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一杯のコーヒーに秘められたもの カフェ・エモ・エスプレッソ~バックストーリー~

-1- 転落

日本でコーヒーが一般に飲まれるようになってから、約150年。
今や、コーヒーは私達の生活になくてはならないものになり、様々チェーン店がしのぎを削っている。

だが、うまいコーヒーを飲みたいなら、有名なチェーン店を選ばなくてもいい。

JRの関内駅の北口から、歩いて約5分。
伊勢佐木モールの裏道に、本格的なエスプレッソが飲める店がある。

店の名は、cafe emo espresso(カフェ・エモ・エスプレッソ)。

バイク乗りとコーヒー好きが集まる、こぢんまりとしたカフェである。店主の西野は、見た目はワイルドで、海賊のような男だが、話してみると気さくで、とてもおもしろい。

だが一番のインパクトは、その雰囲気からは想像できない、繊細で味わい深いエスプレッソだろう。

私は、今でこそエスプレッソを普通に飲むが、エモ知るまでは、小さいカップで出てくる、苦くて濃いコーヒーと認識しており、敬遠していた。だが、行きつけの店を見つけようと、いろいろ探していたとき、あるブログでエモのことを知り、足を運んだ。

とはいえ、いきなりエスプレッソに行くほどチャレンジャーではなかった。
結果、最初に飲んだのはカプチーノ。
エスプレッソに、蒸気で泡立てたミルクを足したコーヒーである。

「うまい……」

言葉に出たかどうかは、覚えていない。
もう10年ぐらい前の話だ。

しかし思ったのは、こんなにうまいコーヒーを淹れられるのだから、ずっとコーヒーに関わってきたのだろうと思ったが、そうではなかった。
カフェ・エモ・エスプレッソは、2021年7月の時点で、オープンしてから13年目。私が店に行ったのは、まだオープンしてから3年ほどしか経っていないときだったわけである。

人見知りである私は、最初は入り口近くのテーブル席に座っていたが、何度か通ううちに、カウンター席に座るようになり、店のマスターである西野と話すようになった。

そういった中で、時々店の話や、エモをやる前は何をやっていたかといったことを聞くようになった。

そのうち、私はYoutubeでチャンネルを始め、自分で物語を書くようになり、様々なストーリーに意識が向くようになると、エモという店、そして、普段自分が飲んでいるこのコーヒーが出来上がるまでには、どんなストーリーがあるのだろう?

そんなふうに思うようになった。
そこで私は、エモのバックストーリーを書いてみようと思うのですが……と提案したところ、西野は快くOKしてくれた。

これから語る話は、いつものフィクション小説とは違う。
カフェ・エモ・エスプレッソの歴史と、一杯のコーヒーの裏にある、深くて濃い、ノンフィクションの物語である。



「あのころの自分を一言で言うなら、傲慢。驕り高ぶりが尋常ではなかった」
 
西野は、エモの前にやっていたBar時代の自分を振り返って、そう言った。
エモをオープンする前から、西野は飲食業界にいたわけだが、Barとコーヒー屋では、その質はまったく異なる。

「若気の至りということもできるかもしれないが、それも自己弁護だと思う。思慮が浅く、とにかく傲慢だった」
 
今の西野は、豪快さは感じるが、傲慢さは感じない。
しかし、当時の西野は、傲慢そのものだったという。

Bar時代、何があったのか。

今から20年以上前。
西野は、エモーション・クラブというBarをやっていた。
毎日のように、お客とともに酒を飲み、酔って寝るのが当たり前。乾杯するのが仕事のような日々を送っていた。

いかにタフな人間であっても、そんな生活をしていれば体を壊すが、当時の西野にそんな発想はなかった。

しかし、それは突然訪れる。
いや、本当は、突然ではない。

人間関係でもそうだが、人は崩壊したときになって、さもそれが急に起こったことのように感じる。不意打ちを食らったような感覚を覚え、なんで突然……と呆然とする。

しかし実際は、見えていなかった、または見えていたのに、問題ない、大丈夫と、見ないふりをしてしまう。だからそれが起こったとき、突然に感じるのだ。

「今思えば、体にそういう兆候は現れてた。
 少しずつではあったけど」
 
西野も同じように、兆候が視界の隅に見えてはいた。
だが、都合のいい理由をつけて、病院に行くことを先延ばしにした。サインを出し続けているにも関わらず、何の対処もされなかった体は、痛みを蓄積し続け、ある日"突然"、意識を失った。

そのころ、妻のお腹には娘がいた。
タイミングは最悪だが、運命は空気など読まない。
然るべきときに、それを示すだけである。

まあ、確かに体はきついが、入院して少しおとなしくしてれば治るだろう。
西野はそう思っていた。

しかし、送り続けた痛みのサインを無視されたことに対する体の怒りか、西野の病は、ただ入院すればいいというほど、軽いものではなかった。

みぞおちと背中のちょうど中間……体にコアというものがあるなら、まさにそのコアが悲鳴を上げているような感覚。

痛みで背筋を伸ばすこともできず、一歩足を動かすごとに、内臓が揺れる。揺れて痛いのではなく、痛みで内臓が揺れているように感じる。体の中に、何度も爆弾が落ちては爆発し、体内を破壊されていくようにも感じた。
形容詞を出し尽くしても足りないほどの激痛……

そして枕元には、準備はできていると言わんばかりに、死神が佇んでいる。
そんな状態だった。

「手術が成功しても、もう一生、お酒は飲めません」

担当の医師は、顔に悲痛さを浮かべながら言った。

「一生……」

さすがの西野も呆然として、一瞬何も考えられなかった。

酒が飲めない。

乾杯するのが仕事になっていた西野にとって、ただの酒好きが飲めないと言われるよりも残酷な、死刑宣告も同然だった。

「そのとき初めて、それまで自分が過ごしてきた、当たり前だと思っていた日常は、尊いものだったんだって実感した。
 
それまでは、毎日陽が昇るみたいに、何もしなくても、この日常が延々と続いていくものだと思っていた。

でも違った。ずっと続くことでも、当たり前でもなかった。そんな大切なことを、考えるどころか、知ろうともしてなかった」

西野は、当時のことをそんなふうに回想する。

毎日店に行き、乾杯し、明るくなるころに眠りにつく。
それが、当たり前だった。それが、日常だった。
決して変わることがないと思っていた、あの"日常"には、もう二度と戻れない……

だが、感傷に浸る暇もなかった。
酒が飲めないということは、退院したら、これまでと違うことをして生活していかなければならない。家族もいるから、適当なことはできない。だが、飲食以外に関わったことがない自分には、飲食以外に戻る場所はない。

そう思ったが、現実は非情だった。
西野を蝕んでいる病気は、思った以上に重く、退院したあとも、食事制限が出てきてしまう。

そうなると、レストランのような店は難しい。メニューを考えるためには、試作し、味見をしなければならない。

しかも、それはレストランをやっている間、ずっと続くこと。
食事制限ありでは、食事中心の店はできない。自分が酒を飲めない以上、Barのような店もできない。残された道は、喫茶店など、飲み物を中心とした店。

そうやって選択肢を絞っていった結果、残ったのは、紅茶かコーヒーの2つだった。

「コーヒーか……」

西野は、基本的にコーヒーを飲まない。
飲むのはもっぱらお茶で、そもそもコーヒーは好きではない。

「今でもね」

西野はそう言って笑った。

では紅茶か。

茶葉というのは無数にある。
素人には、どこからが日本茶で、どこからが紅茶で、どこからが中国茶か分からない。乾燥させた茶葉が紅茶だぐらいのことは分かっても、紅茶にもいろいろある。そこまで幅が広がってしまうと、境界線が分からりづらく、扱いづらい。

すでに紅茶やお茶について、それなりの知識があるならともかく、家で飲む程度で、一般人と変わらない。まっさらな状態から始めるのに、店でやるほどの知識を身につけるのは厳しい。

「コーヒーしかない」

このときは、まだ覚悟と言えるものではなかったかもしれない。
それでも西野は、決断した。
やるしかなかった。



-2- エスプレッソを知る

病院のベッドに横になったまま、本や雑誌を見ながら、西野は眉間にシワを寄せていた。

決めたはいいが、コーヒーを選んだからといって、楽になるわけではない。
商品知識という意味では、コーヒーを飲まない西野にとっては、お茶よりも下なのだ。

といっても、やるしかない。

そこでコーヒーを調べ始めたが、さっそく問題にぶつかった。

コーヒーにも、いろいろな種類がある。

大きく分ければ、エスプレッソとドリップの2種類だが、ドリップコーヒーは、コーヒーフィルタを使って、コーヒー豆をお湯や水で濾(こ)す。

家庭で淹れるコーヒーとしても馴染み深いもので、種類としては、ブレンドコーヒー、アメリカンコーヒー、ウインナーコーヒー、カフェオレ、ダッチコーヒーなどがある。

エスプレッソは、注文から出されるまでのスピード感から、イタリアの「特急・急行」を意味する言葉が語源とされており、細かく砕いたコーヒー豆を、専用のマシンを用いて高温・高圧で一気に抽出する。種類としては、エスプレッソ、カプチーノ、カフェラテ、カフェモカ、カフェマキアートなどがある。他にも、実験器具のような容器で入れるサイフォンコーヒーなどもある。

