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恋の至近弾【4/8】カサノバの夕べ(前編)

(前のエピソード)
恋の至近弾【3/8】初恋は美しすぎて(裏面)

相羽秀樹です。物心ついた時から、私は妙にモテました。

「いきなり、かましてくれたな」

「ははは。楽しみですね」

 初体験は中学二年でした。

「今日は下ネタの日ですか?」

「そういうわけじゃないけど」

 中学時代は、完全な不良ではないのですが、ちょいワルでした。これが、その頃の写真です。

「どれどれ。これもまた、いい男ですねえ。はあ、ぼくの友達には絶対いないタイプですよ」

「初体験の相手は同級生?」

 いえ、中学の担任でした。皆川先生という、当時四十手前の女教師です。

 またコケる師匠と弟子。

「えーっ?」

「えーっ?」

 ある日、居残りを命じられたんです。個人指導があるみたいな、怖い顔されて。で、放課後に恐る恐る誰もいない理科室へ行ったら、中から鍵をかけられて、いきなり・・・・・・。

「そんなことって、本当にあるんですね」

「エロ小説か、怪しげなビデオの中にしかないと思ってたけどな。で、それはずっと続いたの?」

 一ヶ月ぐらいですかね。先生たちの間で怪しまれ始めまして、やがてそれが校長先生の耳に入りました。調査が入って、すぐに皆川先生はどこかに飛ばされました。最後の方は、先生の旦那さんも異変に気がついていたみたいです。

「ええっ、既婚者かい?」

 はい。それを皮切りにいろんな女性が私のところへやって来ました。同級生のみならず、遠縁ですけど、親戚のお姉さん、近所の奥さん、友達のお母さん・・・・・・。

「えーっ?」

「なにーっ?」

 最後のはさすがに一回だけですけど、その友達とは今でも同窓会で会うたびに気まずいです。ははは。

「笑っている」

「まさに色情因縁に取り憑かれていますよね」

 そうなんですよ。大人になってからお祓いしようと思いまして、そういう色情運というんですかね? 取り除いてくれるというので有名な神社に行きました。

「ほお」

 そうしたら、お参りした帰りに神社の巫女さんに声をかけられて、そのままラブホテルへ行きました。

「えーっ?」

「えーっ?」

 もう一切、女を絶とうと誓いをたて、家に引きこもったことがあったのですが・・・・・・。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 その晩、近所の女子大の寮から、半裸の女子大生たちが集団で押しかけてきました。必死の抵抗もむなしく・・・・・・。

「えーっ?」

「えーっ?」

 すみません。神社と女子大生は嘘です。

「あーっ、びっくりした」

「ややこしいな、もう」

「一瞬、信じちゃいましたよ。寝ている間に普通、冗談言いますか?」

 ごめんなさい。つい、口がすべりました。話を学生時代に戻します。そういう乱れた生活を中学から送ってきたわけですが、不思議と学業の成績は良かったです。高校も進学校に行きました。

「へえーっ」

「勉強が好きだったわけ?」

 特に好きというわけではありませんでした。授業は真面目に聞いていましたし、家でも普通に勉強していました。

「で、高校に行って、少しは改心したわけ?」

 逆です。ますます乱れました。進学校の中にもちょいワルのグループがありまして、いつの間にか、その中に入っていました。まあ、それからは同じ高校やら、近所の女子校やら、バイト先やらで、めちゃめちゃでした。

「さっきの大川さんの時は、ちょっと痛々しい気がしましたが」

「こちらは正直、うらやましい」

 なぜか、次から次へと女性が寄ってきては交際を申し込まれるのです。ぼくも結構、頼まれると嫌と言えない性格ですし、断ったことはありませんでした。まさに取っ替えひっかえの毎日でした。

