プロポーカープレイヤーだった私がメンタルコーチになった理由 part1 ~ポーカーとの出会い~
こんにちは。
マナベツバサと申します。
海外で「プロポーカープレイヤー」として活動後、今現在は日本で「メンタル・パフォーマンス・コーチ」としてコーチングを職業としています。
日本へ移住してきたのは2019年。妻と生まれたばかりの息子と東京で暮らしています。
自分の話をすることも文章を書くことも苦手な私ですが、
日本で「メンタル・パフォーマンス・コーチ」として活動する上で、私のややこしい人生のバックグランドを理解してもらう必要があると考え、noteにまとめていこうと思っています。
長い文章になってしまいますが、ご興味のある方は、是非最後までおつき合い下さい。
「ポーカーと出会うまで」
私は山形生まれのドイツ育ち。3歳の頃に両親の仕事の都合で、ドイツのバイエルン地方に移住しました。
ポーカーという世界に出会うまでは、オリンピックに憧れる、器械体操に夢中の少年でした。ひたすら強くなることに熱中し、体育館に入り浸った生活をしていました。補欠から繰り上がっただけですが、チームでインカレに優勝した時の喜びは今も忘れません。
しかしその一方で、どうしてもオリンピックに出場したいけれど、全力で頑張っても到底叶わないという現実に、モヤモヤとした感情を抱えて過ごしていました。
そんな私が、ある日、出会ったのがポーカーでした。
大学受験前の2月(ドイツでは5月~6月に試験が行われます)、たまたま見かけたオンラインポーカースクールのCMがキッカケです。
ポーカーが、ギャンブルではなく戦略ゲームと謳っていたところに興味を惹かれたのかもしれません(ちなみに、あらためて言うことではないかもしれませんがドイツではポーカーは合法です)。
そのポーカースクールでは、登録すると50ドルのボーナスをもらえました。それを元手に100円~200円という小さい額をプレイ。上達するための戦略記事をたくさん読み、理解し、実行に移す、そうやって自分が向上していくプロセスが本当に楽しかったのを覚えています。
ポーカーはレートが上がれば上がるほど、プレイヤーのレベルも上がり、さらに上の世界が開けます。オリンピックに憧れた体操少年のように、ポーカーのハイステークスのプレイヤーに尊敬を抱き、いつか自分もその世界に到達したいと思いながら日々プレイをしていました。
いま思えば、受験前という最悪のタイミングでポーカーを始めたワケですが、第一志望のドイツのカールスルーエ工科大学に無事合格。
その後は、多くの時間をポーカーに費やしました。
「大学時代とポーカー」
幸いなことに私のポーカーの実力はめきめきと上がり、半年後には5/10ドルのレートをプレー、大学生にも関わらずバンクロール(資金)が10万ドル(今のレートに換算すると約1500万)に到達することが出来ました。
自分の成長を感じられるという意味で、体操と似た部分があったんだと思います。ただただ熱中して、ポーカーに取り組んでいました。
大学のあるカールスルーエの街並み
今思えば、この頃がいちばんポーカーを楽しんでいたような気がします。
大学の専攻はビジネス・エンジニアリングでしたが、自分がやりたいことを見つけられないまま選んだ進学先だったため、かなり勉強はしたもののどこか違和感を持ちながら取り組んでいました。
収入が増えるにつれてポーカーを専業にするという考えも現実的になったのですが、一応卒業することに決めました。
今となっては、その時辞めなかったおかげで大学時代のかけがえのない友人たちと出会えましたし、結果的にですが彼らと一緒に過ごすことで金銭感覚を狂わせずにいられたことも私にとって良かったと思っています。
在学中に一番印象に残っている思い出は、大学一年目のテスト期間を終えた後に参加したバハマでの初めてのトーナメントです。
ポーカー仲間ができて、一緒にディナーを楽しんだり、バハマ島を散策したり、戦略を夜通し議論したり、胸が躍ることばかりでした。ポーカーに真剣に取り組む人たちと出会えたことは私にとって大きなプラスとなりました。
「大学卒業後、プロポーカープレイヤーの世界へ」
大学卒業後は「pokerstrategy.com」のスポンサーもつき、名実ともに「プロポーカープレイヤー」としての活動を開始しました。
https://old.highstakesdb.com/profiles/pokerstars/Tsubi87.aspx
上記はポーカープレイヤーの成績をトラックするデータベース内の私のページです。(全く正確では無いですが、規模感は分かってもらえると思うので参考までに)
そしてその後数年かけて、数百万~数千万の大金が動く、オンラインの最高レートでプレイすることになります。
次回はプロとしてのキャリアの始まりから、自分の人生最大の逆境について触れていきたいと思います。
次の記事(『プロポーカープレイヤーだった私がメンタルコーチになった理由 part 2 ~スカイステークスへの道と人生最大の逆境~』)に続く
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