家庭でも馴染み深いドリップコーヒーでは、趣味で何十年もやっている人もいて、今からやっても、そこにすら敵わない。
ではサイフォンはどうか。
あのスタイルはしっくりこない。

「どうすればいい……」

いろいろと調べた結果、二つのものが西野の中に残った。

一つは、バリスタという存在。
なのだが、ここは少し補足がいる。

日本でバリスタというと、コーヒーに詳しく、コーヒーを淹れる人、いわば、ワインの専門家であるソムリエのコーヒー版のようなイメージで見られることが多い。しかし、ここで西野が思ったバリスタとは、イタリアのバールで言うところのバールマンに当たる。

イタリアのバールでは、バリスタはコーヒーを淹れる人ではあるが、コーヒー"だけ"を淹れる人であり、店に入ったばかりの下っ端と見られることもある。対してバールマンは、コーヒーはもちろん、アルコールの提供までこなす、昼から夜まで、一人で店を回すことができる人を指す。

つまり、西野がイメージしたバリスタの姿は、イタリアのバールで言うところのバールマンということである。

そしてもう一つ、西野の中に残ったものは、

『淹れる人によって味が変わる』

という言葉だった。

それは、エスプレッソと呼ばれるコーヒーで、家庭で飲むようなコーヒーとは違うらしい。

「エスプレッソ……」

聞いたことはあった。
いや、飲んだこともあったかもしれない。
薄っすらとした記憶を頼りに、エスプレッソのことを思い出してみた結果、出てきたのは、苦い、濃い、少ないという、何とも魅力のない3点セットだった。

そのエスプレッソが、淹れる人によって味が変わるという。抽出の仕方によって味が変わる……それがどういう意味か、このとき西野は理解できていなかったが、分からないなりに、いろいろと想像した。

「淹れる人によって味が変わるなら、あんなマズイものが、さらにマズくなる可能性があるってことか? どうやったら、あれ以上マズくできる……? あんなもの飲むなら、ドリップコーヒーにミルクと砂糖いれて飲んだほうが絶対にいい」
 
それが、当時の西野の答えである。

どうすればうまくなるのか、ではなく、あれがさらにマズくなる可能性がある……そんなふうに考えたのだった。

退屈な入院生活の中で一番浮かんできたのは、バイクのことだったが、それを楽しみに退院を待つだけで済む状況ではない。

どんなに楽しみなことに目を向けようとしても、バイクで青空の下を走る自分が浮かんできても、もうあの"乾杯の日常"には戻れないという現実が、常にチラついていた。

少し変わった興味の持ち方ではあったが、雑誌などでエスプレッソについての記事を中心に読むようになり、その中で、エスプレッソはイタリア発祥のコーヒーだということを知る。

「なるほど、早く出すってことで、急行、エクスプレスからきてるのか……
 ……!!!!」
 
マズイはずのエスプレッソが、コーヒーの種類の一つとして認知されていること自体、西野にとっては衝撃的なことだったが、雑誌を読んでいく中で、さらに衝撃的な事実を知る。

「は……?
 なんだこれ……」
 
エスプレッソを淹れるには、エスプレッソマシンという、専用のマシンが必要らしい。

それは別にいい。
サイフォンだってドリップだって、専用の器機がある。
エスプレッソに専用の器機があっても不思議ではない。

驚いたのはその価格だった。
サイフォンやドリップの器機でも、高いものはある。だが、せいぜい数万円だ。対してエスプレッソマシンは、アメリカ製やイタリア製の、グレードがいいバイクが買えてしまうほどの価格……つまり、何百万円もする。

見間違いかと思い、何度か見直したが、桁数に間違いはない。普通に考えても衝撃だろうが、西野がバイク乗りであったことも、衝撃に拍車をかけたかもしれない。

(あんなマズイものを淹れるために、こんな価格のマシンを使う……? 意味が分からない……イタリア人って、イカれてるのか……?)
 
西野は、そんなふうに思った。

しかし同時に、別の興味も湧いた。

(なぜこんなものがこんな価格になる?)

その答えは出なかったし、これからエスプレッソ屋をやろうという人間としては、あまりいい驚きではなかったかもしれない。

だが、他に道があるわけでもない。
やるしかないのだ。

まずすることは、エスプレッソを知ること。
退院したら、エスプレッソマシンがある店を回って、飲み比べをしようと決めた。



-3- 覚悟

(バイクに乗れる……!)

退院したら、エスプレッソの飲み歩きをすることを決めていたが、いざ退院してみると、一番最初にこみ上げてきた思いは、バイクに乗れる、ということだった。

バイクに跨り、風を感じて走ることで、自分は日常に戻ってきたのだと感じることができた。

(これでBarに戻れたら、言うことないんだけどなぁ)

そんな考えが浮かばないわけではなかったが、思いを強くしたところで、現実が変わるわけではない。バイクに乗ることで自分を取り戻した西野は、いよいよエスプレッソがある店を回り始めた。

まずは、チェーン店である。
チェーン店は、どこの店で食べても飲んでも、同じ味という安心感がある。
ハンバーガー専門店は、どの地域で食べても同じ味だし、牛丼屋もカレー屋も同じだ。

しかし……

(なんだ、これ……)

チェーン店であるにも関わらず、エスプレッソは店によって味が違った。

エスプレッソについて何も知らないのに、そんな違いが分かるのか? そう思うかもしれないが、知らないからこそ分かるものがあるし、西野には、長年Barをやっていた経験もあった。

「あのときは、特に舌がクリアになっていたかもしれない」

西野は、当時を振り返って言った。

長い入院生活と、食事制限。
食事制限と言うと、ダイエットをするようなイメージが強いが、西野が入院中に実施していた食事制限とは、絶飲食である。

絶飲食とは、簡単に言えば点滴だけで取る食事である。
普通に口から食事を摂取したのでは、痛みがでる。そこで、普通に食べられるようになるまで、点滴で栄養を摂取するわけだが、普通の点滴とはわけが違う。

今はもっとスマートになっているかもしれないが、西野が入院していた当時は、ベッドの横に、絶飲食と書かれた札が物々しく立てられ、中サイズの巾着バッグぐらいの点滴を1日2回、というものだった。

毎朝採血し、体内の状態を数値で確認。
それを見て、点滴の栄養素を調整する、ということが毎日続く。

そんな状態が長かったから、通常よりも舌がクリアになっていた可能性もある。また、別の見方をすると、当時のエスプレッソマシンがセミオートであった、ということも関係しているかもしれない。

だからチェーン店であっても、淹れ方や、マシンの調整が違った結果、味が変わったということは、十分に考えられることだ。

そんなふうにして、まずは横浜の店をたくさんまわり、まわり終わる頃には、体調もだいぶ回復してきたので、東京まで足を伸ばし、とにかくたくさんのエスプレッソを飲んだ。普通の人の一生分かと思えるほど。

そうやって飲んでいく中で、ラテにすると味がふくよかになるなど、技術的な部分で気づいたことはあったものの、肝心のエスプレッソの味については、以前と変わらず、

「うまくない」

という結論のままだった。

自分でうまいと思えないものを、店の商品として出すのは難しい。
それでもやるしかないが、どうすれば……
うまいエスプレッソはないのか……?

心の中には不安だけが増え、方向性も決まらないまま、時間だけが過ぎ、2人目の子供の出産も迫っていた。

自分自身が動けていなくても、時間はどんどん流れていく。
そして、そんな状況の中で、息子が生まれた。
西野にとっては、2人目の子供である。

すでに娘がいたから、子供が生まれてくる感覚は分かっていた。だが、いざ生まれたその子を見たとき感じたことは、娘が生まれたときに感じたものとは、まったく違った。

『仕事している姿……
 健全な背中を見せたい……』

生まれてきた息子の顔を見たとき、西野が最初に思ったのは、それだった。

あなたが親父で良かった。
息子が成長したとき、思わずそう言ってしまうような男の背中……

時刻は夜中の2時。
疲れもあり、あまり細かいことを考えられるような状態ではなかったことも、影響していたかもしれないが、とにかく、それはひらめきのように浮かんだ。

そして、健全な背中を見せたい……と思ったあとに、

『バリスタをやろう……』

その一言が、啓示のように浮かんだ。
ここでいうバリスタとは、無論、イタリアのバールでいうバールマンである。

エスプレッソを飲み歩いても、うまいものに出会えず、自分はこのままエスプレッソ屋を選択していいのか……? やるしかないのに、迷いは消えていなかった。

だがこのときに、迷いは消えた。
自分の中に降りてきた直感を、西野は信じた。

エスプレッソと向き合う覚悟……
このとき、完全にそれが腹に落ちたと言える。

ちなみに息子は、西野の誕生日の翌日に生まれた。
西野の中では、同じ日に生まれてきたら対立するという感覚があったが、息子は、まるでそれを分かっていたかのように、数時間ずらして誕生した。

偶然と言えばそれまでだが、そこに運命を感じるのも確かだ。

覚悟を決めた西野は、次の行動を模索した。



-4- 店

バリスタをやって、健全な背中を見せる……

想いを強くし、覚悟を決めたものの、映画のように、それで道が拓けるわけではない。内面は変わったが、外の状況は何も変わっていないのだ。

バリスタをやるには、店で出せるだけのコーヒーを淹れる技術と、知識を得なければならない。オーソドックスなやり方を採用するなら、どこかの店に入って学ぶ、ということになるだろうが、そもそも企業に属してうまくいくタイプではないし、うまいエスプレッソにも出会っていないし、すでに何年もBarを経営してきた経験もある。