「どんな高校生だ」

「断らないって、すごいですね」

 でも、心の奥底には、こんなのいけない、ちゃんと真面目に生きなければという思いがあったのです。

「本当ですか?」

 女性とのお楽しみも、たまにあるからいいのであって、毎日やってみてくださいよ。ほとほとうんざりしますから。

「困るほどそんな目に遭ったことないから、わからんな」

「同じく」

 ところが、大学へ行くと、その乱れきった生活は、困ったことに、さらにエスカレートしてしまいました。

「全然、改めようと思ってないじゃない」

 理系の学部へ行ったので、女性は少なかったんですよ。ここなら、落ち着いて勉強に打ち込めると思いました。ところが、つき合った友達が悪かったんです。

「男ですよね?」

 はい。同じクラスの奴で高崎っていうんですが、妙にそいつと気が合って、いつもつるんでいました。これがナンパ好きの男でして、しかも血も涙もない奴でした。ことが終わると、すぐ女の子を捨てちゃうみたいな。

「いやですね、そういうの」

「続けて」

 はじめは可哀想だなと思ったんですけど、気がつくと、私も一緒に始めていました。今のクラブ、当時はディスコと言いましたが、そんなところや、街角で、とにかく声をかけまくりました。休みになると離島へ遠征し、一緒に暴れまくりました。

「なるほど」

 それまでは、どちらかというと受け身の姿勢だったのですが、この頃から攻めに転じたわけです。もともと向こうから来ていたわけですから、こちらから声をかけると、面白いように釣れました。

「勝手にしろと言いたいけど、まあ聞こうか」

 妙な競争心が生まれまして、お互いに数を競っていたんですね。ちなみに大学四年間で達成した人数は・・・・・・。

 相羽は両手を何回か使って数字を表した。表情を変える二人。

「・・・・・・」

「まさに畜生道だな」

 高崎とディスコで女の子をナンパし、奴の部屋に持ち帰って、二対二で暴れたこともあります。おっしゃる通り、まさに獣道です。もう一組がいるところで、そういうことをやるんですから。初めは冗談半分でプロレスみたいなことをやっていたんですけど、それがエスカレートして、だんだんアクロバティックになっていきました。体の硬い女の子には大変だったと思います。

「知るか」

 人類に可能な、ありとあらゆる体位に挑戦しました。覚えていませんが、私は女の子を肩車していたこともあったそうです。

「えっ?」

 しかも高崎が、それを友達連中にバラしたため、私は水戸黄門のキャラクターにちなんで、「肩車の弥七」と呼ばれることになりました。

「嘘だね?」

 はい。

「いいですね、その性格」

 この頃になると、私にとって女性は血の通った人間ではなく、単なる狩りの対象であり、まさに獲物でした。相手も納得済でのお遊びならいいのですが、私とちゃんと交際するつもりでそうなった女性たちは、結果として深く傷つけることになりました。

「そういう人もいたんですね・・・・・・」

 相手が人間に見えないわけですから、泣こうが、わめこうが、もうどうでもいいわけです。ただ、刺されないようにだけは気をつけていましたが。デートの約束をして、当日もっといい子が見つかったからと、すっぽかしたことだって何度もありました。当時は携帯電話がありませんでしたので、連絡の取りようがないわけです。

「可哀想になあ」

「相手の子は、その日を楽しみにして、一生懸命、洋服を選んだり、お化粧したりしているわけですよね?」

 おっしゃる通りです。ただ、その頃は、そんな行動を何とも思っていませんでした。むしろ、男の勲章ぐらいに感じていたと思います。今から思うと、本当にお恥ずかしい限りです。

「ぼくには絶対できませんね」

「普通の男には、できないだろう」

 そんな感じで、本当に調子に乗っていたわけです。女性の数については、私は高崎に大きく差をつけて勝ち、自信満々でした。

 そんな大学生活も終わりになろうかという、ある日の話です。高崎の家に私と悪友二人が遊びに行きました。酒を飲み、すっかり酔っぱらった私は一人、横になって寝てしまいました。

