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写真批評

「写真の社会的責任を背負っている存在が見えなくなった、ということは、写真の社会の批評のレベルが喪失したことを意味している。いや、もともとそんなレベルはなかったのかもしれないが、いまやおおっぴらになくなった、つまり底が抜けたのである。写真展をやっても、写真集を出しても、雑誌に発表しても、どうという身にしみる評価も酷評もなく、なんとなく終わってそれだけのこと、という、それこそやりがいのない状況があるのはそのためである。もともとプロの余技にしかすぎないような写真展(何度言っても甲斐がないのだが、撮ればすぐ発表したくなる写真家たちの悪しき習性を、根本的に改めねばならない、何を撮ってもいい、だが軽々しく発表するな、と私はここでも言っておきたい。この忠告を守ったのは北島敬三だけだ)に「八百長的友情」を発揮しての誉め言葉が横行していた世界ではあるけれど、昨今の評はまるで機能していない(飯沢や平木のように、けなすには肝がまるですわっていない自信のないもの言いでは、批評とはなっていない。ただの紹介と解説にすぎない)、念仏のようなものだ。八百長はまだはびこっているが、心に響くところのあまりにない知識のひけらかしにすぎない死んだ言説(倉石の評論には、この匂いが強い。残念だ)が、現実の写真とはほとんど関係ないところで飛びかっているさまは笑えたものではない(ここで名を揚げなかった連中は、問題外ということ)。言葉をもてあそぶなら詩でも書いてたらいい(詩人の方々ごめんなさい)。写真をダシに手前勝手な歴史をひけらかしたり、くだらない「美」文の訓練なんかしないでくれ。」

ー 西井一夫(2001年) 

”20世紀写真論・終章ー無頼派宣言 / 青弓社”より一部抜粋

西井一夫という名物写真評論家がいた。 元カメラ毎日の編集長で、森山大道や荒木経惟らと同時代を歩んできた20世紀日本の写真界の論客である。 特に森山との親交が熱く森山の唯一の話し相手でもあった。同じカメラ毎日の編集長 山岸章二のあとを受け継ぎ、森山を支えてきたひとりである。森山の初のドキュメンタリー映画「≒(ニア・イコール)森山大道」にも生前登場しており、この映画がのちに西井一夫に捧げたものであることから、いかに深く関わってきた人物であるかおわかり頂けるだろう。
写真とは?
写真家のあるべき姿とは?
写真批評とは何か?
歯に衣着せぬ批評を論じてきた人である。当時毒気のある批評には賛否はあっただろうが、この人が去ってから写真界は変わったとも言われている。もとはと言えばこのひとからはじまっていたようである。

「気負い込んで持ち込んだ『ヨコスカ』の写真は、あのしたたかな山岸さんの虚のどこを衝いたものか、めでたく一発で八ページの掲載となった。その山岸さんは、大量のぼくのプリントに目を通しながら、何だこれ東松の真似じゃねぇかとか、汚ったねえなあオマエの写真はとか、複写すりゃいいってもんじゃねえとか、ポール・ストランドもまっ青だよなとか、ほとんど意味不明の独り言を呟きつつなぜかニヤニヤと機嫌が良く『よし、これから撮ったもの全部俺んところへ持ってこい載せてやるから』と、まるで心臓をワシづかみにするようなセリフでシビレさせてくれた。」

ー 森山大道

※写真 / 森山大道「ヨコスカ」より

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