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恋の至近弾【8/8】エピローグ

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恋の至近弾【7/8】愛しているのは誰ですか?

 恋愛体験を語った男女はすべて部屋を出た。残ったのは師匠と弟子のみ。

「師匠、ありがとうございました。勉強になりました」

「じゃっ、彼らの面倒を見てもらうよ」

「えっ、今日は話だけじゃなかったんですか?」

「いや、実際に指導霊をやってもらう。きみならできる」

「全員ですか?」

「もちろん」

「いきなり四人はつらいな」

「五人だ」

「初恋が実った大川さんに女狂いの相羽さん、高望みの村山さん、そして純愛の安田さんで四人じゃないですか」

「大川さんの奥さんもだ」

「えーっ。女性は経験ないんですけど」

「大丈夫。奥さんの守護霊は女性だから、基本的にはまかせておけばいい。彼らの人生をよい方向に導くのが指導霊の役割だ」

「それぞれの守護霊はがんばっているんですよね?」

「彼らは一人の人間しか見ていないからな。きみが大きな視点でリードしてあげないと」

「まずは、じっくりと、守護霊たちと会話してみますよ」

「期待しているよ」


 新米指導霊の報告 その一

 大川洋介はアパートに帰ると、買ってきたコンビニ弁当をレンジで温めた。ずいぶん長い間、夕食にろくなものを食べていなかったため、いまだにコンビニではついつい安い弁当を買ってしまう。いいものを買うのは、どうしても気がとがめるのだ。

 もう気にすることはないのにな、と大川は弁当を食べながら思った。

 妻の父親が亡くなって、しばらくたったある日。残業から帰った大川は、妻がまだ起きていたことに驚いた。

 あなた、ちょっととリビングへ呼び出される。テーブルの上には一枚の紙があった。大川は役所が発行するその書面を読んだ。これまで何度もその可能性を想像しかけては、頭から打ち消してきた法的手続き。

 しばらく妻と会話した後、大川は言われるがままに書類へ署名捺印をした。これでお互い自由になれるのだという思いが浮かんだが、全く実感はわかなかった。

 慰謝料も養育費も払う必要がないなんて、めぐまれた離婚なのかもしれない。それどころか、義父が残した遺産の一部までもらえたのだ。たいした金額ではなかったけれど。

 妻のさやかと子供たちは自宅に残り、大川が家を出ることになった。アパートを借りて一人暮らし。

 もう大きい子供たちは両親の別れを淡々と受け入れていた。娘などはむしろ母親に早く別れろと勧めていたらしい。せめて同じ男である息子には少しぐらい自分に同情して欲しかったが、まったくその様子はなかった。最近はほとんど口もきいていなかったので、それは虫のいい期待に過ぎなかったのだが。

 家を出た日。引っ越しで朝からバタバタと動いたが、すべてに全く現実感がなかった。俺は何をしているのだろう、これは夢ではないのかという思いが大川につきまとった。

 玄関に妻と二人の子供が見送りにきた。何年ぶりだろう。そして、それは最後のお見送り。

 ドアを閉める前、大川はもう一度振り返った。そこにいた妻は十三歳の石谷さやかだった。彼が初恋に落ちた美しい少女。

 弁当を食べ終わると、大川はごろりと横になった。することがない。これまでの人生は会社と仕事の往復で、最近は趣味らしい趣味もなかった。いったい何をすべきか。

 携帯の着信音。メールがきた。部下からだった。明日顧客に持参する資料をチェックして欲しいとのこと。

 いつもは適当に見たふりをして済ますのだが、今日はちょっと真面目に見てみようかと思った。パソコンを開き、送られてきた資料を見ると、いろいろ直すべき点がみつかった。料金の見積りだって、工夫すれば、まだ安くできる。

 資料は自分で直してしまった方が早いのだが、それでは部下である若手が覚えない。メールで事細かに修正ポイントを指摘した。

 とりあえず、仕事を真剣にやってみようか、と大川は思った、それが一番面白そうだ。

 新米指導霊の報告 その二

  別れた夫を送り出すと、大川さやかはキッチンへ駆け込み、顔を覆って泣き出した。 

  なぜだろう。せいせいするはずだったのに。平然としていられるはずだったのに。今、私は自分の半分を捨てたのだ、とさやかは思った。その瞬間、世界が闇となり、地面がぐるぐると回り出した。やってきた深い深い喪失感。

