悔しいと思えない、悔しいと思わない

自分はあまり悔しいと思わない。思えないと言ってもいいのかもしれない。

自分でも不思議でならない、高校3年間ほぼ休み無しで、朝6時に起きて朝練に打ち込み、夜は20時まで必死にトレーニングしていた部活をしていた。

高校3年の時、インターハイにつながる県大会で、地区大会にすすめる順位の一つ下になった時ですらも、悔しくて泣くなんてことはなかった。
怒りも覚えなかった。自己嫌悪にもならなかった。ただ淡々とダメだったなと現実をすぐさま受け入れた。

感情が動いていなかったと思う。

かといって、部活は真面目してた。必死に本気で打ち込んだ。強くなりたいと思って努力した。試合で優勝する想像もよくしていた。想像を実現すべく努力し続けた。生半な思いでやってはいなかった。

にもかかわらず、自分のベストを尽くせなかったのに、悔しがっていなかった。

そんな自分が悔しいと思ったときはいつだ?と思い出してみる。

思い出した。

バカにされた時だ

以前インターンに言ったときにインターン先の人たちに「こんなこともできねえのか」など悪態をつかれ、皮肉、嫌味をよく言われた。

その時は悔しさを覚えて、鼻を明かしてやろうと必死に行動した記憶がある。今となってはその経験があったから得られた大切なものもあるが、もっとマシな方法はなかったのか?とも思う。

バカにされて、悔しくなり、怒りを覚えた。

部活のときにはなかった感情のパターンだ。
怒りは二次感情。つまり、インターンのときは、バカにされて、自分はそんなことないという反発があり、悔しくなり、怒りを覚えた。
ある意味、ポジティブな怒りだ。

だって、バカにされた、「あぁ僕はなんてダメなやつなんだ」とネガティブに落ち込んでいない。

「俺はもっとできるぞ」と反発しているんだ。なんとまぁ自己肯定感やら自己評価が高い人間なことか。本当は知識もなく勢いだけで行動している人間なのに......笑

ネガティブにならないのは便利だが、無駄に自信持って行動してしまう、実行してしまうがゆえに失敗も多いからもう少し、ネガティブにはならなくとも慎重になるべだなと今、改めて思った。

となると、部活のときはなぜ悔しくならなかったか。

地区大会に進めなかった。試合の結果が良くなかった。ベストを尽くせなかった。
ここで、「なんであの時こうしなかったんだ?」「あんなに頑張ったのになんでだよ」とネガティブにもならなかった。自分の選択を攻めるようなことはしなかった。過去の自分を責めなかった。素直に結果を受け入れていた。

このときは、俺は本当はもっと行けるんだという気持ちにもなっていない気がする。だって、現状の記録、結果に反発していなかったんんだから。

不甲斐なさ、いらだち、恥ずかしさは感じていない。インターンのときには感じていた。

不甲斐なく思っていない、恥ずかしいと思っていない。
ここでは逆によくやったほうだと満足していたのだろうか?もともと入賞できるほど人間ではなかったから、部活に関しては自己評価が低かったのか?

弱い選手というレッテルを背負いながら、必死に練習についていってたからこそ、絶対に勝てるという自信はなく、ただ全力を出すだけというのが自分の中の最大目標だったのか?

勝ちたいという思いがなかった訳ではないが、自分の中で夢を描きすぎて、自分にはできっこないという潜在意識があったのだろうか?

