何者でもないヤツのエッセイだけど、読んでく?


そういえばまだ自己紹介をしていなかったなと思ったので、このタイミングで自己紹介をさせていただきます。
趣味を題材に、自分のこと、そしてエッセイについて思うことをお話しできたらなと思います。


改めまして初めまして。まくちゃんといいます。
どこにでもいる平凡な東京の会社員です。
今は、好きなお笑いや文章を書くこととは何にも関係ない仕事をしています。


お笑いはさほど詳しいという訳ではありませんが、物心ついた時からずっと好きなものでした。

エンタの神様をはじめ、志村けんのバカ殿様、爆笑レッドカーペット、レッドシアター、アメトーーク、LIFE!などを見て育ち、大学生になるとくっきーさんやZAZYさんなど尖った芸風を好きになるところを含め、王道ルートを通ってきたのだと思います。


今でも毎年ショーレースは欠かさずに見ていますし、単独ライブや吉本の劇場など、舞台に足を運ぶこともあります。




一方文章はというと、趣味歴でいうとものすごく浅いです。
note歴とほぼイコールと考えていただいてOKです。

文章を書くことはおろか、それまで本すらまともに読んだことのない人間でした。



そんな人が、なぜこのタイミングで????
と思われることだと思います。

始めるに至った経緯は、こちらによく書いたので読んでいただけると幸いです。

(記念すべきnote初投稿作品です。が、自分で"作品"と言ってしまうあたり、まだ絶妙にハズいです)


私が書いているのは、主にエッセイです。
やはり"歴が浅い"というところについて若干の後ろめたさがあるので、自分の書いたエッセイのことを「エセエッセイ」なんて呼び方をしています。
あたかも自分だけが思い浮かんだことのように言いますが、もう既にそんな呼び方を思い浮かんでいる人なんてたくさんいるんだろうなと思います。


こんな風に自分が1言ったことに対して、3ツッコミを入れないと落ち着かないところがあります。勘のいい方はお分かりだと思いますが、若干「気にしい」な性格の持ち主です。
まあこれもある種の自己紹介ということで多めに見てやってください。


さて話が逸れてきましたので、本題に戻します。


「エッセイ」というジャンルについて。


私がエッセイと出会ったのは、高校生の時。
その頃私は、星野源さんにお熱でした。


ご存知の通り、彼の肩書きは俳優兼音楽家兼文筆家。
幅広く、今はアーティストと言ったりするんでしょうか。

とにかく多才な方です。


NHKのコント番組「LIFE!」で彼の存在を知り、その後「SUN」という楽曲で完全に心を掴まれてしまいました。



私には何にも夢中になれない自分自信に対して、周りに遅れをとっていると心配に思った時期がありました。
ですから、何かに夢中になれたのは、嬉しいという感情だけでなく、「自分にも周りと同じ感性があって安心した」という感情があったのも事実です。



そんな感じで"憧れ"のオタクになれた私。
オタクって、本来は 気づいたらなっているもの のはずですよね。
変な憧れを抱いていたことが何かを拗らせてしまい、気がつくと自分の中に勝手に「オタク像」みたいなものを創り上げてしまっていました。


それは、オタクはその分野の全てに精通していないと”いけない”という考え方。

オタクになることに若干ヤケになってしまっていた私は、”好き”を名乗るために、


全曲知っていないといけない
雑誌を全てチェックしていないといけない

と思い込んでいました。


ここです!!!!!!エッセイと出会ったのは。



本当に嫌な書き方をしますが、まさしく「好きな人が書いた著書は読んでいなきゃファンを名乗れない」という動機が少なからずありました。
今思えば、本当に嫌なヤツですよね、、笑
もちろん、星野源さんに魅力を感じていたことも事実ですが!

当時確か2~3冊本を出されていて、そのうち1〜2冊がエッセイだった気がします。


人生で初めて読んだエッセイを読んだ最初の印象はというと、


なにこれ、今まで知らなかった楽しさが詰まってる!