どこから間違ったのだろう。どうして、こんなことになってしまったのだろう。あんなに好きだったのに。あんなに仲が良かったのに。

 洋介さん。もし生まれ変わることができたなら、もう一度私をお嫁さんにして。今度はいい奥さんになるから。ちゃんとご飯も作るから。でもね、ひとつだけお願いがあるの。

 今度は、もっと大人になってから私を見つけて。

 新米指導霊の報告 その三

 残業中の安田宏和は大川課長からきたメールを見て驚いた。資料をいろいろ直せと細々と言ってきたのだ。しかも、その指摘がいちいち的確だった。部下の間で透明課長と呼ばれていたほど存在感がなかった大川課長。資料チェックのお願いも形式的なつもりだった。いつも通り、どうせきみにまかせると言われるだろうと、たかをくくっていた。

 ところが、こんなに修正の指示が来るとは予想外だった。上司の指示だし、かつ課長の指摘はもっともだったのでやらざるを得ない。会社で全部やっていては美沙とのデートに間に合わない可能性があった。やるだけやって、残りは自宅でやろう。そう決めて、安田は猛然と働きだした。

 どうにか資料は完成したが、デートには少し遅刻してしまった。すっかり、安田にとっても行きつけとなった「ラベンダー」では、美沙がもう待っていた。マスターと談笑している。

 安田を見ると、美沙は笑顔で手を振った。相変わらず可愛い。最近では美沙がいなかった過去の時期など、すっかり安田の記憶から消えかけていた。彼女のいない生活など、もはや考えられなかった。

 席に着くと、ちょうど美沙が頼んだものが運ばれてきた。ミルクティーと見慣れぬケーキだった。

「見て、これ。復活したのよ。ひろくんも頼むでしょ?」

 輸入物の材料が入手できなかったとかで、そのケーキはしばらくメニューから姿を消していたのだ。安田は食べたことがなかったが、美沙にとっては、大のお気に入りだったとのこと。美沙はお先にいただきますと、ケーキにフォークを入れた。

 安田も同じものを注文した時、携帯が鳴った。大川課長からだった。課長はいったいいつから、こんなに仕事が好きになったのだといぶかりつつ、彼は携帯を手に店の外へ出た。用件は明日の待ち合わせ場所であり、すぐに電話は終わった。席へ戻ると、美沙が泣きじゃくっていた。

「どうしたの?」

 安田が美沙の顔をのぞきこむと、美沙は彼の顔をじっと見た。その目を見た瞬間、安田はすべてを理解した。魔法がとけたのだ。懐かしのケーキが魔法をといたのだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 美沙は両手で顔を覆って泣き続けた。恥ずかしさ、申し訳なさ、そして悲しみ。さまざまな感情が泣き声にあふれていた。

 終わりかな、と安田は思った。胸が痛くなった。この数ヶ月は、やはり幻だったのだ。彼の目にも涙があふれてきた。彼は何も言わず、じっと美沙を見つめていた。この美しい人。いつも近寄ってきては遠くへ行ってしまう、俺の大事な人。でも、今度ばかりは近づき過ぎだ。もう、これで終わりか。

 やがて美沙は顔を上げ、感動に打ち震えた声で言った

「ひろくん、ありがとう」

 安田の口から思いもかけない言葉が出た。

「ぼくで大丈夫?」

 答えはいらなかった。彼を見る美沙の目が、とても優しかったから。

 新米指導霊の報告 その四

 相羽秀樹は感動していた。不覚にも涙さえ流してしまった。

 生まれて初めて一人で映画館に来た。まさか自分が来るとは想像していなかった単館ロードショーでマイナーな洋画を見た。そこで思わず泣いてしまったのだ。

 それまでも、もちろん映画館には来たことがあった。だが、それはいつも女性と一緒だった。見たのはほとんどが空虚なハリウッドのメジャー大作であり、内容はほとんど頭に入らなかった。上映中も相羽の頭の中は映画の後、隣にいる女性をどうやって落とすかでいっぱいだった。

 会社で雑談中に後輩の安田が彼女と見に行った映画の話をした。それがとてもよかったと言っていたのだ。おおまかな内容を聞いて、相羽は見に行ってみようかなと思った。自分がそんな気になるなんて、信じられない思いではあったけれど。

