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写真家いかに食うか、食うべきかーまずみずからをエピソードと化せ!ー 中平卓馬


「写真界だけの特殊な事情だけど、いわゆる批評というものが全然ないから、カメラ雑誌の編集部が何人かの写真家をスターとして扱えば、その作品については評論家はもちろん、たとえその写真がつまらないものでもけっして悪口はいわないし、どんなくだらないものでも編集部の意志をくんで必ず誉めてくれる仕掛けになっている。だから写真評論というのは誉めることなんだよね。はっきり言って、最大の批判でも批評にとりあげないという形をとるだけだよ。

写真評論家もまた、カメラ業界のPR誌である写真雑誌の仕立てあげたスターのPRマンとして存在していると言ってもいいんだよね。そんなわけだからいつ頃からそうなのか知らないけどね、写真界全体が無批評の中にどっぷりひたり込んでいる。写真界で論争なんてありえないんだよ。だからスター写真家を他のメディアで誰かが批判などしたりしたら、そうあまやかされて育ってきた写真家は他ではかんがえられないくらい怒るよ。いわゆる表現というものは相互に批評、批判があって初めて成り立つものに違いないんだけど、わが写真界だけは例外でね。よくカメラ雑誌の批評コラムがあるだろう、そんなもの読むかどうか知らないけど、あれなんか象徴的だよ。

良くないものを徹底して批評、批判しぬくことによって何か新しいものがうまれてくるはずなんだけどね。」

ー 中平卓馬 / 1973年

中平はこのインタビューで、皮肉ともとれる関係者が共存共栄していける良い方法だと付け加えている。編集者の胸三寸で決まるので、作家としてセットされてしまえば、<不可侵の存在>になれると。

今はネットを含め情報の精度は自分で上げていかなければならない。メディアリテラシーを学ぶ必要がある。情報の真偽、善し悪しは自分でちゃんと判断しなければならない。自己責任なのである。

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