そうなると、独学で身につけるしかない。

西野は、それ以外の選択肢を捨てて、最初から独立してエスプレッソ屋をやることに決めた。次に考えたのは、店の場所、どこに店を開くかということだった。

横浜で店を出すことは譲れない。
そこだけは、考えるまでもないことだった。
横浜生まれ、横浜育ちの西野にとって、横浜は特別な街。
あとは、横浜のどこに出すかということ。

一口に横浜と言っても、いろいろな場所があり、それぞれ世界観が違う。横浜という名前は、オシャレな港町というイメージがあるだろうし、それはそれで、間違ってはいない。確かに、オシャレなエリアも複数ある。

だが、下町のようなところもあれば、少々近づきにくい場所もあるし、本当に何もない、みたいなところもある。

そんな中で、西野が最初に目をつけたのは、山下町のあたりだった。山下町は、海が近く、横浜人形の家や、山下公園など、観光スポットの一つとしても認知されている街である。

何件か見るうちに、良さそうな物件を見つけ、話を進めようとしたが、思ったように進まず、結局、その物件の話は流れてしまった。

残念ではあるが、しかたがない。
再び店探しを始め、まずは、以前候補としてピックアップしておいた場所を確認した。

「条件が良くなってる……」

西野は思わず呟いた。

後にカフェ・エモ・エスプレッソとなるその物件は、山下町の話を進める前から出ていた。

1人でやる店としては、ちょうどいいぐらいの広さで、周囲にいろいろな店があるものの、居住区ではなく、裏通りにあるため、バイクも停めやすく、斜向いには駐輪場もある。

さらに裏に行けば、その筋の人たちがいる場所なので、一定のマナーも守られる。闇の力によってだが……

そんな場所なのだが、以前見たときは、高額だった。
だから、候補として残してはいたものの、話を進めることはなかったのだが、山下町の物件が流れたあと、以前ピックアップした候補を見直していたところ、価格が下がっていた。そこで、これなら……と思い、話を聞きに行ってみることにした。

「こんにちは」

約束を取り付け、物件を管理している不動産屋に向かう。
待っていたのは、漫画ONE PIECEに出てくる大海賊、白ひげ、エドワード・ニューゲートのような男で、その人物が社長だった。

「いらっしゃい」

何気ない一言にも、迫力がある。
威圧感が、普通の人間のそれではない。
だが、西野もそれで気圧されるような男ではない。

案内された椅子に座り、落ち着いて話をしていく。
お互いに、相手の仕草や表情を見て、次の言葉を選ぶ。

片や、Barでいろいろな人間を見てきた観察力。
片や、社長として長年たくさんの人間を見てきた洞察力。

言葉は穏やかながら、どこか張り詰めた空気が続いたが、次の一瞬で、空気が変わった。

「あんた、西野さんところの息子さんか?」

なんと、西野の母親と白ひげ社長は、繋がりがあった。偶然と言うには、出来すぎていると言いたいところだが、事実は小説より奇なりだ。

加えて、人間というのは、共通点を見つけると急に相手に親近感が湧く。
他人が一瞬で、同郷の人間のようになる。
こうして、物件の話は急ピッチで進み、ついに契約にこぎつける。

「何かあったら、言ってこい。
 ただし……」

白ひげ社長は、契約書を渡しながら言った。

「裏の人間との付き合いはなし。
 これだけは守れ」

場所柄、そういった関係ができる可能性もあるため、万が一にでもそういったことがないようにと、念を押された形になった。

「もちろんです」

西野にも、異論があるはずはなかった。

こうして、ついに店を開く場所は確保することができた。
安心して、コーヒーを淹れられる環境は整った。

残されたミッションは、コーヒーを淹れる技術を身につけることと、店の設計を進めること。やることは明確になっていたものの、どうやって進めればいいか分からない。

目的地は見えているのに、そこに至るまでの道は、霧がかかったように真っ白で、まっすぐ歩けばいいのか、右に行けばいいのか、左から行けばいいのか、さっぱり分からない。

だが、物件の契約も済ませた以上、悩んで立ち止まっている暇はない。

とにかく、前に進むために、
西野は手探りで、歩き始めた。



-5- 至妙の設計士との出会い

「どんな内装にするか……」

西野は、店のイメージをノートに描き、これというものを探していたが、しっくりくるものに中々出会えない。

そんなある日、1人の男性と出会う。
聞けば、その鈴木という男性は、設計士をしており、あまりにも忙しく、休みもろくに取れないため、仕事をコントロールできるようにと、独立したばかりだという。。

この鈴木という男性こそ、西野に"うまいエスプレッソ"へと続く道を用意したとも言える人物で、ちょうど西野に会ったころ、SPシステムという会社作り、独立の道を歩き始めたときだった。

そういう意味では、これまでの日常と決別し、新しい人生を歩もうとしている西野に、強い共感を覚えたのかもしれない。

「あなたは、どんなお仕事をされてるんですか?」

SPシステムの鈴木は、自分の話が終わると言った。
初対面の大人同士は、名前から入り、その次か、次の次ぐらいには、仕事は何をしているのか、という質問が入ってくる。

このときも同じで、SPシステムの鈴木が、自分は設計士を……と答えたあと、西野が答える番になった。

実は……と、これまでの経緯を話したあと、

「バリスタをやろうと思っている」

西野は初めて、人にそのことを口にした。

「へぇ、初めてのことで、これから大変でしょうね。私は家でもよくコーヒーを飲みますが……」
 
普通なら、そんなふうに話が進んでいくだろう。
だがSPシステムの鈴木は、予想外の質問をしてきた。

「マシンは何を使うんですか?」

カフェによく通う人でも、マシンの名前など知らないことが多いだろう。マニア級のコーヒー好きか、関係者なら、店で使うようなマシンのメーカーも知っているだろうが、質問としては中々出てこない。

「(LCIMBALI)ラ・チンバリのマシンを考えてます」

西野はこのとき、まだマシンに詳しいわけではなかったが、スマートボイラーのシステムがいいと思い、ラ・チンバリというイタリアの老舗メーカーのマシンを使いたいと考えていた。

「なるほど。
 ラ・チンバリなら、FMIですね」
 
「FMI?」

聞き慣れない名前だったので、西野は聞き返した。

「FMIは日本でラ・チンバリを扱う、総代理店ですよ」

SPシステムの鈴木は、これまでに老人ホームやフードコートなどの設計を多数手がけており、大きなフードコートの設計でも、一人でやってしまう。フードコートをプロデュースできる人物と言ってもいい。

そうなると、どこにどんなマシンを入れるか、ということも考えるし、必然的に、マシンを取り扱う会社との付き合いも出てくる。その関係で、FMIとの付き合いも長かった。

「FMIは、アフターフォローもいいから、おすすめですよ」

マシンについて、まだまだ分からないことだらけだったが、西野は、ラ・チンバリを選んだ自分の勘は正しかったと思った。

店の設計を考えているときに、至妙の設計士と出会い、その設計士が、自分がこれにしようと思っていたメーカーのマシンを扱う、総代理店との関係が深い。

あまりにも、できすぎた話に思える。
フィクションではないかと思うほどに。

だが、もしこれがフィクションなら、こんなできすぎた設定にはせず、もう少し困難なシーンを用意する。事実は小説より奇なりというが、こういった出来事は、できすぎているだけに、逆にフィクションぽくないのだ。

とはいえ、やはり現実はそう優しくはない。
一見順調に見えるが、今のままでは店をオープンさせても、マシンの使い方も分からず、エスプレッソ屋なのにエスプレッソが出せないという状況だった。

そうなると、コーヒーの淹れ方を学ばなければならないが、当時は、どこかの店に入って何年も修行するということを除くと、30~40万円を払って、店で働きながら学ぶというスタイルが多かった。

それでうまくいく人もいるだろうが、西野はそういったやり方がしっくりくる、うまくいくタイプではない。それは、自分でもよく分かっていた。

ならば、別のやり方を探すしかない。
今存在しないやり方でも、目的が果たせればそれでいい。
西野は、再びコーヒー屋に通いながら、情報を集めることにした。



-6- 光明

「ラ・チンバリは、マシン購入の契約をすると、取り扱いについてのレクチャーをしてくれるよ。一回だけだったと思うけど、購入してから店に設置されるまでの間なら、いつでもよかったはずだ」

コーヒーを淹れる技術を身につける方法を探して、いろいろな店に通っていたある日、西野はそんな話を耳にした。

ラ・チンバリと言えば、FMI。FMIと言えば、当時の西野が一番始めに思い浮かべるのは、SPシステムの鈴木である。
そこで、早速電話をして見ることにした。

「鈴木さん、こんにちは。実は、ラ・チンバリのマシンを買うと……という話を聞いたんですが……」
 
「ああ、それなら、FMIにテストキッチンがあるから、そこで試せるかもしれません。買う前に、少しでも使い心地が分かったほうがいいですよね。僕から電話して、確認してみますよ」
 
