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お疲れモードのわたしのマインドはこんな感じ。

今日(10月10日)は「世界メンタルヘルスデー」らしいです。
それにかこつけて、最近へとへとに疲れているわたしのマインドはこんな感じ、というのをアウトプットしてみます。

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外から見たらぼーっとしているように見えるかもしれないけれど、頭の中では幾千もの考えがものすごいスピードで駆け巡っている。
ひとつのことについて深掘りしているときもあれば、喜怒哀楽のすべてがスーパーコンピューター並みに一気にあふれている時もある。悩んでいる時もあれば、ただただ考えたり思いを巡らせたりを楽しんでいることもある。ただ時々、そのスピードが速すぎて、自分でも何も見えなくなってしまうこともある。最近は結構頻繁にある。

それはまるで、車のタイヤが高速で回っているはずなのに回っていないように見えたりする現象のように。

もしくは、映画「LUCY」のワンシーンみたいに。

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落ち込んでるわけではない。でも落ちてはいる。
しあわせじゃないわけじゃない。でも自分ってなんなんだろうって思う。

それは多分、普段は自分以外の誰かや何かのために自分のマインドを一生懸命にフル回転させていて、そんなルーティーンの中で生きてることにずっと慣れていて、でもあるタイミングではたと気づいたから。

「あれっ、自分のためだけに時間とマインドを使ってねぇな。」

それでいざ、自分のことを考え始めたら、ものすごく疲労困憊して息も絶え絶えになったミニ・ミーが「今まで放っておきやがって、やっと気づいてくれたけど結構やばい状態になっております」と涙まじりに訴えてきて、SOSを今まで発し続けてたことにやっと気付く。

「自分」とはだれなんだろう。
とりあえず、それを深掘りしたい衝動にかられる。
そのためには、自分のための時間が必須だ。

社会的なことは休もうと決心をして、外の世界へ「ちょっとすみませんけどお休みを‥」とお伺いを立ててみると、なぜかそっちの人たちは気軽に「えっ無理。」って断ってくる。わたしは君たちの要求を今までNOと言わずに受け入れてきたのに。

そうするともう「自分をわかってくれる人は自分しかいない。というか自分もわかっていないから、まずは自分で自分を知ってあげて癒してあげなきゃ」って躍起になる。それで、それを邪魔しようとする人や何かがあろうもんなら、誰彼おかまいなしに「シャーッ!」と怒りを向ける。

そして夜、ベットの中でふと我に返ったときに、自分の不甲斐なさと幼稚さと、でも自分のことを誰もわかってくれない孤独さで涙が溢れてくる。

ワンワン泣きながら、体も脳内もヘトヘトなのに、それでもマインドは豪速球並みに駆け巡る。

そしてまた、何事もなかったかのように朝がくる。
そのことに虚無感を感じることもあれば、それが救いになることもある。

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「休みが必要」なんてことは、わたしだってわかっているのよ。
何が大変で面倒くさいかって「休みを獲得する」という作業。そして「休み中&休み後にやってくる(であろう)罪悪感と、社会的な生活を送って行くときに【休んだ】ということがなぜかマイナスに捉えられてしまう事実」。

わたしはまだ、理想の「大きくドーンと休む!」までの勇気が出ない。
だからちびちび休んでいる。

それが今のわたし。

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今までは「誰も何もわかってくれねぇ!」と思っていたけれど、わたしの今の救いは「この人たちは、ちょっとわかってくれてる」と思える人がいること。まじでその人たちの存在は大きい。彼女たちも、わたしのことを100%わかっているわけじゃない。わたしだって自分のことを100%わかってるわけじゃないんだから当たり前。でも「ここぞ!」という時に「これ!」ということを否定せずに受け入れてくれる、本当にプレゼントみたいな人たちだ。

でも、そこに依存はしたくないし、
常に今、わたしが大事にしたいのはわたしだ。

会社もコミュニティも、最後にはわたしのお世話はしてくれない。
自分に最適な「してほしい」「これがしたい」を探り当てられるのは自分だけだ。

そんなわけで、今日もわたしは目まぐるしく動くマインドの中から、自分の「コア」を見つけながら生きてます。

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さて、もしここまで読んでくださった方がいたならば、心から感謝とエールを送りたい。

色々あるよね。
あなたとわたしは別の人間かもしれないけど、色々、あるよね。

お互い、よく頑張ってるよね。乾杯。

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