事業会社を始めて、そして閉めた話(その2)
写真は近所の浜。通勤が無くなって分かる地方の良さです。
続きです。
実は初期の数年、ユーザーベース拡大の条件が整わない時期に、ちやほや&業界好きな社長と側近、知人の会社に、湯水のごとくプロモーション費やシステム開発費用を使われてしまった。
固定費垂れ流すのは、素敵なオフィスとバカなシステムですが、累損解消などもはや遠い先の事。起死回生の一発がないと難しい状態となりました。
で、その連中はほぼ5期くらいまでに消えちゃった(笑
2万人近く有料ユーザーがいて、対応端末は30万台くらいだったか。有り体に言うとそこで自分は、ほぼ事業部長の状態になった。サービス運営、システム運用の両マネージャーだった頃、CSもPRも全部判断させられる事になりました。
何故”ほぼ”かといえば、小さい会社なのに、名刺だけで顔も滅多に出さないマネジメントの方々がいて、総会のタイミングなどで来て待ち時間に女の子と話してウロウロし、総会やって懇親会は全出席。
皆出向元の比率を増やして逃げつつ、ずっと役付き名刺はキープね的なゴーストシニアマネジメントがいたからです。起業準備時に、「途中で潰れろ!」と言っていた連中も含まれる。
ま、あるあるかとは思います。
結局最後、経営周りのY氏と、事業周りの私しか残らなかったという顛末でした。あとは自分ら雇った契約社員や派遣社員で回していた。
この間株主も本業の調子が悪くなり、合併しちゃった会社も出た。それこそ自分らの首の方が重要になってくる。送られてくる人も当然手をあげてくる方などはいない。合弁で回った頃の各社のマネジメントの熱い気持ちなど、もはや遠くなりにけりという感じになる。
将来不透明な合弁に送られてくるサラリーマンは、上も下も素人さんしかいないです。正直コンテンツサービスに、一般企業の内勤が入ってきても、営業が来ても、何ができるわけでもないわけです。
中にはプロアクティブな方もいまして、そういう方は、我々の持つ業界情報、リレーションを抜いて、自社で生かしたい人、または株主同士の情報交換、果ては転職狙いとか(笑)
あとは役ありで閑職の方、管理経理周り。管理周りの人がくると、これは整理待ち、損益ウオッチの感じですね。
だんだん私の様な出向者はゼロに近づき、腰掛マネジメントも名刺だけになる。
ただ、ビッグネームの受託に成功したりすると一気に戻って来て根掘り葉掘り聞いて来たりします。我々もそれを呼び水にして、自分の出向元も含め、積極参加を呼びかけたり、パートナーと株主の方がビジネスをしたい場合に口利きをする。
そんなマメな努力もあった。。。(遠い目)
でそんな状態じゃ、事業8年半、設立から10期持つわけも無い。
経営、事業努力がある訳です。
ではどうしたか。続きます。
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