SPシステムの鈴木は、そう言ってくれた。

FMI側は、鈴木さんの紹介ならということで、受け入れてくれ、西野は幸運にも、購入前にテストキッチンでマシンを触らせてもらえることになった。

総代理店であるFMIが、まだ素人のエスプレッソ屋のために、時間を作ってくれるなど、普通に考えればありえない。だがSPシステムの鈴木は、西野にその道を敷いてくれた。

そして、マシン講義の当日。
西野は、エスプレッソに対する認識を一変させてくれた恩師であり、人生の恩人となる人物と出会うことになる。



-7- うまいエスプレッソ

「Bar時代だったら、目の前にそんな人が現れても、存在していることすら気づけなかったと思う」

西野は、当時を振り返りながら言った。

昔だったら、目の前に現れても気づかなかったものとは何か?
それは、恩人の存在である。

病気になって以降の西野の人生には、4人の恩人が存在する。このバックストーリーに登場するのは、そのうちの3人。

1人は、主治医である外科医師。
1人は、カフェ・エモ・エスプレッソを設計し、FMIとの繋がりを作りを作ってくれた、SPシステムの鈴木氏。
そして、エスプレッソ屋としての恩師であり、人生の恩人でもある人物……

テストキッチンで、マシンの講義が受けられることが決まり、西野は俄然、やる気になった。そのチャンスを最大限に生かすため、50ページのノートを買ってきて、そのとき思いつく限りの質問を、ノートの半分ぐらいまで、びっしりと書いた。

そして、当日。

「こんにちは」

「今日はありがとうございます。
 よろしくお願いします」
 
そんな挨拶から始まり、まずはコーヒーでも、と言って、講師となるバリスタが、エスプレッソを出してくれた。バリスタが持つ、穏やかで、余裕が感じられる雰囲気に、

「ありがとうございます」

西野も笑顔でお礼を言ったが、戸惑いもあった。

退院後、たくさんの店を周り、エスプレッソを飲んだ。
コーヒーを淹れる技術を身につける方法を探して、いろいろな店に通った。

だが、エスプレッソに対する西野の結論は、

『おいしくない』

というものだった。

濃い、少ない、苦いの三拍子が揃ったコーヒー……何も知らなかったころに、おぼろげにイメージした、そのときの結論と何も変わっていなかった。

(どうする……でも、せっかく淹れてくれたものだし、講義の時間を作ってくれたし、セッティングしてくれた鈴木さんの顔に泥を塗るわけにも……)

数秒のうちに、頭の中にいろいろな考えが浮かんだが、いらないという選択肢はない。

「いただきます」

そう言って、デミタスカップを手に取った。

「お砂糖入れて、よかったら」

コーヒーの温度を感じるぐらい、カップが唇に近づいたとき、バリスタは柔らかな物腰で言った。

「お砂糖……?
 お砂糖ですか?」
 
西野は、思わず口にした。
さっきとは違う戸惑いで、頭の中が混乱し始めた。

エスプレッソは、苦いもの。
ブラックコーヒーのようなもので、砂糖を入れて飲むコーヒーではない。西野はずっと、そう思い込んでいたし、それまでエスプレッソを飲み歩いていた中で、砂糖を入れるということを口にする人はいなかった。

「え……?
 お砂糖入れていいんですか……?」
 
西野は、目を丸くして言った。

するとバリスタは、子猫でも見るような穏やかな表情で、イタリアのエスプレッソは……と語り始めた。その話しぶりに、西野は、小さな子供が絵本を読み聞かせてもらっているかのように引き込まれた。

専門的な話をするとき、話し手は大きく分けて、二つのタイプに分かれる。
一つは、上から目線でうんちくを語るタイプである。

このタイプは、聞いてもいないのに、どうでもいいような話を、顎を上げながら話す。

知識をひけらかすような態度をしていることから分かるように、深い知識など持ち合わせていない。何も知らない素人を相手に、「俺すげぇ」とアピールしたいのだ。

このタイプの話をニコやかに聞いてくれるのは、お金と引き替えに笑顔と気分の高揚をくれる、キャバクラのおねえさんたちぐらいである。

もう一つのタイプは、小学6年生でも分かるように説明してくれるタイプである。

このタイプは、難しい言葉は使わないか、使っても、それがどういうものなのか、たとえ話を交えながら分かりやすく話してくれる。

そこには、素人を馬鹿にしたような態度は微塵もない。分かりやすい上に、初めて聞く話だから、聞いているほうは、どんどん引き込まれていく。

言うまでもなく、西野にエスプレッソのことを話してくれたバリスタは、後者である。

深く、広い知識を持ちながら、それをひけらかすこともなく、何も知らない素人を相手にしても、丁寧に、分かりやすく話してくれる。

それまで自分が持っていた、エスプレッソの常識を覆すような話の数々に、西野は前のめりになって聞き入ったが、

「コーヒーが冷めてしまいますよ(笑」

そう促され、言われたとおりに砂糖を入れた。
するとバリスタは、

「1杯いれてビターチョコ、2杯入れてスイートチョコ、最後にスプーンで、底に残った砂糖を掬って食べる」
 
CMの決め台詞のように、やはり柔らかな物腰で言った。

その言葉が合図のように、カップを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。

「……うまい……!」

思わず、言葉が漏れた。
微かに、手が震えた。

これまでエスプレッソに対して持っていた常識が、すべて剥がれ落ちていくような気がした。

噛みしめるように、もう一口、喉に流し込み、カップの底に残った砂糖を、スプーンで掬って食べたときには、西野の中にあったエスプレッソに対する常識は、完全に入れ替わっていた。

エスプレッソ屋をやろうと思い、退院後からここまで、数え切れないほどの店を回っても出会うことができなかった、『うまいエスプレッソ』に、初めて出会えた瞬間だった。

「じゃあ、始めましょうか」

バリスタが穏やかな笑顔で言うと、レクチャーが始まった。

説明を受けながら、エスプレッソマシンに触らせてもらい、少しでも疑問があれば質問し、ノートに書いてきたことも、都度質問した。今思えば、迷惑ではないかと思うほどだったが、バリスタは、西野の質問に丁寧に答えてくれて、その答えもまた、説得力があった。

エスプレッソの味、マシンの感触、使い方、コーヒーの知識……
すべてが感動だった。

さらに、このときに重要だった教えが、エスプレッソの淹れ方の定義だった。

「90℃、9気圧、20~30秒、1杯につきコーヒー豆7~8グラム。これがイタリアの基準ですが、お店を開けられるのですから、これを基準に、ご自身のエスプレッソを作り上げていくのが、個人的にはよろしいかと思いますよ。
 
 雑音ような知識をたくさん語る人は多いですけど、必要な知識だけを意識して、抽出し続けて、探求していけば、必ずご自身の味にたどりつけると思いますよ」
 
バリスタはそう言った。

そのときは、何のことだか分からなかったが、今なら分かることがある。

当時は、エスプレッソやコーヒーのうんちくを語る人間が多かった。西野自身も、エスプレッソを飲み歩く中で、そういった人間に遭遇したことがあった。

そういった業界の雰囲気を踏まえて、雑音には耳を貸さず、本当に必要なことだけを吸収し、やっていけばいい。そんなふうに言ってくれたのだと、今の西野は認識している。

「今日は時間もあるし、鈴木さんの紹介だから、もう少し掘り下げてみましょうか」

バリスタは、そう言って微笑んだ。
そしてその日、西野は実に4時間以上も、マンツーマンでレクチャーを受けた。

高い技術と知識、それをひけらかすことのない余裕、専門的な話を、素人が聞いても引き込まれるほど面白く話し、魅せ方まで心得た、熟練のバリスタ。

西野が後に、エスプレッソ屋としての恩師、人生の恩人と呼ぶことになる、このバリスタこそ、日本のイタリアエスプレッソの始祖と呼ばれる人物、根岸清バリスタなのだが、当時の西野は、そんなことは知らない。

ただただ、うまいエスプレッソと、うまいコーヒーを淹れる技術を学ぶことができたことが嬉しく、同時に、感動するほどのエスプレッソを淹れてくれたこの人なら、うまいエスプレッソを飲める店を知っているかもしれない……そう考えて、このレベルのコーヒーを飲める店はどこですか、と聞いた。

「今思うと、すごく失礼なこと聞いたなと思うけどね」

西野はそう言って苦笑いするが、そのときは分からず、純粋な好奇心からの質問だった。

「ふふふ……"ここ"も、そんなに悪くないでしょう?」

根岸バリスタは、微笑みながら言った。
"ここ"とは、西野がレクチャーを受けているテストキッチンのことである。

先程まで、どんな質問にも的確にハッキリと答えてくれていた根岸バリスタが、言葉を濁したことに、西野は少し違和感を覚えたが、気を悪くさせてしまったわけではなさそうなので、そうですねと言って終わりにした。

「たぶん、立場的なこともあったんだろうね。だから、ハッキリと、ここと答えてしまうのは難しかったんだと思う」
 
今、西野はそう思っているが、当時は、根岸バリスタの反応を見て、このレベルのコーヒーを淹れられるようになれば、やっていけるんじゃないか? いろいろ飲み歩いたが、このレベルのものはなかった。なら、この味を横浜に持ち帰れば、俺はいけるんじゃないか……直感的に、そう思った。