 しばらくして目が覚めると、三人が声をひそめて大笑いしていました。やばい、こいつが起きちゃうじゃんという声が聞こえてきました。どうやら、私のことを話していたらしいのです。寝たふりをして、彼らの会話に聞き耳を立てました。すると、なんと彼らは、私をネタにして笑っていたのです。

「ふむふむ」

 彼らは、私が落とした女性たちが、いかにブスだったかで盛り上がっていました。ありえねえよな、こいつと腹を抱えて爆笑していたのです。

「えーっ?」

 それは、まさに嘲笑でした。彼らは私のことを心底から馬鹿にしていました。高崎には、そして残りの二人にも、私に対する友情などみじんもありませんでした。彼らを友人だと思っていたのは、私の方だけだったのです。

「ちょっと友達のことは置いといて、そのブスだとか言われているのは?」

 これが、大学時代につき合った女性たちのスナップ写真です。

「うわっ!」

「コメントは差し控えとこう」

「頭の中で、勝手に容姿端麗の女性たちがナンパされるところを想像していました。よく考えると、そんなわけないですよね」

「よくな、スカウトとかナンパとかで、百発百中だと豪語している奴がいるだろ。もちろん、大げさに言っとるのがほとんどなんだけど、そこそこうまくいってる奴も、別に道行く女性すべてに声かけて、うまくいくはずなんかない。あいつらは、うんと返事しそうな子を見分けるのがうまいだけだ」

「なるほど。それは、そうですよね」

 自分でも薄々気がついてはいました。私には面食いとか、そんな嗜好はないのです。基本的には来るやつみんな来いですし、人に言わせると、選りすぐりのすごいのが私のところに集まっているらしいのです。

「ご本人を前にして何ですけど、写真のこの子たち、外見だけじゃないですね、問題は」

「はっきり言うな。でも、確かに、これはどう見ても、頭と性格も相当悪いぞ」

「師匠の方がひどいです」

 私は自分がモテるつもりで天狗になっていましたが、実は見境無しに手を出す、いかもの食いだと、周囲から思われていたのです。不細工な女性に愛の手をさしのべる、救世主メシアとか、現代のフランシスコ・ザビエルとか言われておりました。

「まあ別に、ご本人がそれでよしと思われているなら、いい気がしますけど」

「そうだなあ」

 その後ですけど、私がブス好きだという噂が広まり、友人の紹介では、まず女性が寄ってこなくなりました。

「ははは」

「自業自得だ」

 それに加えて、無自覚で声をかけていた時はよかったのですが、自分が声をかけようとしているこの子はブスかもしれない・・・・・・と考えるようになってから、ナンパがうまくいかなくなりました。

「いちいち考える必要があるんですかね?」

「見ればわかりそうな気がするけどな」

 ああいうのは、考えないからできるし、うまくいくんです。いちいち悩んでいたら、絶対できません。

「お答えと我々の疑問が、微妙にかみ合っていない気がしますが」

「気にしないでおこう」

 大学生活が終わった時、にぎやかな生活を送っていたはずの自分が、とてつもなく孤独であることを感じました。友人と思っていた連中はそうではなく、心を許せる彼女と呼べる存在も最後にはいませんでした。すべては通りすがりか、寄ってきた子を冷たく突き放してきた結果が、これです。

「なるほど」

「あまり同情する気にならんけどな」

 おっしゃる通りです。気がつくと、私は女性とうまく付き合えない人間になってしまっていました。セックス抜きでは、どう接すればいいか、よくわからなくなっていたのです。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 そんな状態でも、一応社会人にはなれました。大学ではほとんど勉強していませんでしたから、ラッキーだったと思います。当時はバブルの時代でした。今の厳しい就職事情ではとても無理だと思います。

