は固まってしまったが、冷静に彼女を観察してこれは貧血だということがわかった。なぜなら、貧血症状についての専門の医学書を以前熟読したことがあり、同じような状態になった人を過去に見た経験もあるからだ。実際、本人はすぐ意識を回復し救急車もすぐ到着する状況を見れば、他に何ができるのか?何が変わるというのか?結局やはり貧血との診断が下され自分の正しさも証明された。周りに人も大勢いた。だから、自分が仕事の電話をかけたことをなぜ非難されるのか理解できない。自分の意図がどうしてわからないのか?
 彼の長い反論を聞いた後、パートナーが彼のもとを去ったのにそれほど時間はかからなかった。彼には過去、別の女性との離婚歴があった。

*  

 つねに単刀直入で回り道しないAさんの話し方や考えをさまざま聞いていると、人生やビジネスで成功するのはとてもたやすいことのようにも思えてくる。彼の周囲の世界に対する「気遣い」の希薄な生き方は、速度制限のない高速道路あるいは途中停車駅のいっさいない鉄道路を目的地に向かって一気に駆け抜けるようなものだ。無駄はなく、自分の情熱や能力を一点に集中し、周囲のノイズにいっさい気に掛けずに事を運ぶことができる。複雑で困難な課題であればあるほど、言葉は悪いがその卓越した「無神経ぶり」は威力を発揮する。
 彼の対人関係もまた、そうした認知的基盤のもとにこれまで築かれてきた。それは、実は真の「関係」とは言えないのかもしれないが、周囲にそれを指摘する人はほとんど皆無だったし、本人もこれまであまり気にしたこともなかった。企業や組織では、結果を出し続ける人間の性格や人格にあれこれ立ち入って批判等が及ぶことはほとんどない。たとえ、その無神経な有能さゆえに、ときに周囲を無力感で疲弊させていたとしても。

 だが、家族関係やパートナー関係といった、人としてよりコアな関係でたいてい問題は露呈する。知的に複雑であることより情緒的豊かさや繊細さが求められる関係性において、彼は遠慮なくダメ出しをされる。圧倒的な頭の回転の速さで複雑さに慣れている彼のような人は、逆にシンプルさをもてあます。
 パーティー席上でのエピソードでもわかるように、彼の普段の主張は、それだけ取り出してみれば、たいていは「正しい」。だが、我々の日々の現実や対人関係において、正しさに常に優先指定席が与えられているわけではない。正しさの証明が、人びとの心に平和もたらすとは限らないのだ。互いに対する想像や思いやり、気遣いの交流という「回り道」が結局、正しさ実現への近道になるということを、我々は人生でさまざま学んでゆくのだ。
 
 現在はどうか不明だが、当時はアルコールやその他にも若干問題を抱えていた。「医師には相談したのか?」と問うと、彼はそんなことも知らないのかと言わんばかりの表情で切り返してきた。「それがたとえ噂レベルの話でも会社に知られたら即日(CEOを)解任マターだよ。契約条項違反にも該当する」。以前にもやはりある企業人からそんな話を聞いたことがあったが、本当にそんなことがあるのだろうかと考えていると、彼はこう続けた。「それに、この業界では自分の代わりはいくらでもいる」
 Aさんは、脳の認知の仕組みや、感情・情緒やストレスと身体の関係、神経回路といったいわゆる脳科学についてよく学んでいた。彼とはそうした話題を含め何度か話し合ったが、やがて多忙を理由にその後のカウンセリングは立ち消えとなった。

* 

 突然の再訪でも、Aさんの印象は以前とほとんど変わらなかった。相変わらず若く優秀に見えた。カジュアルな装いのAさんは私と簡単に挨拶を交わし、ゆったり腰を下ろした。いつものように机の上に携帯を2台並べそれらを視界の隅に常に置きながら、前置きなく話し始めた。いつものAさんだった。だが、話の内容は意外なものだった。(迷子②
 

aya1113さん

こころの健康相談室 C²-Wave 六本木けやき坂


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