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6年間の公務員生活を終えました

3月18日で現職の勤務を終え、有給消化期間に入っていました。
早いもので今日で名実ともに公務員最終日、明日転職先へ入社します。

出勤最終日間際は、約80人分のプレゼントやお菓子の調達、仕事の引き継ぎ、挨拶回りなどに追われてバタバタでしたがなんとか無事に終えることができました。

たくさんの方からプレゼントや激励のお言葉などをいただき、ありがたいなあと思っています。

6年間の公務員生活を終える今の気持ち、もうなかなか出会うことはないと思うのでゆっくり見つめて残しておきたいと思います。

たくさんの仕事を経験して

6年間で所属した部署は2か所だけでしたが、業務としては本当にたくさんの業務を担当させていただきました。

イベントなどの事業系、医療費の支払い、助成金関係、パンフレットの改訂、避難対策の策定と推進、防災計画、首長主宰の会議などなど。

住民票発行などの窓口職場や生活保護、福祉系などの日常的に住民と接触するような職場は経験できませんでしたが、それ以外は幅広く経験させてもらいました。

多くの仕事に携わる中で、私たちの暮らしは見えていないところで思ったよりたくさん行政の力に支えられているのだと実感しました。

地方自治体は行政機関の中でも地域密着型であり、自らの足で地域に出て地域の声を直接聞くことも多かったのでより実感できたのだと思います。

振り返ると、ほぼ毎年係の人員減の負担をダイレクトに受けたり、穴が空いてしまったポストに当て込まれてきました。
頑張ろうとしていた仕事からも突如外されるなど、理不尽な思いをしたことも少なくなかったです。

担当業務は本人の意思とはほとんど関係ないところで上長などに決められるため、不本意なことばかりだったけど、裏を返せば自分がどのような職員として見られているかを認識できる機会でもありました。

おそらく私は全ての仕事が平均的にできるタイプの職員だったのかなと思っています。(いわゆる器用貧乏?)

何か一つのことが得意だったりのめり込むタイプではないため、組織としても動かしやすかったのかもしれません。

これを自覚したとき、私はこの組織でしんどい思いをし続ける側の人間かもしれないと思い、退職の一因ともなってしまったけど、
振り返るとそれぞれの仕事から違った学びがあり、いろいろな仕事を経験できたことを今では以前よりも前向きに捉えられています。

あとは自分が思ったより責任感の強い人間だったということも働き始めてから(特にここ2年くらい)で気付きました。良くも悪くも。

公務員として働いて初めて知った自分の一面も少なくなかったので、それだけでもここで働いた意味があったなと思います。

たくさんの人と出会って

2か所の部署、そして若手職員のつながりなども含めて、6年間本当にたくさんの職員の方にお世話になりました。

最初の職場ではほとんどが親世代の方で、新人で何もわからない私を優しく丁寧に育成し、娘のように可愛がってくださいました。

一人暮らしを始めるときも不動産屋を紹介していただいたり、しょっちゅう体調を崩していた時期も「気にせず休んで」といつも声をかけてくださり、本当に公私ともに社会人としての基礎をかためるサポートをしてくださったことに今でも感謝が止まりません。

「仕事はいる人でやればいいけど、体調管理は自分にしかできないんだからね。」

入庁2年目くらいの頃、胃腸炎になりながらも「この仕事は私が担当で、私しかわからないんだから休むわけにはいかない」と思っていた私に係長がおっしゃった言葉です。

自分がいないと回らないなんて、なんて傲慢な考え方だったのだろうと反省しました。
強すぎる責任感で自分を追い詰めがちな私も、かなり早い段階でこの言葉をかけていただいたおかげで、自分の体調を蔑ろにせずここまでやってこれたと思っています。

役所で2か所目となった今の職場では若い人たちが多く、コロナ前はたくさんお酒を飲みました。笑

初めて自分と同世代や自分より若い子に囲まれて戸惑うことも多かったけど、総じてみんな優秀でいい人たちでした。

役所は変わった人も少なくないしそういうものだと思っていますが、こんな人たちがいるなら役所の未来は明るいかもなと思っています。
(自分は離脱するんだけど。笑)