 その話を聞いたのが変わり者の同期の村山からであれば、たぶん見に行こうと思わなかっただろう。いや、それ以前に彼は自分の趣味を他人に語る男ではない。ところが、安田にはなぜか人を安心させ、引きつける魅力があった。恋愛ではいろいろ苦労したことも少し聞いた。そんな経験が、彼の人間的な魅力を深めているのかもしれない。

 離婚以来、相羽はプライベートでまったく女性との交流がなかった。何となく仕事して、何となく家に帰って寝る毎日。

 離婚だけならまだしも、自己破産には身も心も相当なダメージを受けた。持っていかれるのは現金と不動産だけかと思っていたが、まさか自家用車と生命保険まで処分されるとは。文字通りの裸一貫になってしまった。

 もうしばらくの間は、女性はこりごりだった。このまま一人で生きていっても、まったく構わない気がした。女性だけではない。どんなことに関心が持てず、ただ生きているだけのふぬけのような日々を送っている、今日この頃だった。

 そんなある日。安田が見た映画の話は、なぜか相羽の興味を引き続けていた。取引先との商談を終えた夕方、相羽は会社に戻らず直帰することにして、映画館へと向かった。

 場所こそ繁華街にあったが、裏通りの地味なビルが目当ての場所だった。その一帯はふだんの営業活動でも来ることがあったが、そこに映画館があることなど、まったく気がつかなかった。関心がないものはたとえ目に入っても、脳が認識しないからだろう。

 場内はそこそこ席が埋まっていた。カップルが多いだろうと想像していたが、目についたのはひと組だけだった。意外や、相羽のように一人で見に来ているサラリーマンも少なくない。だが、一番多いのが女性一人の客だった。

 そんな女性は、どうせ眼鏡をかけたインテリの女教師みたいな奴ばっかりだろうと想像していたが、来ていたのは、ほとんどが普通のOLだった。中には可愛い子も何人かいて、一緒に来てくれる彼氏がいないのかな、といらぬ心配までしてしまった。

 予告編が始まり、たぶんこの劇場でしか上映されないだろうマイナーな作品群が紹介された。そのうちの何本かは、ちょっと面白そうだなと、相羽は思った。

 そして本編が始まると、相羽はすっかり作品世界に引き込まれた。それは何とも不思議な映画だった。恋愛映画には違いないのだが、ストーリーの切り口が斬新であった。美しい映像と先を読めない展開。何回も笑わせ、最後の最後では観客を泣かせた。場内のあちこちから聞こえてくるすすり泣き。相羽は目から流れ落ちる暖かい涙をぬぐいもせず、スクリーンを見つめ続けた。

 映画が終わって少しの間、観客は誰も席を立とうとしなかった。作品に圧倒されてしまったのだ。相羽は一本の映画がこれほどの衝撃を与えられることに驚いた。

 帰りに駅前の大型書店へ立ち寄った。映画の原作を買いたいと思ったのだ。すぐに本をみつけ、レジへ行こうとしたが、その前に同じ著者の小説を数冊手に取ると、それも買うことにした。

 ビジネス書以外の本を買うのはどれぐらいぶりだろうか。店員の手際の良い梱包を見ながら、自分がわくわくしていることに気がついた。

 その日から週末にかけて、相羽は自宅で、通勤電車で、読書に没頭した。ページをめくるのがもどかしいほど面白い。脳のこれまで使ってこなかった部分を刺激されるようだ。

 つまらない女たちと過ごす暇があれば、もっとこっちに時間を使うべきだったと後悔した。読書好きの村山はこんなふうに余暇を楽しんでいたのかと思うと、うらやましく感じてしまった。

 相羽は思った。これまで俺は横へ横へと獲物を求めて不毛な大地を駆け回ってきた。それなりに捕らえることはできたが、得られるものは何もなかった。あげくの果てには化け物のような女と結婚し、殺される寸前の目に遭わされた。もうたくさんだ。

 俺がやるべきことは横に走り回ることではない。今いる場所で自分を掘り下げ、深くすることだ。本をたくさん読もう。映画も見よう。あとは何だろう?演劇、美術館、博物館、講演会?何かいいものがないか、安田や村山にも聞いてみよう。何か教えてくれるだろう。