「まあ、そうでしょうね」

「会社は、どこに勤めたの?」

 外資系のIT企業です。今では考えられないほどの大量採用をしていまして、来る奴はみんな採用しろみたいな状態でした。その中に潜り込んだわけです。

 馬鹿みたいに忙しい会社でした。毎晩、終電が無くなるまで働き、それから飲みに行きます。平均して午前三時ぐらいにタクシー帰宅です。翌日は当然起きられないので、みんな昼前後に出社します。毎日が、その繰り返しでした。

「まさにバブル時代だな」

「当然、本当に忙しい時はあるでしょうけど、毎日毎日、本当に深夜までオフィスに残る必要があったかは疑問ですね」

「ないない、そんなの。飲みに行ってタクシーで帰るまでがワンセットになっているだけだ。本当に全営業日、深夜残業が発生するのなら、会社の人員配置が誤っている」

 何だか早く帰るのは悪いことみたいな雰囲気がありました。あとでお話しますけど、仕事はいろいろ無理なこと、きついことが多く、みんなそれを酒で発散しようとしていたのです。結構いい給料をもらえる会社だったのですが、溜まるのはストレスばかりで、貯金はさっぱり貯まりませんでした。

「そういうもんだ」

「バブルの頃の大手証券会社の話を聞いたことがあります。そこは給料が高いので有名だったのですが、人の二倍働いて、三倍遊び、四倍お金を使うと言われていました。サラ金の上得意には、結構一流会社の社員が多いそうですね」

「ストレスと共に入った金は、ストレスと共に排出しようとするものだ。自分にご褒美とか言ってね。考えてみれば、当たり前なことなんだけどな」

 平日はそんな感じでしたし、休日出勤も珍しくありませんでした。日曜日にミーティングとか言って、平気で招集がかかるのです。ですから、たまに土日が完全な休みになると、息も絶え絶えに寝込んでいる状態です。

「学生時代チャラチャラしていたのに、ずいぶん鍛えられたな」

「神様は、ちゃんと見ていますね」

 自然と、人間関係は狭くなっていきました。細々とあった学生時代の友人との付き合いも、私があまりにキャンセルをするので、自然と声がかからなくなりました。

「いますよね。仕事だからって、平気でプライベートの約束を踏みにじる人が」

「約束に優劣はないんだけどな。万一、万一だぞ。約束を果たせなかった時、人は全力でリカバリーをしないといかん。次の飲み会は必ず自分がセッティングするとかな」

「それをやらないのは、友達に対する甘えですよね」

 お恥ずかしいことですが、私は全くそんなことを思いませんでした。プライベートの人間関係を維持しようとしなかったのです。無くなるがままにまかせてしまいました。

 当然のことながら、女性関係も会社の中に限られることになりました。

「おっと、また来たぞ」

「三つ子の魂百まで、ですかね?」

 もともと社内結婚も多い会社だったのですが、それ以前の男女関係も相当乱れていました。品のない言い方ですが、××さんと、○○さんは同じ女性を相手にした兄弟だなどということは、公然の秘密になっていました。みんな極めて狭い世界の中で、つき合っては別れてを繰り返していたのです。

「私は一度も、そういう乱れた世界に身を置いたことがありません。本当にあるんですね?」

「これはな、あるところにはあるし、ないところにはない。目に見えない境界線があって、人は自分が属さない方には絶対行けないようになっている」

「たまには、あっちに行きたい気もしますけどね。楽しそうじゃないですか」

「どうかな?後悔するよ。と言うか、神経が持たないよ。こっち側の人は」

 まさに仕事でクタクタ、男女関係でドロドロで、気の休まる暇がありませんでした。ここは無間地獄か? と思ったものです。

「そうだろうね」

 そんな頃、私には気になる同期入社の男がいました。村山というのですが、こいつが真面目なのです。そんなに仲がいいというほどではありませんでしたが、同じ営業部にいたため、自然と行動を共にすることが多かったのです。