自分はいつもどおり結果が出ない。どんだけ練習を頑張っても試合では特に記録が出ない。そんなことが続いていたからこそ、自己評価も下がり、自信もなく、ただこなすだけ、勝てたらいいなの棚ぼた待ち状態だったのかもしれない。

これまた面白いのが、自分がコーチになりずっと指導していた後輩が、ケンで優勝できるポテンシャルがあるにも関わらず、県大会で自分と同じく、一つ順位下で地区大会出場を逃したときのほうが、後悔した(後悔してるじゃねえか)

このときは、自分に責任を感じた。後輩には行ける力があったのに、自分のコーチングの力量が足りなかったからこそ起きた悲劇だと、悲観した。
自分を責めていた。ネガティブになった。

後輩が勝つ自信があった。期待も高かった。ダメだろうなんて一切思っていなかった。

書いてて分かった。

悔しさの要因は自信だ

自分の感覚だけど。

そういうことか。自分が選手のときは不安で不安で仕方がなくて自信なんて持てるもんじゃなかった。

でも、後輩は勝つ自信があった。

だから、悔しいという感情が湧いた。

インターンのときになんでそんなに自信があったかはわからんが、勢いでやるくせがついて、変に物おじしないようになったんだと思う。根拠のない自信てやつ。それもまたTPOをわきまえておかないと面倒だから、表面上は謙虚に慎重に生きるっていうのを目標に......笑

悔しさをバネに努力して、自信に変えるっていうのがアスリートとかが持つ思考なんだろうけど、自分には持ってなかったな。そもそも悔しいと思う段階に経ってないんだもん。

インターンのときには悔しさを覚えて、インターン中に技術を身につけることができた。ある意味あてつけではあったが、自分にはプラスなのでOK。悔しくなってネガティブな方向へはほとんど行かず、「こんなこともできねぇの?」と言われたら、悔しさを覚えつつも「じゃあやってやんよ」ってスタンスだ。ここで根拠のない自信てやつが効いてやればできると思っている。

部活は練習をやっているつもりではあったが、自分に自信を持てるような練習をやっていなかったんだなと反省。
練習でこのくらいできたら試合でこのくらいの結果が出るだろうと、自信と期待が持てる段階ではなかった。
その時点で、練習をこなしているだけ。自分にはなんの効果も出ていない。

やらされている環境だったってのも大きいんだろうな。

インターンは自分の判断と、自分の努力。やらなくても別にいいことでもあったが頑張った。結果自分にプラスになった。
そこでは考えて努力していた。結果、目標を見据えての必要な努力。

しかし、部活ではこなすだけの努力。何も理解していない練習を全力でこなす努力。

やった気になっているだけの努力。

そりゃ自信つくほど成長もしない。そして周りを見て怖じ気ついて、根拠のない自信も湧いてこない。
アホだ。

結果悔しいとは思ってるけど、思っている期間は非常に短いことが分かった。自分の場合は。

悔しいなー、やってやんよの二段階。

悔しいなー、恥ずかしいな、辛いな、自分はなんてだめなやつだ、いや落ち込んでいてはダメだ、頑張らないと、今度はこうならないようにしないと、よし!ってならないだけいいや。

悔しいと思えるように努力すること(やったふりの努力ではない)、自信をつけること。
いざ、悔しさを覚える状況になっても、すぐにやってやんよになる精神。

これが大事だな。

逆手に取ると、悔しいと思えないということは......?と考えてみたら、自分の取り組み方とかを見直せるかな。
悔しくなるかならないかというリトマス試験紙を持ち合わせておくと自分の努力の方向性を見失わないで済む気がする。

悔しさを覚えてもやってやんよの、反骨精神に近いものもあったほうがいい。ありすぎたら、負け犬の遠吠えというか、ただの能力のないやつがイキっている状況になるから、自分の中にとどめておく。

タイトルを最初に書いたら、最後と言っていることがまるで違って面白い。
整理してから書けよって感じだけど、書きながら整理してる。どうも自分の考え、思考をアウトプットするのに時間がかかるようになってしまった。
ある意味リハビリ。

いまタイトルを付けるなら、なんだろう。

悔しいと思えないのはそういうこと

とでもつけようかな。
悔しいと思わないことを否定はしないが、なぜ悔しいと思わないのか?思えないのか?という部分については一度立ち止まって考える必要はあるだろうという戒めも込めて、少し上から目線なタイトルにした。

※1時間でこの文字数。手がよく動いている笑


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