「今日はありがとうございました」

レクチャーを終えると、西野はそう言って頭を下げた。
バリスタを志す者として、普通の練習の一年分にもなるのではないか、というほど濃密な時間を過ごした西野の顔は、明るかった。

根岸バリスタは、優しい笑顔で頷くと、

「じゃあ今日の締めくくりに、冷たいエスプレッソを……」

と言った。

冷たいエスプレッソ? アイスコーヒーか? と思ったが、そうではなかった。

このとき根岸バリスタが出してくれたのは、カフェ・フレッド・シェケラート。

分かりやすく言えば、イタリアのアイスコーヒーだが、作り方は普通のアイスコーヒーとは異なり、抽出したエスプレッソ、砂糖、氷を、シェーカーを使って急冷した、冷たいエスプレッソである。

冷やしたコーヒーという意味ではアイスコーヒーだが、普通のアイスコーヒーとは別物で、飲んでみれば、アイスコーヒーではなく、冷たいエスプレッソだということが分かる。

「うまい……」

締めのカフェ・フレッド・シェケラートもまた、極上の味だった。

西野にとって、この日この時間は、根岸バリスタが出してくれたエスプレッソのように、濃く、味わい深く、長く余韻に浸れるような、一生忘れることのできないほどのものになった。

根岸バリスタに御礼を言い、家に帰る途中、西野の心は高揚していた。

目指すべき味のレベルは分かった。
あとは、教わったことを実践し、自分のやり方を確立していく。

分かっていても、そう簡単にできるものではないが、西野の心は明るかった。まだそこは遠いが、真っ暗だった道の先に見えた、一筋の光明。

それは、針の穴ほどのものだったが、目指すべき場所が分かったことは、これまでにない、大きな進展だった。



-8- ギリギリのスタート

根岸バリスタにレクチャーを受けて以降、西野はコーヒーについて、より深く、長く考えるようになった。技術はすぐにはついてこなかったが、少しずつ前に進みながら、扱うコーヒー豆は、ラバッツァで行こうということも決まった。

ラバッツァは、イタリアのトリノに本社を置くコーヒー豆の製造会社で、120年以上の歴史を誇る老舗である。

コーヒー豆と一口に言っても、種類はたくさんあるし、自分の目指す味に最適の豆を見つけるのは容易ではない。

西野は、根岸バリスタが用意してくれた、いろいろな種類の豆を確認し、ラバッツァのゴールドセレクションにしようと決めた。

ラバッツァのゴールドセレクションは、ロブスタ種が少しブレンドされた、大人の味わいがするもので、西野がイメージしていた、自分自身のエスプレッソに合うものだった。

ここで少し、コーヒー豆の話をしておくと、コーヒー豆は、双璧とも言える豆がある。一つはアラビカ種、もう一つがロブスタ種である。

アラビカ種は、風味が豊かで、鮮やかな酸味があり、重宝されるが、デリケートな品種で、病気や害虫に弱い。

ロブスタ種は、日本語で「強い、たくしましい」などを意味する、Robust(ロバスト)という言葉からその名がついたことからも分かるように、病気や害虫に強い種である。アラビカ種に比べると、風味や酸味はないが、苦味が強く、独特の香りを持ってる。

どちらが良いというのは、あまり関係がなく、自分が目指すコーヒーの味に、どんな豆が合うか、ということが重要である。

結局、どんな高級豆を使ったところで、自分の世界観を持っていない人間が淹れたものは、高級食材の個性を生かすこともなく、ただ調理しただけの料理のようなものだ。食材は高級なのに、料理としてはチープという、残念なものになる。

西野は、根岸バリスタに学んだことを思い出しながら、コーヒーの知識も増やし、翌年の3月13日のオープン日まで、地道に積み重ねていった。

そして年の瀬。

運良く、もう一度マシンに触れられる機会を得た。
そのとき担当してくれたのは、西野に本物のエスプレッソを教えてくれた、あの根岸バリスタの後継者と言われていた、FMIの営業マンで、西野は再び、有益な時間を得た。

しかし、本格的な修行をしたわけでもないまま、店を開けて1人でやっていくことを考えると、不安は残った。

年が明けて、店のオープンまで、約2ヶ月半。
エスプレッソマシンが納品されるのが、3月2日。
マシンの説明、そのマシンを使ったコーヒーの淹れ方について、レクチャーを受けられるのは、そこが最後になる。

店の開店準備と、エスプレッソの探求。
個々にやっても大変なこの作業を、西野は並行して進めなければならなかった。

店の設計は、SPシステムの鈴木がやってくれて、言うことなしのものになっている。だが、店に置くテーブルや椅子、厨房の機器、食器を選び、手配しなければならないし、エスプレッソの探求とは別に、店で出すメニューも考えなければならない。

一方で、エスプレッソ屋として、自分自身の味を提供するために、コーヒーの味も探求しなければならない。

開店準備が間に合っても、マシンが納品される日から開店までの期間は、10日しかない。その10日間で、マシンを調整し、蓄えた知識とイメージを使って、店で出すコーヒーを完成させなければならない。

(厳しいな……)

強気な雰囲気の西野だが、さすがに無理があるという気持ちもあった。だが、だからやめるというわけにはいかない。
すでに走り出してしまっている以上、あとは走りながら調整し、対応していくしかない。

やるしかない。

不安を抱えながらも、最後にはそう結論づけた。
オープンまでの2ヶ月ちょっとで、少しでもレベルを上げるしかない。

とにかく、毎日を必死に過ごした。
これ以上できないほど、必死にやった。
だが、思うようにいかないまま、冬は終わりを迎えようとしていた。

そして、エスプレッソマシンが納品される3月2日。
根岸バリスタの弟子である営業マンが来て、操作説明を受けるも、うまくいかない。

オープンまであと10日あまり。
楽観的な西野も、この日ばかりは絶望的な気持ちを抱かざるを得なかった。

翌日の3月3日。
豆を扱っている、片岡物産のラバッツァチームの担当者が訪ねてきた。店、ラ・チンバリのエスプレッソマシン、ラバッツァの豆……コーヒーを出すために必要なものは、全て揃った。物理的に足りないものは何もない。

西野自身も、オープンに向けて最大限努力はしてきた。
だが、1人でどうにかなる状況ではない。

「3人で、何とか間に合わせましょう」

誰が言い出したのか分からないが、FMIの営業マン、片岡物産の担当者と西野。この3人で、何とかオープンに間に合わせようと決めた。

何とかなるかもしれない……
そう思った矢先、問題が発生する。

マシンが、思うように動いてくれない。
ピーキーに動く。
簡単に言えば、コントロールが利かない。

バイクや車でいうなら、新車で、慣らし運転が終わっていないような状態であり、西野自身の技術も、マシンの性能についていっていないという状況だった。

自分たちだけではどうにもできない……

腕を組み、俯いていた営業マンは、突然顔を上げ、根岸バリスタに確認しますと言って、店を飛び出した。

そして、根岸バリスタからの授かった、いくつかの提案を持ち帰り、それを一つひとつ試した結果、コントロールが利くようになった。
これで、コーヒーを出すことはできる。

しかし、まだまだ不安はある。
コーヒーは出るようになったと言っても、これはコーヒーだね、と認識できるようになっただけで、西野が求める味には程遠い。今のままでは、エスプレッソとしてお客さんに出すのは難しい。

「ルンゴに寄せます?」

営業マンは、そう提案した。
ルンゴとは、イタリア語で「長い」という意味を持つ言葉で、抽出する量と水の量が、エスプレッソの2倍のものである。

マシンのコントロールが効かない中で、エスプレッソを出すのは難しい。であれば、ルンゴでいくのはどうだろうという話が出ていたが、マシンの問題が解決したから、エスプレッソで、という方向になった。

だが、今のままでは技術的に難しい。
そこで営業は、ルンゴではないが、ルンゴ寄りのものを出してはどうか、と提案したのだった。

しかし西野は、エスプレッソにこだわった。
ルンゴまでいかない、エスプレッソの枠を越えないもの。
ルンゴに寄せたではなく、これはエスプレッソだと言えるもの。
その中で勝負したかった。

しかし……
という言葉を、営業マンは言いかけたように見えたが、言葉を飲み込み、西野の覚悟を受け入れて頷いた。

西野としては、やるしかないという思いから、出せばいいんだろ、出してやる!! という、どこか開き直ったような気持ちになっていた。そしてこのときの気持ちは後に、ワンショット・ワンキルという形で、西野の中に残ることになる。

