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それは自分で選択した道?


こんにちは。

オーストラリアから、自分迷子さんを救うサポートをしているAIRI (@bymyangle.com__)
です。




前回のブログに続き
知らず知らずのうちにできたいた心の制限についてシェアしようと思う。


田舎出身だから
もういろいろとスタートが遅い
すでに色んなことから人と遅れている…

そんな思いを抱えながら、東京へ看護師としてデビューしたのだ。


毎年100人規模の新卒看護師を採用しているでかい都内某総合病院だった。
なぜ、ここを選んだかというと
看護学校と同じ系列の組織だったからだ。

機構の卒業生に対して、WELCOMEな感じと
地元に帰ってきたかったら、転勤という形で帰れるから(母のススメ)
というのでここに決めたのだった。


自分で選択したとはいえ、
ここでも母の目・顔色を気にしていた、伺っていたのを
よく覚えている。

・卒業した学校と同じ組織の病院の方が丁寧に扱ってもらえる
・母が良いんじゃない♪って言ってくれたところの方が安心

そう思っていた・・・


毎日が覚えることだらけで、
看護学校で学んだことや国試に出てきた問題なんて
本当に基礎中の基礎に過ぎないんだな…
という日々だった。


頭も身体もフル回転で
目まぐるしい毎日で、刺激的過ぎる日々だった。

忙しくて覚えていないことも多い…。


そんな中での、
私の東京での看護師時代の(新人時代の)思い出は

新人歓迎会で
お偉い部長クラスの医師が、
アイドルのサポートビジネス?事務所をもっているとかで

「実は、アイドルになりたかったんです…」って伝えたら

「え?入る?」と誘われて、
本気に受け捉えていてその気になっていたことだ。


そんな状況を見ていた看護師長さんが、
「ちょっとちょっと、辞めてくださいよ!この子は、看護師になるために東京に来たんですよ!」と本気で止めに入ってきたことだ。


田舎から出てきて、右も左もわからない私は
何もかもがキラキラに見えて、ほんとうにおバカだった。


看護師デビューしに東京に来たのに、
お酒の場の、まだ出会って間もない環境の人からのたった軽い言葉で

まだ始まったばかりの看護師デビューの道を
危うく外れそうになるところだった(笑)


親元を離れて、
誰の監視もサポートもない東京という環境で


叶うかもわからない
もう遅いよ、田舎出身で
20歳過ぎてからとか
ダンスも歌もやったことないのに…


という
知らず知らずのうちにできたいた心の制限がありつつも
やりたい!とその気になっていたのは本性だったのだと思う。



親の目、人からの評価、常識
そんなのを飛び越えてやりたい!と湧いてきた感情

それは、紛れもなく自分の本性だ。


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