動機は不純でしたが、確かに楽しんでいました。


何と言うか、こんなラフで穏やかな文体が初めてでした。文学ってもっと堅苦しいものだと思っていたので。
そして何より、好きな人の頭の中やプライベートを覗いている感が堪らなかったのです。
拗らせ限界キモオタは、星野源さんの思想まで手に入れたような気持ちになって舞い上がっていました。
(言語化していて今、ものすごく恥ずかしいです。)

この頃は、エッセイの楽しさに触れつつも、関心はどちらかというと星野源という人間そのものに傾いている感じがありました。


星野源さんのエッセイを読破してからはしばらくエッセイとは疎遠になりますが、数年後、ファッション誌『FUDGE』を購読するようになり、エッセイと再会します。

そこで連載されていたのが、詩人 最果タヒさんの『好きの因数分解』というエッセイ。

題材は決まって彼女の好きなもので、それに対する「好き」という感情を因数分解でもしたかのように突き詰めていく、そんなエッセイです。

これが本当に面白くて…


なんというか、可愛らしく素直に「好き」が描写されているところにたまらなく愛おしさを感じるのです。
それでいて、「好き」の表現は決して安直ではない。

普段ぼやっと生きてしまえば、気付かずに通り過ぎてしまう感情を、ひとつひとつ丁寧に掬い上げ、文章に落とし込んでいく。
そんな繊細な描写によって、あたかも自分が経験したかの如く、懐かしみながら読んでしまうのです。
なんというか文章に吸い込まれていく感覚。



そんなところを好きになったんだと思います。


「誰」が書いているという情報は無しに、言葉だけでここまで惹きつけられたのはこれが初めての経験でした。(星野源さんのエッセイも、誰が書いているかという情報を除いても素晴らしいものだと思います。)
プロの凄さを身をもって感じました。

エッセイ(随筆)なんて、誰でも書けそうなんて思ったかつての自分が恥です。

でも、小説や論文を書くのとは違って、とっつきやすさはあるのは事実かなとは思います。
でなければ、こうして書き始めることもなかったでしょう。

実際、しょーもないことが浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返している自分にはうってつけの文体なのではと思いました。


しかし、こうしてnote投稿を始める前、そんな思いの裏側で、自分自身にこう投げかけていました。


「何者でもないヤツの文章なんて、誰が読みたいんだ?」




エッセイを出版している人は、基本的には下記のどちらかだと思います。

①文筆界の著名人
エッセイスト、詩人、文筆家など、書くことを仕事にしている人を指します。
肩書きがある、堂々たる「何者」です。


②文筆界隈以外にフィールドを置く著名人
こちらは、俳優や、お笑い芸人、スポーツ選手など、本業を別に持つ人を指します。
彼らのエッセイの読者は、本業での彼らを知っていて、普段メディアでは見られない部分(エッセイに書くこと)に関心を寄せる人が多いのかなと思います。

星野源さんは立派な①の方ですが、私が読みたいと思った動機は限りなく②の理由に近いと思っています。(不純な動機はありましたが)


とにかく皆さん、エッセイを書く人は「何者か」に当てはまる人なのです。


一般人の自分が、自分語りをして、一体誰が興味を持ってくれるのか。
また、その自分語りをエッセイなんて言って偉そうではないか。
エッセイだと、語尾が「だ」・「である」になりがちですが、それにさらなる拍車をかけてしまっているのではないか。


一般人は思うのです。



そんなことをブツブツ思いながらも、意を決して始めてみました。

いきなり誰にも言わず始めてみたけれど、読んでくれている人はいる。
完全なるゼロではない。
一般人、少しだけ勇気が出ました。


でもいいねが少ないのは正直、ひびきます。
いいね目当てで書いているわけではないのに、さすがに読み手の反応が無くては、虚しくないはずがないです。
また、自分がよく書けたと思ったもののいいねが思ったより少ないこともザラにあります。


それで、読んでもらうためのコツを書いたnoteやエッセイの書き方の本を読んで少し勉強してみました。

私の書き方がまあ違うこと。こりゃいいねは伸びないわと思いました。


結局いいねの数に踊らされてんじゃんとか思いながらも、色々な書き方をしてみて、実体験で学んでいくことを大切にしていきたいと思います。


それにしてもすごいボリュームになってしまいました。
書きたいことを全て書こうとするといつもこうなります。


何者でもないヤツの文章をここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


読んでくださったことを励みに、これからも書くことを続けていきたいと思います。

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