すべてがギリギリの状況の中、不安を残したまま、ついに3月13日、カフェ・エモ・エスプレッソは、オープンを迎える。



-9- ワンショット・ワンキル

店はオープンしたものの、西野は不安のままであった。
来てくれたお客さんにコーヒーを出しても、自分が納得できるコーヒーを抽出できない……

やるしかない、追いつめられた状況になれば、底力を発揮して……というのは、フィクションにはよくある話だが、現実ではそれが起こる確率は高くない。

それでもとにかく、真剣に淹れた。

「やるしかない やるんだ……!」

何度も自分に言い聞かせた言葉を、さらに繰り返す。弱気なままであっても、やらないという選択肢がない以上、"やる"ほうに全力を注ぐ以外ない。

「こんな真剣に、集中して淹れてる人、初めて見ました……」

鬼気迫るほどの真剣さで、一杯一杯のコーヒーを淹れる西野を見て、そんなふうに言うお客さんもいた。

『ワンショット・ワンキル』

西野は、その覚悟で、一杯一杯を淹れた。
大げさに聞こえるかもしれないが、一回一回の抽出を、刀を抜いた、取るか取られるかの覚悟で淹れた。

西野にとっては、捨て試合などなく、いや、試合ですらなく、一杯一杯が命の取り合いのような"勝負"だった。

そんな中で、カフェイン酔いも経験した。
カフェイン酔い……一般の人にはあまり馴染みがないかもしれないが、カフェインの過剰摂取で、注意散漫になったり、クラクラしたりするもので、症状としては、アルコールで酔っ払うのと似ている。

自分でコーヒーの味を確かめなければならないから、一日に、普通の人の何倍もコーヒーを飲む。しかも、普通のコーヒーより味が濃いエスプレッソであり、ミルクも砂糖も入れず、エスプレッソだけでテイストを確認しているのだから、カフェイン酔いになっても不思議ではない。

とにかく、必死だった。

店をオープンさせてからしばらくは、店に寝泊まりしてコーヒーを淹れ続けた。ワンショット・ワンキルでコーヒー淹れているから、閉店する頃にはクタクタになっている。

それでも、少しでも早く自分が求めるコーヒーを出すために、淹れる、飲む、調整する、淹れる……というサイクルを繰り返した。
一杯淹れるごとに、試行錯誤したが、求める味が出る未来は見えないまま、豆もたくさん無駄にした。

貴重な豆を無駄にしてしまうことは、辛いことでもあったが、そんな中で生まれたアイデアもあった。

それは、既存のやり方とは違うやり方だったが、西野はうまくいくと確信していた。

決して、既存のやり方が間違っていたわけではない。
しかし、そこには問題もあり、西野は多くない選択肢の中で必死に考え続け、自分のやり方を抽出し、果たして、それはうまくいった。以後、西野はその方法を継続するようになる。
この発見は、厳しい状況が続く中で、少しだけ、明るくなれるものだった。

このことから、私たちが学べることもある。

なにかに取り組もうとしたとき、資源や資材が豊富にあるほうがいいと、普通は考える。だから、新しいことに取り組もうとする人たちは、資金集めに躍起になる。確かに、豊富な資源があったほうが、選択肢は増やすことができるし、失敗も、試行錯誤も繰り返しやすい。

しかしアイデアに関しては、資源が豊富だから、良いものが出るとは限らない。制限が多いからこそ、生まれるアイデアもあるからだ。

制限が多く、手元の資源が少なければ、その中で何とかするしかない。
だから、懸命に考える。自分にはこれしかないけど、この条件で最高の結果を出すにはどうすればいいか、と。

普通ならここまで、というところから、さらに一歩踏み込む覚悟が出てくる。そう考えるからこそ、踏み込む覚悟を持つからこそ、これまでになかった、誰も試そうとしなかったようなアイデアが生まれる。

イノベーションを起こすのが、大企業よりベンチャー企業のほうが多い理由の一つも、ここにある。

資金も豊富で何でもできる大企業は、何でもできるからこそ、新しいものを生み出しづらいのだ。

西野もまた、ベンチャー企業のように試行錯誤を繰り返し、日々、ワンショット・ワンキルで勝負を続けた。

そして、店をオープンさせてから半年ほど経った10月ごろには、これが正解と思うには至らないまでも、何がダメか、何が間違いなのかは分かるようになった。

相変わらず、厳しい状況は続いているものの、着実に前に進んでおり、西野自身もそれを実感していた。

まだ正解は見えないが、成長はできている。
このまま積み重ねていけば、必ず自分が求める味にたどり着ける……

そう思えるようになり、店をオープンさせたときの絶望感から半年を経て、少し、ほんの少しではあるが、希望を持てるようになっていた。

だが、そんな希望を打ち砕くような出来事が、西野が気づかないところで、静かに進行していた。



-10- 悪夢の再入院と家族の絆

取るか取られるかの日常を続けて、いよいよ年の瀬。
まだまだ上向きとは言えないものの、何とかここまでくることはできた。しかし、タフな西野も、さすがに疲れは感じており、時折、体調がおかしいと感じるときもあった。

だが、慢性的な疲れと緊張感が続いていたこともあり、それもまた疲れの一部、寝れば回復するだろう。そう思っていたが、運命はまたしても、西野に試練を与える。

その日、西野はいつもどおり店に出ていた。
マシンのセッティングをし、準備を整え、店を開ける。
いつもどおりの流れ……しかし、昼を過ぎ、14時ぐらいになって、様子が急変する。

激しい痛みと、脂汗……
病院に行かないとマズイ……
頭は、それを理解した。
だが気づいたときには、視界がおかしなところにあった。

意識を失い、そのまま倒れたらしく、視界に入ったものは、カウンターの席ではなく、銀色のシンクだった。

なんとか立ち上がり、ゆっくりと呼吸をする。
相変わらず痛みはあり、脂汗も止まらない。だが、病院に行く前に、マシンを洗浄しなければならない。

そんなこと後でいいと、普通は思うだろう。
だが、真剣勝負で挑んでいた西野に、戦いのパートナーであるマシンをそのままにして、病院に行くという選択肢はなかった。
いや、頭の片隅にはあったかもしれない。
しかし、それを選ばなかった。

西野にとってマシンは、侍の刀と同じである。日々手入れをするからこそ、いつ抜くことになっても、動じずにいられる。

立ち上がってから、もう一度意識を失いながらも、マシンの洗浄を済ませて病院に向かうのだが、後日、西野の状態を聞いたFMIの営業から、

「西野さん、マシンそのままですよね。
 洗浄しておきましょうか?」
 
と聞かれ、マシンなら洗ってあると答えたことで、この出来事は、FMIや片岡物産の中で、衝撃の出来事として知られることになる。


「入院が必要です……」

這いずるようにして病院に行った西野に、医師は無情な一言を放った。

「くそ……これからってときに……!」

歯ぎしりする思いだった。
ぶつけようのない怒りが湧き、それはこの状況を乗り切れずに倒れてしまった自分に牙を向いた。

どうにかして店に戻れないか……
そう思ったが、無理をすればどうにかなる状態ではなかった。

体を病気に、心を悔しさと無念さに奪われたまま、病院で年を越した。

再び訪れた、絶飲食と、何もできないもどかしい日々……窓の外には、日々いろいろな天気が顔を見せる。

一度目の入院のとき、抜けるような青さの日には、とにかくバイクに乗りたいと思い、バイク雑誌ばかり見ていた。

しかし今は、とにかくコーヒーを淹れたいという思いが強く、イメージの中でコーヒーを淹れる日々を過ごした。

イメージトレーニングは、まったく未経験のものを上達させようとしても難しいが、経験を積んだものについては、大きな効果を発揮する。

当時の西野は、そんなことを意識していたわけではないが、結果的に、入院中でもトレーニングを重ねていたのだ。

やがて体調が落ち着いてきて、外出許可が出るようになったが、ここにくるまでの道のりも平坦ではなかった。

水を飲んで、痛みが出なければ、2日目にポカリスエットを飲み、それでも痛みが出なかったら、半日だけ外出許可が出る。

家に帰りたい気持ちもあったが、店でコーヒーを淹れた。
店は閉まっているわけだが、休憩などで外に出たとき、顔見知りが通りがかったら声をかけて、料金はとらずに、テイストを確認してもらう、ということをしていた。

家では、幼い子ども2人が、父親の帰りを待っている。
西野自身も、子供に会いたい、一緒に過ごしたいという気持ちは強かった。しかしそれ以上に、コーヒーをものにするという思いが強かった。

子供を店に呼び、コーヒーを淹れ、気づいたことなどはすべてノートに書いて、病院に戻ったらノートを見ながら、イメージトレーニングを繰り返す。店にいるときに、顔見知りを見かけたら声をかけ、テイストを確認してもらう……そんな日々を過ごした。

西野は、とにかく徹底して、コーヒーの味を追求し続けた。

寝ても覚めてもコーヒー……
そんな、他のことを考える隙間もない、必死な日々を過ごしていたが、病院に戻るときは辛かったと言う。

「病院は八景島の近くでさ。外出許可で半日外に出て、子供とも一緒に過ごして、まだ病院に戻るとき、辛かったなぁ。

 子供ならさ、八景島の近くとか行けば、喜ぶわけだよ、普通は。ワクワクして。でもそのときは、父親と離れることが分かるから、近づくとワンワン泣いてさ。外出許可のうち、5回に1回は家に戻ってたけど、朝になって病院に戻るときも、ワンワン泣いてね……」
 
子どもたちのために、コーヒーをものにして、健全な背中を見せたいという思いはあっても、それは理屈的な話で、感情まで割り切れないのが人間である。

それでも、幼い子供たちを先頭に、妻、母親……家族全員が、必死に戦っている西野を支えてくれた。だからこそ乗り越え、今こうしていられると、西野は言う。

普段、カフェ・エモ・エスプレッソに行っても、西野はそんな話はしない。
したとしても、茶化すだろう。感動話をお客さんに披露するより、笑わせるほうに持っていこうとするし、店でコーヒーを淹れている、バリスタとしての西野だけを見ていると、そんなことを言うようなキャラには見えない。

