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カグラ

今回は、私が30代前半、結婚して2軒目に住んだ家での思い出話です。

結婚した当初は賃貸マンションに住んでいたのですが、2年ほどたったある日、不動産情報好きだった元嫁が、「このまま家賃を払い続けるのはもったいない」と言い出しました。

そして、どこをどう探して来たのか、当時私が勤めていた会社の川を隔てた真向かいに、中古の二階建て一軒家を見つけてきたのです。
住宅ローンの支払い額も、マンションの家賃とほぼ同じで、会社にも歩いて通えるほどの近さだったので、私はその家を購入することに決めたのでした。

市内南東部にある、江戸時代初期に造られた川幅の広い人工河川「百間川」を渡ってすぐのところ。
幹線道路を右に折れて、少し行った先の一本の路地の奥、その突き当りに新しい我が家はありました。

家の側面は百間川の、護岸整備されていない、向かいながらの土手に面していおり、家と土手の間には、二階の窓を越えるほどの高さのハクモクレンの木が一本植わっていました。
妻が内見に来た時には、ちょうど白く大きな花が満開の時期で、それもあってこの家を私にすすめたのだと思います。

しかし、この家のもっとも特徴的だった点は、小さな神社の右隣、本殿の真横に在ったことでした。
一階の和室の掃き出し窓を開けると、わずかばかりの裏庭がありました。
その裏庭の先には高さ1.2メートルほどのコンクリート製の擁壁があり、その先はもう神社の境内です。

そこには高さ1メートル、縦横2メートル四方の石垣の上に、古く小さいながらも高床式で神明造(しんめいづくり)の立派な本殿がありました。
わが家からはその右側面を見上げるかたちになります。

本殿は人の入れないミニチュアサイズのものでしたが、その左側には大きな拝殿があり、本殿の背後、裏庭からみると向かって右側には、小さな石造りの末社や祠がいくつかと、御神木のクスノキが一本、高々と繁っています。
そして、その後ろ側はわが家の側面にも続く長い土手道になっており、近所の人たちの散歩コースとなっていました。

そんな神社の真横の家に住みはじめて、半年ほどたった10月のとある日曜日のことでした。
朝寝していた私の耳に、突然仔猫の鳴き声が聞こえてきました。
当時、わが家は猫は飼っておらず、近所にも仔猫のいるような家はありませんでした。
どこで声がするんだろうと、鳴き声のする方を見てみると……いました、いました。

裏庭の先、神社の本殿の高床式の床下に、白い仔猫が一匹、その小さな体に似合わないような大きな声を張り上げています。
捨て猫?と思いましたが、可愛い盛りの真っ白な仔猫を、しかもたった一匹だけ捨てる人がいるでしょうか。

そうでないとすれば迷い猫?
だとするとそばに親や兄弟がいる可能性があります。
へたに手を出すと、親が怖がって連れて帰らない可能性もあることから、私はしばらくそのままにして様子を見ることにしました。

しかし、昼近くになっても仔猫は相変わらず一匹だけで(鳴き続けているのでした。
鳴き疲れてきたのか、声はしだいに小さくなってきています。
私はしかたなく家を出て、隣の神社の正面へと回って行きました。

あらためてみるとほんとうに小さな神社で、入り口に鳥居はなく、かわりに両脇に石の柱が立っているだけでした。
正月などの神事の際には、この柱の間にしめ縄が張られるのだと後から知りました。。
さほど広くない境内の真ん中を突っ切る形で、板敷きの細い質素な参道が拝殿へとまっすぐ続いており、その両側には、右手にブランコ、左手に鉄棒とすべり台が設けられていて、地域の公園がわりになっていることがわかります。

私は拝殿の裏へと周り、本殿の脚元にいる仔猫に近づきました。
私の姿を見ても仔猫は逃げることなく、おとなしく抱き上げられるままでした。
生後一ヶ月あまりでしょうか、薄いピンクの小さな肉球も可愛い、真っ白な短毛の女の子です。

家に連れて帰った仔猫を見て、ふだん動物には興味のない妻も、珍しくすんなりと飼うことを許してくれました。
よく見ると、まだ薄っすらとでしたが瞳はオッドアイのようです。
神社から来た子なので名前は「カグラ」と付けました。