 そうやって掘っていけば、何かが見つかるような気がした。

 こうして、人が変わったように相羽は文化的なことにのめりこんでいった。彼はもう一人でいることを恐れない男になっていた。

 安田から誘われた週末の飲み会も断った。彼の婚約者が友達を連れてくるということだったが、どうでもよかった。

 相羽はその週末にじっくり読みたい本があったのだ。

 新米指導霊の報告 参考情報

 営業部長の松本は、営業一課の面々を見渡した。この課は最近、異常なまでに業績がいい。

 課長の大川洋介は離婚を機に、人が変わったように仕事へ前向きになった。今のポジションは正直、年功序列でなったようなものであり、実力を評価されてのものではなかった。透明課長という彼のあだ名は、松本の耳にも入っていた。何事も右から左へと受け流す、ことなかれ主義の男であり、とても有能とは言いがたかった。松本も内心、来年の大川に対する処遇を考え初めていたほどであった。もちろん、よい方にではない。

 ところが。最近は部下をきっちり指導するし、自らもがんがん動く、理想の営業課長になってきた。いったい何があったのだ。人はここまで変われるものなのか。

 次にベテラン営業の相羽秀樹。こいつも離婚がきっかけだ。とは言っても、時間はしばらくかかった。離婚直後はまさに生きる屍で、仕事どころではなかったようだ。

 松本も参列した相羽の結婚式で新妻の美貌には驚愕したが、あれがとんでもない性悪だったらしい。別れるときはすったもんだして、相羽の財産はほとんど持って行かれたとも聞いた。よく復活できたものだ。

 どことなく軽薄なイメージがあった相羽だが、最近では顔に知性が見られるようになってきた。最近は同僚と、よく本がどうだ、映画がどうだと話をしているが、かつての相羽では考えられないことだった。

 そして若手の安田宏和。かつては、ふとした瞬間に苦しそうな表情を見せることがあったが、ある時を境にそれがなくなった。いつも明るく満ち足りた表情を見せている。

 それはビジネスにも反映されているのは間違いない。顧客の安心感を得られるのだろう。最近は大型の案件をいくつか受注してきている。

 そう言えば、安田は今年結婚するらしい。いつだろう。美人の彼女だと聞いている。話を聞く限り、相羽の時のようなことはなさそうだ。とても気立てのいい子らしい。結婚式が楽しみだ。

「部長」

 大川が笑顔で寄ってきた。

「今夜、うちの課で飲み会やるんですが、いらっしゃいませんか?」

 これもちょっと前の大川では考えられなかったことだ。離婚して金まわりがよくなったのか?

「何かお祝いごとでもあるの?」

「相羽と安田がそれぞれ大きな案件を決めましたからね。今夜はお祝いですよ」

 屈託のない笑顔。ここにいる大川は昔の彼と別人だ。

「行こう」

 松本は笑顔でうなずいた。

「おい」

「何です、師匠」

「一人忘れているだろう」

「やっぱり気になりますか?」

「当たり前だ。担当している人間を間引いてどうする」

「彼の話は置いておきまして、他の四人は結構うまい具合に導けたと思うのですが」

「大川夫妻はあれしかなかったのだろうな」

「二人の守護霊、そして本人たちの霊と何度も議論しました。その結論があれです」

「あまりにお互いへの依存が強すぎたからね。早すぎた春の代償だ。やむを得ん。ところで、相羽くんは意外な方向へ行ったな」

「もともと素養があったんですね。彼が女狂いになったのは家庭環境もありますが、やはり前世のカルマ(業。過去世での課題、宿命)が強烈で」

「一夫多妻制の国で、さんざん奥さんたちを泣かせてきたからな。その時の報いというか、残された課題だったわけだ」

「安田くんの件は賭けでしたが、何とかうまくいきました」

「魔法をといた結果、美沙ちゃんが安田君から離れるリスクは大きかったよな。そこは我々でも制御できない部分だ」

「美沙さんの守護霊は魔法をとくことに猛反対でした。結果が良ければ、このままでよいではないかと」

「なるほど」

「彼女の場合も、素直に安田くんを選べなかったことはカルマが影響していたのです。結果、一見、好青年だけど駄目男を選んでしまった」

「でも、心の奥底ではそれがわかっていたので、無意識に安田くんの気持ちを捕らえ続けていたわけだな。まあ、やられた安田くんはたまったものじゃなかっただろうが」

「でも彼は、今回の件で魂のステージを一段階あげることができました。魔法につきましては、最後は安田くん自身の決断です」

「そうなのか」

「彼は言いました。結果を受け入れます。美沙が去ったなら、それは自分の愛情が足りなかったからです。その時は次の人生で彼女と一緒になってみせます。ですから、まやかしではなく、本当の彼女に戻してくださいと」