しかし、義理と人情を大切にし、家族のことも大事する、その行動があるから、今のカフェ・エモ・エスプレッソがあり、今の西野がある。

そして、3月13日。
退院の時期がはっきりしないまま、店のオープン一周年は、病院で過ごすことになった。

さすがの西野も、その日ばかりは家に帰る気も、店に行く気にもなれず、病院で、手術の日が決まるのを待っていた。

しかし、手術は西野の体調を日々確認しながら、数日後に急にやるということだった。早く決まってほしいが、急に数日後では、心の準備もままならない。

そんな中でも、いつ手術があってもいいように、患者は病院の中を歩いて、少しでも体力をつけておくように言われる。
西野も、フロアを行ったり来たり歩いた。
そうして見ていくと、フロアには、いろいろな患者がいることに気づく。

まだ外が明るいうちは、冗談を言ったりして笑っていたおじいさんが、日が暮れて、食事が終わり、消灯時間が近づくと、泣いていたりする。そんなコントラストを目の当たりにすると、いろいろな思いが過ぎった。

これからのこと、家族のこと……

昼の光は、ポジティブになる手助けをしてくれる。
元気になって、あの空の下に出ていく……しかし夜の闇は、人の気持ちをネガティブにする。

他の人の声も聞こえなくなり、静寂が訪れると、人の頭の中にはいろいろなことが過る。重い病気で入院しているとなれば、頭の中を支配するのは、暗いことが多くなりやすい。

西野も、例外ではなかった。
聞こえるはずがないのに、マシンの音や、豆を削っている音が聞こえることもあった。それは、幻聴だったのだろうが、家族の前では強がって見せても、それほどまでに、西野のメンタルは追いつめられていたのだ。

だが、朝目覚めれば、頭の中にはまた、どうすれば自分が求める味が出せるか、という思いが浮かんでくる。

加えて、なんとしてでもゴールデンウィーク前に退院したい……西野は強くそう思っていた。

その年は、横浜開港150周年。

そこまでに間に合わせたい……
何としてでもゴールデンウィークまでに退院したい……横浜生まれ、横浜育ちの西野にとって、それは特別なことだった。

しかし、現実は優しくない。
西野はそのとき、内科で治療を受けていたが、内科としてはどうにもならない、手術をする必要があるが、外科に話を持っていくのも難しい状態……

端的に言えば、西野はそんなことを言われた。
絶望的と言っていい。

だが運命は、過酷な状況にあって、あくまでも気丈であろうとする西野に、微笑みかける。

そのとき西野は、8階の病室に入院していた。
昼間、家族が会いに来てくれて、束の間の団らんを過ごした後、1階のエントランスまで家族を見送り、病室に戻る。

時刻は19時ごろ。
家族も、西野自身も、ここで手を振るのは辛い。いつごろ帰れると、家族に伝えることができないのも辛かった。

「……」

ふと周囲を見れば、仕事をしている看護師や、何かしらの理由があって病院に来ている人が見える。

彼らも大変だろうが、仕事が終われば、診察が済めば、家に帰ることができる。そんな、ある人たちにとっては当たり前の日常が、自分にはない……

誰かと比べても、人は不幸になるだけなのだが、メンタルが弱まっているときほど、そんなふうに思ってしまうもの。

帰り際の子どもたちの顔が浮かび、想いが溢れそうになったが、なんとか堪らえて、西野は病室戻るために、エレベーターに乗った。ほとんど無意識に、8階のボタンを押す。

「……」

エレベーターが止まると、西野はフロアに出た。

「……?
 あれ……?」
 
エレベーターは、途中で誰も乗ってこなかった。
だから、自分は8階で降りたはずだ……しかし、今見えているフロアは、自分が知っているフロアとは違う。

「西野さん?」

声をかけられ、顔をそちらに向ける。

「先生……?」

声をかけてきたのは、西野の主治医だった。
当時はまだ教授ではなかったが、将来教授となることを期待されるほど、有能な人物。そして、西野にとっての人生の恩人の一人でもある。

「何してるんですか? こんなところで」

主治医は、西野を見ながら言った。

「先生こそ……8階で何を……?」

「ここは7階。
 外科フロアですよ」
 
「え……?」

西野は、エレベーターをボタンを押し間違えて、7階で降りていたのだった。それを話すと、主治医は微笑んだ後、

「顔色が優れないようですけど……」

と、さり気なく聞いた。

「実は……」

西野は、自分が聞かされている状況を話した。
すると主治医は、今話を聞いた限りでは…と言って、自分の見解を話してくれた。

その見解は、内科で言われていたこととは違い、西野は微かに希望を取り戻した。

さらには、

「僕から確認してみますよ。
もし切るなら、僕がやるから」

そう言ってくれた主治医の言葉に、安心感を覚えた。

「ゴールデンウィークより前に出してあげるよ。その代わりというのも、少し変かもしれないけど……」
 
「……?」

「横浜一のバリスタの主治医は僕なんだよ、って言いたい。そう言えるようになる日がくるといいな」
 
主治医は微笑みながら、しかし力強く、西野の目を見ながら言った。

その言葉に、西野は失いかけていた希望を取り戻し、頷いた。
必ずそうなります……そう言葉にしたかったが、言葉にすれば、想いが溢れてしまう気がして、西野はただ、何度も頷いた。

(なんとしてでもやってやる……
 絶対に、やってやるんだ……!)

そんな想いを強くした瞬間だった。

「教授は、喋り方はすごく柔らかくて、穏やかなんだけど、内側には、すごく熱いものを秘めている……そんな人なんだよね」
 
西野は、外科の主治医のことをそんなふうに表現する。

至妙の設計士、SPシステムの鈴木氏。
誰もが尊敬するバリスタ、根岸清氏。
そして、西野を病気から救ってくれた、外科の主治医。

西野にとって、人生の恩人であり、まったく別の業界で生きるこの3人には、共通点がある。

誰もが驚くほどの技術力と知識を持ちながら、決してそれを驕らない。相手を見下すことなく、物腰が柔らかで、話していると、この人なら任せて大丈夫という安心感を与えてくれる。

そして、いざ仕事となれば、誰もが一目置かざるを得ないような結果を見せてくれる。

これこそ、本物のプロフェッショナルなのだろう。


主治医と話してから数日が経った、3月25日。
採血をするという知らせが来た。

これは、手術の日が決まったことを意味しており、翌日には麻酔科が来るなどして、手術の準備が整っていく。

そしてその知らせどおり、3月25日の夕方に、外科が注射器を持って現れ、手術は3月30日に決まったと言われた。主治医は、約束通り手術を行い、無事に終わった。

これで、あとは退院を残すのみ……
ホッとしたのも事実だが、手術直後は、少しオカルトチックな体験もしている。

夜寝ていると、ベッドの脇に、青白い化粧をした女が立っていて、手を伸ばしてきた。

(……俺は入院しているはず……
 何だコイツは……)

しかし女は、西野の思いなど無視するように、手を伸ばしてくる。まるで、どこかへ連れさろうとするように。

(手術は終わった……
 俺はいつまでも入院してる場合じゃねぇんだ……!)
 
西野は、伸びてくる女の手を振り払った。

「……!」

その瞬間、目が覚めた。
辺りを見回し、やっぱり入院していたんだと気づいた。

手術が無事に終わったといっても、経過次第ではどうなるか分からない。
そんな不安もあり、嫌な夢を見たのだろう。或いは、死神の使いが迎えに来たのかもしれないが、はいそうですかと素直に従うほど、西野はお人好しではない。

術後の経過が良好で、退院が見えてくると、気持ちも少しずつ明るくなった。今度は、自分が約束を守る番……手術を成功させ、約束通り、ゴールデンウィーク前の退院へのこぎつけてくれた主治医に感謝しつつ、西野はまた、想いを強くした。

そして、ゴールデンウィークが見え始めた4月半ば。
連休を前に、街が浮かれ始めるころ、西野は退院した。



-11- 復活と幸運

「よし……」

退院した西野は、まずは自分を取り戻す意味で、バイクに乗った。

バイクに跨り、キーを射し込み、エンジンをかけてみる。シートから伝わる振動が、戻ってきたことを教えてくれる。

当然、周囲は心配した。
2度の手術をして、体力も落ちているのに、バイクなんて……しかし西野は、バイクのエンジンは問題なくかかる、ギアも入る……という流れで走り出し、近所を一周して戻ってきた。

そのことに周囲は呆れたが、同時に喜びも感じていた。そして西野にとっては、バイクに乗り、自由を感じることは、自分を取り戻すための、一種の儀式のようなものだった。

こうして、自分が戻ってきたことを実感した西野は、朝4時半に起きて、外を歩き、体力を取り戻すためのリハビリは始めた。以前よりも歩く量を増やしたことで、徐々に体力を戻していった。

