「阿・吽」を読んで

なんだか最近自分の心と向き合えていない気がする。何も前に進んでいないような気持ち悪さ、情けなさがぐるぐるしていてスッキリしない。そんな時はいつも日記を書いて心の中を整理していたのだけれど、社会人になってからはその日記を集中して書く時間もない。

そんな日々の苦痛から逃避しようと、おかざき真里さんの「阿・吽」を読んだ。空海と最澄をテーマに描かれたコミックである。

最澄の生まれた700年代の日本は、仏教が肥大化し僧が政治権力を持つ時代だった。そんな仏教社会に嫌気がさした最澄は、僧になることをやめ山に籠る。

世間から逃れ一人暮らしていた最澄は、ある日山で迷っていた女性を助けた。その女性は夜になると最澄を誘惑したが、最澄はその女性の誘惑をかわしてこう説いた。

「生は苦しみである。そのことを知らなければ心が奪われ、正しい見方ができなくなってしまう。そのため、世間と交わらず清浄な心で己を見つめることが重要である。そしてそれがニルバーナである。」

最澄は清浄な心を掴むために山に籠もったのではなく、ありのままの自分を見つめるために山に籠もったのだ。

最澄は何がしたくて僧侶になったのか。
仏教の力で世界を変えたいとか、そんな壮大なことを本当に思ったのだろうか。

しかし、「壮大」と言ったが、例えば自分がいる社会はどうだろう。
自分が身を置く社会は、それが家族であれ学校であれ、自分に大きな影響を及ぼす。
その自分のまわりの社会を変えることが、世界を変えることなのではないだろうか。
世界を変えるということは、壮大なことではなくて、案外身近なことなのかもしれない。
そうであれば最澄は、世界を変える道具として仏教を選んだのだろう。

自分の世界を自分で変えていくこと。
それはなかなか大変なことだ。
変化することは緊張や恐怖を生む。
労力もかかる。
けれど、自分の心の声を聞いてまっすぐな生き方をすることは、とても清々しいと思う。
気持ちいいと思う。

自分の心の声に、常に耳を傾けていたい。
最澄はそのために最適な手段として、山に籠もった。
ならば私は、日記を書いて自分と向き合うことを忘れないようにしようと思う。

コミックの絵はどれもとても美しくて、特に最澄が水垢離をしているシーンが、まるで泥をくぐって清泉へともがく彼の生き方のようで、とても綺麗だった。

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