「ふむふむ」

 男女関係が乱れきった会社で、一人あいつだけはストイックを貫いていました。私が知っている限り、誰にも手を出していないはずです。

「手を出していないのが少数派って、すごいですね」

 あいつ、簡単に言うと、超がつく面食いなんです。それがわかった頃、私は既に会社でブス殺しとの異名をとっていました。

「ぷっ」

「殺してない。仲良くしているじゃないか。必要以上に」

 私や、他の社員がつき合った女性たちはお眼鏡にかなわないらしく、奴は全く興味を示しませんでした。なかなかいい男だし、話すと面白いので、女性社員からは結構人気があったようです。

「なるほど」

 同期入社ですから、どうしても営業成績は比較されます。私は燃えました。奴にブスと思われた女性たちの名誉にかけても、負けたくなかったのです。

「よく意味がわかりません」

「同じく」

 さっき、全員が毎日深夜残業みたいなことを言いましたが、あいつだけは例外でした。私たちはそんなに仕事がなくても、ダラダラ会社に残る傾向があったのですが、村山はそんな時、さっさと定時で帰宅してしまいます。

「ものすごく普通に聞こえますけど」

 第三者からは、そう思えるかもしれません。しかし、現場にいる人間に取っては、すぐ帰る人間にどうしても違和感を持ってしまうのです。仕事をしていないんじゃないか?とか、楽しているのではないか?と、やっかみを言う奴もおりました。

「実際には、すぐ帰る人の方が、成績が良かったりするんだけどね」

「へえ、そういうものですか?」

「本当に忙しい社員は別にして、毎日タラタラ残っているだけの連中は仕事している気になっているだけだ。実際は会社にいる時間が長いだけで、何にもしてない奴も結構いるからね」

 社員の間では、あいつは一人で何をやっているのだろう?と、よく話題になったものでした。

「そういうのが、無駄な時間だってんだよ。早く帰れ」

 私は同期ですから、それとなく村山に尋ねてみました。すると、一人で映画を見に行ったり、自宅で本を読んだりしているとの答えでした。なんて暗い奴だと思ったことを覚えています。映画なんて女と見るものだし、家で淋しく本を読むなんて、私にはありえないことだったのです。

「毎日会社に深夜までおる方が、明るい生活か?」

「そうですよね」

「さっきも言ったけどな。一人の時間をしっかり過ごせん者に人間的な成長はない。ひとりぼっちを馬鹿にしたらいかんよ」

 今では皆さんがおっしゃる方が正しいことは私にもわかります。ただ、その頃の私は、自分たちがドロドロの沼に首までつかっているのに、あいつだけが口笛吹いて、そのへんを散歩しているように見えてしまったのです。

「なるほど」

 今思うと、自由に見えたあいつを嫉妬していたのかもしれません。私は奴にあらゆることで勝つことによって、自分の生き方が間違っていないことを証明したかったのだと思います。

 まずは営業成績です。私は仕事に全身全霊を傾け、とにかく契約を取ることに邁進しました。同期でトップになりたかったのです。営業日報で、週報で、月報で、私は村山に勝ち続けました。

「いいことだと思いますけど」

「エロ三昧の毎日にくらべたら、堅実じゃないか」

 ところが、当時の外資系IT企業というところは、どん欲なところでした。売れなかったら盗んで来いぐらいのことを平気で言います。まず外人のトップから前倒しだのプッシュだのと指示がでるわけですが、無から有が生まれるわけがありません。結局、みんな架空売上まがいのことをやって、数字を作っていました。何しろ給与体系が完全歩合給でしたから、生活のために何でもやるわけです。