その後、カグラは順調に大きくなっていきました。
大きくなるにつれ両目のオッドアイもはっきりとしてきました。
右が薄いブルー、左は明るい金色です。

妻にもよく懐いて、彼女が土手道を散歩するときなどは、その足元をずっとついて歩くほどでした。
ただ、とても勝ち気な性格で、近所の猫はもちろん、散歩している犬にまでつっかかっていくのだと、妻は困った表情で、しかし少し誇らしげに私に言うのでした。

そのような日々を過ごしながら、一年あまり過ぎたころから、カグラはうちの中に居ることが少なくなってきました。
食事の時かよほど天気が悪い日以外は、夏の暑い日はもちろん、冬の寒い日でも、裏の神社の本殿の下に寝そべったり、時には本殿の上にのぼったりなどして過ごしていることが多くなってきたのです。

そんなある日、買い物から帰ってきた妻が、「今日、となり町でカグラを見た」と言いました。
川向うの何気なく通った裏道。その裏道の脇に、なにを祀ってあるのかよくわからない小さな祠があり、そこでカグラとそっくりな白猫を見たというのです。

「橋を渡ってそんな遠いところに行くわけないないだろう」という私に、妻は
「でも、体つきや仕草などカグラに違いなかった」と言うのでした。
結局、オッドアイを確認していないことと、彼女の姿を見て逃げたということで、きっと別のよく似た猫だったんだろうということで、その日はおわったのでした。

しかしこの日以降、妻は時々出かけた先でカグラを見かけたと言うようになりました。
妻は私同様、短歌を作る人でしたが、その題材探しによく神社やお寺に行っていました。
最初は家の近所にある、隣よりは少し規模の大きな神社で見たと言っていたのですが、次は遠く離れた市内の神社で、その次の時には県内のよその市の神社でと、しだいに遠く、またより大きな神社へと、彼女のカグラらしき白猫の目撃報告は移り変わっていったのでした。

当のカグラはというと、共働きだった私たちが留守の間は、はたしてどのような生活をしていたのかはわかりませんが、あいかわわらず裏の神社で日がな一日寝そべって過ごしているようでした。

そして、この家に越して来てから3年あまり過ぎたころ、再び転居の話が持ち上がりました。
実はこの家、周りが自然豊かなのはいいのですが、その分、大量の落ち葉や雑草に悩まされ、虫やヤモリのほか、時にはヘビも出没していました。
それに加えて、隣に気難しいおばさんもいたので、売り払って今度は新築の家に移ろうという話になったのでした。
そして、このときもまた妻がどこからか、市の東のはずれの高台にある新興住宅地の土地をみつけてきたのです。

やがて、新居が完成して、引っ越しの日も近くなった頃、ふいにカグラの姿が見えなくなりました。
裏の神社にはおらず、食事にも戻ってきません。
妻と近所を探しましたが、その姿を見つけることができないまま、ついに引っ越し当日となってしまいました。

妻は最後まで裏の神社周辺を探したそうですが、見つけることはできず、泣きながら車に乗ったのだとあとから聞かされました。
うれしいはずの新居への引っ越しも、大きな心残りのある一日となってしまいました。
私も仕事帰りに何度も探してみましたが、カグラの行方は杳(よう)として知れませんでした。

それから1年ほどたった頃、旅行から帰って来た妻が「カグラがいた!」と興奮して言ってきました。
妻は友人たちと二泊三日で伊勢志摩へ観光旅行に出かけていたのですが、その旅の途中、伊勢神宮の外宮(げぐう)でカグラの姿を見たと言うのです。
しかも今回は、はっきりとオッドアイも確認したから間違いないと言います。

そう言われてあらためて確認してみたところ、あの家の裏の神社を含めて、妻がカグラを見たと言ったのは、どれも伊勢系の神社だったことがわかりました。
「小さな神社から始まって、だんだん大きな神社で見かけるようになって、しまいには伊勢神宮で見たんだから、サラリーマンなら片田舎の営業所から順調に本社勤務にまで出世したんだよね、きっと…」
などと変なたとえでしきりと感心している妻の横顔は、嬉しそうでもあり少し寂しげでもあったという…そんな古い思い出話でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 八十一日目
2023.6.24

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