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事業会社を始めて、そして閉めた話(その14)大きな会社での仕事の評価。

そのままのタイトルで継続する事にいたしました(笑

会社をクローズして、出向元に戻ってからの経験や視点の変化で、その13まで書き連ねてきた経験の見え方が変わってきました。それを後少しだけ書いていこう思います。

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出向元に戻って、仕事を1つやりあげた後の事を前回までに書きました。大した評価ももらえなかったけど、海外展開や業界とのプロモーションシンクに頑張っていた。ところが晴天の霹靂。突然の異動命令が下りました。

業界から切り離され、作った流れ失速するぞ!と不安に思いつつどうしようもない。引き継ぐ。階級もダウン。これはリストラ対象でやめなかった人員の一斉降格のような施策でした。

その後はがらっと事業企画にライセンス業務。過去やったことはあるものですが。。。何故かパワハラ部長と離れる事は出来ず、課長はなんと例の先輩の大学からの友人(笑 この方先輩と違って親分肌なのですが、やはり違うパワータイプのパワハラ、怒鳴り上げ系で著名な方。

結果メンタルがやられた時期もあり、結婚、子の誕生の時期に酷い働きかたをしていたツケも周り、家庭もしばらく安定しなかった。

そんな時、自社グループの地方工場で試作された部品を見つけたんですね。

それを使って、非常に長い歴史があり、過去を遡ると会社にとってもマイルストーンとなった商品の事業検討を、ほぼボランティアでやりつつ、行って行きました。当然この間の評価は、下がった階級での中の下といった所。

なんとか事業承認の場にたどり着き、自分がそのままリーダーになる事が出来たのですが、このテーマが非常にニッチ、かつ知見の要るところが幸いし、もう、自分史上最高度に横槍が入らなかった(笑)

企画、評価、販路開拓から全部で、やはり大変ではあったのと、移住のバタバタ、そして両親の介護が押し寄せ休職寸前にもなりました。なんとか切り抜けながら、新しい同期の上司について進めていった。

変な話、出向元に入社してから、初めて何も”しがらみの無い”仕事ができました。

なぜ取り組んだかと言えば、戻ってすぐの仕事と同じで、出せれば10年は会社に貢献するだろうという使命感のような物があった。

HQの方針と適合するし、世には商品が語ってくれればいい、社内評価はこんな俺だし、まあいらないさと思って、工数を色々な部署から借りながらやっていた。机の下期間を含めると4年くらいかかってなんとか世に出しました。

評価を上司から伝達されるMTGがあるんですが、そこで聞いて椅子から滑り落ちるかと思いました。同期の上司もビビりながら私に伝えていた(笑)。桁が違うんじゃないかと言えばオーバーですが、我が目を疑った。

挙句に例の社長から賞まで貰い、壇上で社員前にスピーチさせられる。

なんと言いますか、ブラック・レインという映画で、不良刑事ニックが、自分を逮捕さえしにきた日本の警察で表彰され、式で最後スーツ着て壇上で、賞状を押し頂くくらいの違和感ですよ(笑

前の仕事の方が、実質の貢献度はずっと高く、範囲も広かった。当時の社の転進を大きく支えるくらいの貢献があったはず。でも中の下の評価。まあそんなもんだと思っていた訳です。

今回は象徴的な仕事ではあるけど、直接のビジネスインパクトは無いに等しい。ところが、通常サラリーマン人生では難しい様な、上位1~2%の中に入るくらいの評価であった。

果たして何が違うのか?と深く考えたわけです。

続きます。

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