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大学病院受診〜病名確定[多発性硬化症闘病記②]

そして大学病院へ 

私たちは数ヶ月前に今の街に引っ越して、偶然にも家のすぐ近くに大学病院がありました。
引っ越したばかりのとき、救急車のサイレンが何度か聞こえるのが嫌だったのですが、もう慣れてきたころでした。
大学病院の近くに住んだのはラッキーなことでした。
(と、同時に引っ越しができなくなるという宣告でもあります。私は正直この町が好きじゃないので次の更新で引っ越したいと思っていましたがどうなることやら……。また、次に引っ越すのであれば治療ができる大きな病院のそばの家じゃないと嫌だなあと思います)  


大学病院1回目(初診&髄液検査)

待合が長い

午前休をとり、病院の営業開始と同時に行きました。(その後、長引いたので全休に変更してもらいました)
平日の朝だというのに、多くの老若男女で賑わっている姿を見てびっくりしました。

ダンジョンのような大学病院を彷徨い、脳神経内科が入っている棟を見つけるまでに30分が経とうとしていました。
そこから初診受付に30分。
「あとは待つだけ!!」になりましたが、その後が地獄でした。
初診は予約が不可なので凸るしかないのですが、待てど暮らせど呼ばれない。

本や携帯で暇つぶしできていたのは最初の一時間くらいで、それ以降は暇すぎてもう「シテ……コロシテ……」状態。

いざ診察

待って2時間以上経ったところで、ようやく順番が回ってきました。しかし、それだけ待つのも納得。病院の先生は今まで出会ったどの先生より丁寧に、小さな言葉も掘り下げ、色々触ったり実験?的なことをしてくださいました。
町医者の「風邪ですね〜薬出しときます〜」の空気とは異なり、驚きました。

先生からは「多発性硬化症の可能性が高い」と言われました。やはり、私の年齢で脳内に白い雲が浮かんでいるのはおかしいようです。
そして「この病気は『この数値が高いから多発性硬化症!』という診断ができません。周りの可能性(『脳梗塞』『感染症』など)を潰す必要がある」と言われました。そうして、私の周辺可能性を潰していく旅が始まるのです。

髄液検査

初診当日、髄液検査をしました。めちゃめちゃ怖かったことを覚えています。
腰に違和感があったものの、あまり痛くなかったです。
検査後、1時間くらい安静にしなければならないので暇すぎて辛かったです。

スマホの充電バッテリーとイヤホンを持っていこう!

大学病院2回目(眼科)

「多発性硬化症の人は目にも異常が出やすい」ということらしく、同じ大学病院内の眼科に紹介状を書いていただきました。
またとてつもなく待った後、いろいろな検査を受けました。
眼科の検査というと、風が吹くやつ・Cの字のやつ・赤と緑のやつくらいしか知りませんでしたが、他にも色々あるんだなと思いました。

結果、異常なしと診断されました。

大学病院3回目(造影剤MRI)

60分くらいの撮影だったかな?
途中ですやすやと眠ってしまい、自分の「どこでも寝れる」という性質はすごいなと改めて感じました。

ヘッドフォンの曲はジブリメドレーでした

大学病院4回目(検査結果発表&血液検査&難病申請について)

造影剤MRIの結果、現在進行形で炎症になっているところはないと伝えられました。
私の頭に浮かぶ雲は過去の過労で起こったものだろうと結論づけられました。私は前職がブラック企業だったので、そのせいかも……?と思いました。(前職の働き方については有料部分で書きます)

この期間の間で、私は、担当医のことが大好きになりました。
担当医から「晴れて多発性硬化症になりましたね」と言われたので、私は晴れやかな気持ちになりました。自分の不調の理由がわかった上、適切な処置を受けれるというのですから。

「晴れて多発性硬化症になりましたね」

しかし、それは私のMBTIがT(論理)だからで、もしもF(感情)の人だったら「病気になってんのに晴れてって使うなよおおおお」と思われるんだろうなと思いました。この医者、トラブル多そうだな……

血液検査の結果、一部の数値に異常が見つかったため膠原病の可能性があるということで、同じ大学病院内のリウマチ科へ紹介状を書いてくださいました。
並行して、多発性硬化症の薬事治療を始めるにあたっての説明をされました。具体的には、薬の費用がめちゃくちゃ高いので難病申請がマストであること、難病申請のやり方をなどについてです。

最後に、感染症などのチェックが必要ということで血液検査をしました。

大学病院5回目(リウマチ科&尿検査)

甲状腺の腫れや皮膚の状態などを色々とみていただきました。

結果、異常なしと診断されました。

難病支援センター(書類を取りに行く)

申請書類をとりに行きました。
家から遠かった&駅から歩く距離のため、やはり大学病院が近い今の立地に感謝しました。

難病支援センターはザ・市役所!という感じでした。
窓口の方の難病についての知識がすごくてびっくりしました。また「あ、難病ですね〜☆新規申請こちらです☆」というポップな対応で、メンタルが折れかけの私にはちょうどいい機械感がありました。
神妙な面持ちで「この度は。。。」と言われたら泣いちゃいそうでしたから。

大学病院6回目(申請書類について)

ここまでくると先生と仲良くなってきた気がします(私だけでしょうか?)
センターからもらった申請書類の中で、先生に書いていただく必要がある書類をお渡ししました。
なるはやで仕上げるという言葉をいただき、心強い気持ちになりました。
いつまでに申請し、具体的な治療スタートするかという話をしました。

難病申請というのは、申請の結果が出る前でも、申請した日に遡って請求できるらしく、治療を始める前に申請だけしておくのがミソのようです。

大学病院7回目(書類を取りに行く)

先生が書いてくださった書類の完成の頃合いに取りに行きました。

難病支援センター(申請する)

申請しに行きました。この日はすごく暑い日で、行くだけでもヘトヘトになってしまいました。このセンターなんて健康上に問題がある人しか来ないんだから、もっと駅の中に作ってほしいと思いました。

次の記事からは治療がスタートします!ここまで長くなりましたが、ここからが本題ですね。頑張ります!


具体的なスケジュールについて

具体的に日程を明示しますが、1回目から難病申請まで2ヶ月もかかっていません。この短期間で有給をバンバン取得できたこと、仕事が許してくれたことを感謝するばかりです……

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