「すばらしいな」

「では、師匠、そういうことで。私はこれから守護霊たちとミーティングがありますから」

「こら、もう一人のレポートを出せ」

 新米指導霊の報告 参考情報の続き

 松本部長はまわりを見渡して、安田に声をかけた。

「村山はどうした?外出中か?」

 安田はパソコンでスケジュールを確認して答えた。

「もうすぐ戻るはずです」

 営業一課で、あの男、村山信太郎だけは変わらず、そのままだった。何を考えているかさっぱりわからないが、営業として仕事だけはよく取ってくる。松本は周囲と同様に村山のことをミスターマイペースだと思っていた。あいつ、ゆくゆくはサラリーマンをやめて文筆業か芸人にでもなるのではないか。

 そのぐらい変わった奴だ。

「師匠、よっぽど村山さんに関心があるんですね」

「めんどくさいから、放り出したのかと思ったよ」

「それはないですけど」

「こんにちは」

「師匠、こちらは村山さんの守護霊です」

「いつもお世話になっています」

「どうですか?調子は」

「何人か相性の良さそうな女性の守護霊と話をしまして、彼にいろいろめぐり会わせてはいるんですけど」

「まあ、我々にできるのは、そこまでですものね。あとは本人たち次第ですよね、師匠」

「地上にいる人間たちは、霊界の連中は何でもできると思っているだろうなあ。全然そんなことないのに。もっと言えば、神様だって決して万能では・・・・・・おっと、これはまずいか」

「おっ、村山くん、またやっているみたいですよ」

「どれどれ。ちょっと地上へ行ってみるか。守護霊さん」

「はい。ご案内します」

「やっぱり師匠、村山さん大好きですね」

 村山は喫茶店で考え込んでいた。帰社予定時間を過ぎているが、多少なら問題ないだろう。それより、彼には重要な問題があった。 

 やるべきか。時期尚早か。

  先週末に安田から飲み会の誘いがあった。自宅での鍋パーティ。安田の彼女とその友達も一緒だ。安田の他の友達が誰も来れず、相羽にまで断られたあげくのお招きだったようだ。まあ、それはどうでもよかったが。

 何の期待もせず手土産持参で安田宅を訪れたが、村山はもう一人のゲスト、美沙の友人を見て固まった。

 めちゃめちゃ可愛かったのだ。もろにタイプだった。こんなことがあるのだろうか。その日は夢心地で時が過ぎ、彼女とはどさくさにまぎれてSNSの連絡先交換をした。

 そして今日。村山が送ったメッセージに対して、先ほど彼女の返信が来た。彼は文面から自分に対する好意の度合いを測ろうと、喫茶店でさまざまな解釈を試みた。

 ここは攻めるべきか。それとも様子を見るべきか。安田の家では彼女とよく目が合った。二人だけで会話する時間も結構あった。しかし、それをすべて自分への愛と勘違いするほど村山は若くなかった。

 はるかに年下の彼女を誘って断られるのは恥ずかしい。でも仮に安田にばれたとしても、あいつは会社で言いふらすような男ではない。どうしよう。

 うちの課では大川課長、相羽、安田と皆それぞれが人生にけじめをつけ、最近ではすっかり満ち足りた表情をしている。まるで天国の住人みたいだ。

 それなのに、俺はどうだ。いい歳をして、いまだに理想の女性を求めてさまよっている。そのことを考えると、「カルマ」、「カルマ」と意味不明の言葉が頭に浮かんでくるのもなぜだ。

 よし、と村山は思った。ここは彼女を食事に誘ってみよう。恐れるものなど何もない。今回もうまくいかないかもしれない。またしても彼女は変な奴かもしれない。でも行くしかないではないか。さあ来い至近弾。怖くなんかないぞ。いくらでも俺のまわりに突き刺さるがいい。

 決断し、猛然と彼女にメッセージを打ち出した村山は、ふと手を止めて振り返った。声が聞こえたのだ。

「がんばれよ」

 確かにそう言った。すぐ後ろに人の気配も感じた。それも一人ではなく、三人ぐらいの。

 しかし、そこには誰もいなかった。

                               (完)


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