「当然、つじつまは合わせないといけないよね」

 その通りです。外資系は四半期決算ですから、最後の決算月で無茶やって数字を上げ、次の二ヶ月で後始末をし、そしてまた決算月で・・・・・・の繰り返しです。

「普通に売った方が、売上が上がるような気がしますけどね」

「それができないのが、外資系だ」

 たとえば、今日が四半期の最終日だとします。明日だと百円で売れる物を今日中に十円でたたき売れ! というモードでした。

「強烈ですね」

 気がつくと、数字のでっち上げは日に日にエスカレートしていきました。周囲もやるから自分もと、感覚が麻痺していたのです。

 ある四半期最終日のことでした。私は上司から、その日までに契約が取れそうになかった顧客の社印を作れと命じられました。

「えーっ?」

「私文書偽造だよ、それ」

 さすがに私もまずいのではと抵抗しましたが、翌週中には本物の契約が入るから大丈夫だ、こんなことはよくあることだと丸め込まれ、言うことを聞くはめになってしまいました。その話は最初に村山に持ちかけられ、彼が強硬に拒否したという話も聞きましたので、逆に自分がやってやろうという気にもなりました。ここで危ない橋を渡ってでも、奴に差をつけたかったのです。

 私は年賀状などに使うゴム板と彫刻刀を文房具店へ買いに行き、会社の密室で工作に励みました。もともと手先は器用だったのです。

「そういう問題じゃないと思いますが」

 で、その結果は、皆さんのご想像通りです。その契約は我々が思っていたほど、受注確度が高くなかったのです。

「うわーっ」

「あらあら」

 後からわかったことですが、商談は消滅と言う以前に、もともと存在しなかったと言った方が正しいぐらいの話でした。お客が多少関心を示した程度の話が、いつの間にか「受注確実」に変わっていたのです。期末が近づいて、数字を何とかしたいという皆の願いが、そんなフィクションを真実だと思いこませたのかもしれません。

「人間、追い詰められると、何でもしてしまうという見本だな」

「恐ろしいことですね」

 そして期末が終わり、みんな目がさめました。あわてて架空発注を取り消そうとしましたが、時すでに遅し。顧客から問い合わせが入り、すぐに社内監査で我々の悪事が発覚しました。

 当然のことながら、印鑑を偽造した私が一番厳しく追及されました。信じられないことに、その指示を私に出した課長は、まさか本当にやるとは思わなかったと、知らばっくれようとしたのです。人間不信になりそうでした。

「えーっ?」

「人間のクズだな、そいつ」

 さすがにそれは通じず、彼は退職に追い込まれました。その他にも関与した数名が他部署や子会社に飛ばされました。私は若かったですし、上の圧力に逆らえなかったという事情はくんでもらえたものの、やはり実行犯ですから懲戒的な異動がありました。

「どうなったんですか?」

 営業には変わりありませんが、新規顧客開拓を専門とする部隊に配属されたのです。 要は通称テレアポと言う、いきなり見ず知らずの会社へ電話セールスをかけたり、飛び込み営業をやったりするところでした。それぞれにノルマがあり、電話は百本、飛び込みは三十社を毎日やらされました。

 電話はパソコンと接続されていて、通話先と通話時間が記録されますし、飛び込みは夜にその日入手した名刺の数をチェックされます。ですから、やったふりをすることはできませんでしたし、数が足りないと人間性を否定されるほど厳しく叱責されます。

「そういうのって、効果があるんですかね?」

 あるはずがありません。最近ではどこの会社でも、飛び込み営業など相手にしないのが普通です。うちの会社も成果などは期待しておらず、要は辞めさせたい社員をそこに集めただけだったのです。日本の法律ではそうそうクビにできませんから、つらい目に遭わせて自発的に退社するようにし向けるための部署でした。

「仕事が大変なのはよくわかりますが、今日は恋愛の話じゃありませんでしたっけ?」

「まあ、ここからでしょ?」

 はい。その問題の恋をした時の状態をご理解いただきたかったので、延々と会社の話をさせてもらいました。

「すみません。続けてください」

(この続きは)
恋の至近弾【5/8】カサノバの夕べ(後編) 



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