見出し画像

漫才は書けない

2024年、新年を迎えて私は一つ目標を立てた。


今年は漫才を書きたい。いや、書く。


生まれてこの方、恥ずかしながら1年間の目標というものを掲げたことは一度もなかった。


平凡すぎる自分には“目標”という言葉がどこか重荷であったことも確かなのだが、意識の高い目標を持つことが、なんとなく洒落くさいことだと考えてしまっていた自分もいた。ましてやその目標を他人に公言することなんて考えられなかった。


年末になると、インスタグラム上には、自分の一年間をわざわざリール(ショート動画)にして振り返る者、年が明ければ新年の目標を語り出す者が必ず現れる。
それを見るたびに「自分の充実した1年間を見せつけたいんだな、こいつらは。」「所詮自分の目標なのだから、自分の中に留めておくことはできないのか。」とひねくれた気持ちになり、年末なのに毎年ちょっと嫌な思いをして年を越していた。

こうして過ごしていくうちに、目標という存在からさらに遠ざかってしまった。そしてこの年末恒例イベントを目の当たりにするたびに、自分は根本的にSNSが向いていないんだなあとも思っていた。

だが、今年は違っていた。

それは母が数年前から購読している、有名占い師ゲッターズ飯田さんの本を借りて読んでみてからのことだった。

今年2024年、私は最高に運勢が良いらしい。気になることがあるなら躊躇している時間はもったいないからどんどん飛び込めと書いてある。

私はとてもチョロいので、その言葉にまんまと乗っかってみることにした。
こんな良き年に、何もせず1年間が終わってしまうのはもったいない。なんとなくで今まで来てしまったが、今年は惜しみなく生きてみようと初めて思えた。


でも、そのためには目標を立てなければ…早速自分の苦手分野と対峙してしまった。
今年は仕事で昇格することは難しそうだし、別にダイエットとか筋トレとかいわゆる自分磨き系もなんだか聞くだけで疲れてしまう…と目標設定に早速躓きかけていた頃、ふと“目標”について考え直してみた。
個人的な目標なのだから、万人に言えることである必要はないし、それが自身のスキルアップや他人のための善行である必要もないのだ。そう思えた瞬間、一気に肩の荷が降りた。
「そういえばやってみたかったな」みたいなものはないだろうか…。


「そうだ、漫才が書いてみたい。今年は漫才を書きたい。いや、書く。」


唐突のひらめきの様だが、脳の中では確かこんな思考が展開されていた。


私は物心ついた時から、筋金入りのお笑い好きだった。
自分では筋金入りの自覚は無いのだが、『エンタの神様』をはじめ、『爆笑レッドカーペット』や『志村けんのバカ殿様』など、人生のどこを切り取ってもお笑い番組があった。大学生になると劇場に行くことも増え、うっすら「芸能事務所に就職して、芸人さんのマネージャーなんかもいいな」と思ったこともある。激務だと知ってすぐに諦めた。


結局何にも関係のない会社に就職し、ただなんとなく過ごしていたが、社会人というものは想像以上に心身疲れる日々だった。

好きなお笑い番組や芸人さんのYouTubeをダラダラと見ていたら、休日が終わってしまうなんてことは度々あった。
お笑いは、「疲れていても摂取したいもの」であることには変わりなかった。
しかし、自分がいつまで経っても与えられている側であることに少しやるせ無さのようなものも感じていた。
「面白い」を提供する人を見るうちに、そして好きや得意を職業としているところを見ていると、どこか憧れのような感情が沸々と湧き上がっていた。

自分には何ができるだろう。


「(今から芸人になることは考えられないし、番組を作るなんてこともノウハウが無さすぎてできない。だからといって配信者になるのも違うなあ…。)」短い間に様々な職業が駆け巡った。



「(ん?芸人にならなくたって漫才を書くのはタダだよな。

漫才書いちゃう?
うわ、面白そうだ…)」



今まで自分の中で窮屈に凝り固めてできた“目標”という概念が、ゴゴゴゴゴ…と徐々に音を立てて崩れていく感覚だった。
出来るか出来ないかはさておき、自分自身にこんなにワクワクできたのはとても久しぶりで、なんだか嬉しかった。

なんかまた、この目標も自分らしいと思えてとても気に入った。
友達とはいえ、急な意思表明を始めたら多少厚かましく思う気持ちはあるだろう。
だけど、今年は漫才を書くなんて言えば、「本当にやるの?バカだなあ」くらいの気持ちで、聞き手側も面白がって聞いてくれるんじゃないかと思った。


とりあえずiPhoneのメモにネタ帳を作ってみた。
いきなりネタを書くのは難しいので、ふとした時に浮かんだ面白いフレーズをメモする。仕事中に浮かんでしまった場合は、上司に見られないようにその辺の付箋へこっそりと綴った。


大分メモが溜まってきて、漫才っぽいやりとりが書けそうな感じになった。
しかし、漫才を4ラリーくらい書いた時、手が止まってしまった。


題材は決まっているのに、テンション感が全く定まらない。
「(ここは敬語の方が良い?それとももっとくだけた感じの方がいい?)」
この唐突な迷いの答え合わせは案外すぐだった。


相方が決まっていないからだ。


漫才を見ている側の人間が偉そうかもしれないが、この人が言うから面白いセリフというのは絶対にあると思う。真面目そうな人が言うから面白いこと、陰キャっぽい人が言うから良い言葉、、、。使いたいセリフはいくらあっても、言わせたい人間が定まっていなかった。

ただ闇雲に漫才を書くなんて難しいなと、その時痛感した。


「漫才は、書けない。」

今年の目標、撃沈。 


というわけでもなかった。
漫才を書くことはできなかったが、あのネタ帳のおかげで話のネタにしたいことが沢山できた。

日々のくだらなさすぎること、幼少期から密かに思っていたこと、街で見かけた気になりすぎる人、そして少しの毒…。
これらをネタではなく、文章に落とし込んだら、もしかしたら読んでくれる人がいるのかな。
まだ何も始まっていないのに、そんな想像をして勝手にワクワクしていた。


これが今回noteを始めたきっかけ。
紆余曲折あって、noteという形にたどり着きました。
日常何気なく巡らせているしょうもない思考を余すことなく、届けられたら幸いでございます。



長くなりましたが、これからどうぞよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?