ただ、2か所目の部署の皆様には自分の余裕のなさからたくさん迷惑をかけてしまったという後悔もあります。
嫌な思いをした方も少なくないかもしれない。

苦い思い出として残ってしまったけど、ここでの失敗をバネに今後改善していきたいと思い、今すでに動き始めています。
この話はまた別で書きますね。

課長は6年で4名の方にお世話になりましたが、なんとプロパーの方は一人もおらず、全員他の行政機関からの派遣者、そして全員本当に人格者でした。

特に最後の2年お世話になった課長はお人柄も能力も本当に素晴らしく、尖っていた私のこともうまく扱ってくれて笑、この2年間はこの課長がいたから最後までやり切れたといっても過言ではありません。
違う人だったらとっくにドロップアウトしていたと思います。

役所にいながら役所外の方の元でお仕事できることはとても新鮮で勉強になり、知らない組織のお話を教えていただくこともすごく楽しかったです。

役所で友達ができた

同じ部署の人だけでなく、他の部署の先輩や後輩にもたくさん遊んでもらいましたが、中でもやっぱり同期は格別

入庁時から仲の良い同期たちとは、これまでたくさん食べてしゃべって飲んで旅行に行きました。

コロナで少し疎遠になってしまったけれど、コロナ前は大学生かな?というくらい遊んでいて、私の公務員生活はみんなのおかげで楽しくなったなあと思っています。

この6年で、みんな仕事が変わったり引っ越したり、恋人ができたり別れたり、結婚したり出産したりといろんな変化があって、それをいつも共有してきました。

役所でできた友達とは、これから40年、仕事のことだけじゃなくて家族のこととか身体のこととか、ライフステージの変化を近いところで一緒に見守りあいながら進んでいくんだろうなと思っていました。

やめても関係性こそ変わらないけど、肩書きがみんなと変わってしまうことには少し寂しさを感じます。
これからもお互いの変化を見守って感情を共有していきたいな。

どうでも良いこだわりだけど、同期の中でも仲良い人たちのことを説明するときは絶対に「同期」ではなく「友達」という言葉を使っていました。

大人になって友達ができると思ってなかった。社会に出るまで全部ストレートできて、28年度に入庁して本当によかったです。

新天地に向けて

いいことを多めに書きましたが笑、実際はいいことばかりではありませんでした。

特にこの2年間はしんどいことの方が多く、側から見てもいわゆる“大変な職場”だったので、私の退職を知った方からは「やっぱり大変だったの?」「あの職場で3年全うしたのすごいね」と言われるほどでした。

そして正直、退職間際まで「やっぱりこの組織を離れることにしてよかった」と思う場面も少なくありませんでした。

かといって企業に行けば不満が全て解消されるわけではないとはもちろん理解しているし、今とは別の苦労があるのだろうなということも予想しています。

ですが今のところ大きな不安はあまりありません。
これは別にすごいことではなくて、何もわからないから不安になりようがない、といった方が正しいです。

新しい環境で苦労しなかったことはないので、少なくとも最初は大変な思いをするかもしれません。
というか本当は”新しい環境”なんて好きじゃない自分もいるんだよね。

でも何も変わらないことがわかっていながらなんの希望もなく現職にとどまるよりは、もしかしたら楽しいかもしれない新しい環境へ踏み出せた自分に、今のところは「良かったね」と思っています。

どんな道を選んでも、選ばなかった道との比較はできないからその場その場で判断していくしかない。
うまくいかないと思えば、やり直せばいいだけ。

役所でのお父さんと思っていた方にいただいた激励の言葉です。

やりたいこともいろいろあるし、いろんなことに手を出せそうな環境になるだけでも楽しみ。
一度にたくさんのことはできないから、ひとつずつだけどね。

まずは企業での新しいお仕事、謙虚に、できるところから。

このnoteを開設してから、私の公務員生活とキャリアチェンジまでの道のりを見守ってくださっていた皆様、本当にありがとうございました。

Twitterやnoteで皆様と交流できたからここまで来れたと思っています。

公務員を退職したあとについても結構謎が多いと思います。
引き続き仕事のこともそれ以外のことも発信していく予定ですので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします

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