しかし、店でコーヒーを淹れるだけではなく、食事のメニューまでこなす体力には中々戻らない。今のままでは対応できない……

そこで、メニューを刷新し、エスプレッソメニューだけにした。それが、今のカフェ・エモ・エスプレッソのメニューの原型になっている。

「よし、やるぞ……!」

子どもたちは、西野の母親に見てもらい、店を開けている間は、妻に洗い物などを手伝ってもらう。

そんなふうにして、再びコーヒーの味を模索する日々が始まったが、西野に過酷な試練を課した運命は、今度は別の展開を用意していた。

それは、退院から1ヶ月ほど経ったある日、鳴り響いた店の電話から始まった。

「はい、カフェ・エモ・エスプレッソです」

「こんにちは。
 私は、カフェアンドレストランの者ですが……」
 
「カフェアンドレストラン……?」

受話器越しに聞こえた言葉を、西野は思わず繰り返した。

脳内では、情報の整理が始まり、相手がどこの人なのかはすぐに分かった。次の瞬間、理解は驚きに変わったが、同時に、なぜ?という疑問が浮かんだ。

カフェアンドレストラン。
プロフェッショナルのカフェ専門誌で、2017年からカフェレスと名前を変えて、今も発行され続けているカフェの専門誌である。

店を開けたころから、いずれはその雑誌で取り上げられたいと思っていたが、それはもっと、店が安定してからの話だと思っていたから、このタイミングで連絡がくるとは思ってもみなかった。

「ありがたいですが、でも……なぜ……?」

不思議に思って聞いてみると、入院前に、街の雑誌でエスプレッソ屋として掲載されていたことがキッカケだった。

目の前のことに必死の毎日で、そんなことは忘れていたが、小さな記事だったとはいえ、店が紹介されていたのだった。

カフェレスは、全国にあるエスプレッソを出す店を特集する、という企画を考えており、カフェ・エモ・エスプレッソのブログを読んでいた担当者が、西野が店に戻ってきたことを知り、連絡してきた、ということだった。

「分かりました。
 よろしくお願いします」
 
西野は、取材などでありがちな、まあいいですよ、という態度は取らなかった。かといっても、媚を売るような態度をしたわけでもない。ただ、誠実に対応した。

取材当日。
店を貸し切りにして、やってきた担当者とカメラマンを、お客さんだと思って”もてなした”。

これまで、取材で”もてなし”など受けたことがなかった担当者は感動し、その後、長い付き合いになっていく。

西野はこれ以後、取材を受けるときは、毎回貸し切りでやるというスタイルになった。

そして、カフェレスの取材を皮切りに、その後10年間、途切れることなく取材が続き、その数は、60件以上にのぼった。

ラジオ、民法、ネット……様々なメディアから取材を受けた。そしてその中には、西野にとって特に重要な雑誌も含まれていた。

店をオープンしてから、この雑誌に掲載されたいと思っていた3つ。
1つは、カフェレス。
残り2つは、カフェ&スイーツと、バイク雑誌であるモトナビだった。モトナビについては、カフェレスの取材があった同じ年の年末に取材を受け、掲載された。

こうして、再入院という大きな躓きはあったものの、西野は徐々に復活し、再び自分が求めるコーヒーを淹れるために、必死な日々を送った。

そして、店をオープンしてから3年ほど経ったある日、それは起こった。
今思い出しても震えがくる、その瞬間が。



-12- 黄金の一杯

その日の天気は、ハッキリとは覚えていない。
覚えているのは、曇か、雨か、とにかく天気は良くなかったということ。暑かったのか、寒かったのかも分からない。しかし、明確に覚えていることがある。

その日、西野はいつものように店に来て、マシンをセッティングし、状態を確かめるためにエスプレッソを淹れて、テイストを確認した。

豆は、湿度などの外的要因の影響を受けるため、マシンをいつものようにセッティングして、いつものように淹れても、違った味になってしまうことがある。

そういったこともあって、毎日店を開ける前に状態を確かめ、準備をする。その確認作業だけでも、数え切れないほどのエスプレッソを淹れているから、これはいいかも……という味を出せたこともあった。

納得できるものには、まだ出会っていなかったが、いつも、最高の一杯を淹れるために、真剣にマシンと向き合っていた。

エスプレッソとカプチーノ。
それぞれ一杯ずつ淹れる。
エスプレッソは自分が、カプチーノは妻に飲んでもらう。それが、店に来てから西野がすることの一つだった。

大事なことではあるが、マシンの調整が目的であり、ここで史上最高の一杯が出るという期待を持っていたわけではない。そのとき出せる最高のコンディションにする。そんな思いで、エスプレッソを確かめる。

だが、その日は違った。
いつもより綺麗に出た。
そう思った。
そう思ったが、飲んでみなければ分からない。
肝心なのは、味。

「やべぇ……」

一口飲んだ瞬間、思わず声が漏れた。

うまいという言葉では表現しきれない思いが、思わず言葉として出た。
そんな感じだった。

「え……?」

一瞬、何が起こったのか分からなかった。
何かが頬を伝って、頬を濡らした。
気づくと、涙が溢れていた。

単純に言葉にするなら、感動したということになるのだろう。だが、そんな言葉では表現しきれないほどの何かが、西野の感情を溢れさせ、それが涙となって頬を濡らしていた。

映画なら、感動的な音楽をバックに、妻と抱き合う、その場にいないなら電話する、今までのことを思い出して泣き崩れる、そんなシーンだろう。

しかし、そこは西野である。

(自分で淹れたコーヒーを飲んで涙?
 俺、おかしくなったのか?
 気持ち悪りぃ…… なんで泣いてんだ俺は……)

戸惑い、照れくささ、歓喜……
何種類もの絵の具をグチャグチャに混ぜたような、何色といっていいか分からない感情に、どうしていいか分からなくなり、奥の厨房にいた妻を見た。

「おまえ…… なに泣いてんだよ……(笑」

西野は、思わずそう言って茶化した。
そうしなければ、自分でいられなくなるような気がした。

自分だけではなく、カプチーノを飲んだ妻も泣いていた。なぜ涙が出るのか分からない、けど涙が溢れてくる……そう言って。

映画なら、間違いなくここで抱き合って涙を流し、観客の涙を誘うだろうが、西野はそういうものは好まない。そのまま茶化したが、心の中では、ついにここまできた……という想いが溢れていた。

これで…… これで俺はやっていける……!
これが出るなら、孫の代までいける……

そう確信するほどの一杯だった。
思い込もうとしたわけではない。
自然とそう思わせてくれる、黄金の一杯。
その一杯に、ついに出会えたのだった。

何も分からないまま、少ない選択肢の中で歩き始めた、コーヒーの道。
思うようなコーヒーが出ず、来る日も来る日を淹れ続け、やっと間違いが分かった頃に、再度の入院。

死神の鎌が顎の下に見えていた状態から、いろいろな人に助けられ、支えられ、家族にも辛い思いをさせて……ようやく辿り着いた一杯だった。

バリスタは、7グラムのコーヒー豆にすべてを込めて、マシンを通して、自分のコーヒーを抽出する。そこには当然、想いが宿る。

想いには、人それぞれのバックストーリーがある。
そこには、バリスタそれぞれの世界観があり、味にも宿る。想いは乗せるのではなく、自然に宿る。そこに、個々の違いが出るのだ。

西野がエスプレッソに対するこだわりを持つようになるのは、このときからである。このときを境に、徐々に自信をもってコーヒーを出せるようになっていった。



-13- 決まりのいいエスプレッソを 西野のこだわり

エスプレッソへのこだわりを持つようになった西野だったが、こだわりすぎてもダメなのは分かっていた。

引きすぎてもダメ、こだわりすぎてもダメ。広く受け入れられることは大切だが、その他大勢に埋もれては続かない。その、絶妙なバランスが重要なのだ。

「想いを乗せると、コーヒーがくどくなる。想いはあるが、それは乗せず、純粋なコーヒーを出す。そうすることで、コーヒーが持っている、素材が持つ最高の味をクリアに出せる」
 
西野は、そんなふうに言った。

これは私の個人的な考えだが、たとえば歌を歌うとき、想いを込めようとすると、歌い方がくどくなる。物語を書くときも、自分の想いを込めすぎると、独りよがりになる。

コーヒーでも歌でも物語でも、何かを作ったり、表現したりする行為には、表現しようとする人の想いが必ずある。それがなければ、人には伝わらない。だが、それを乗せようとする必要はない。

そんなことをしなくても、積み重ねてきたバックストーリーは、自然に宿る。そしてそれこそが、素材を生かしつつ、自分の世界観を表現するということなのだと思う。


話を戻そう。

黄金の一杯が出て以降、自信を持てるようになったものの、これまでとは違う不安も出てきていた。

もう二度と、あのレベルのものは出ないんじゃないか……そんな思いである。

ベストショットというのは、一度出ると、次に出なかったらどうしようという気持ちも強くなる。店でコーヒーを出しながら、ベストショットを更新するたびに、次は……という不安は常にあった。黄金の一杯が出たからといって、安心というわけではなかった。

しかし、その不安への対処は、Bar時代の経験が役立った。
お客さんが来たとき、このお客さんは一発で決めないと……というのが、直感的に分かった。

そしてそのときは、これという一杯が出せた。
次に来てくれたときに、これ以下のものだったら……という不安は残るものの、それはきっと、消えるものではないし、消えなくていいものだろう。

店を開けて10年以上経った今でも、西野は変わらず、真剣にコーヒーを淹れている。それはあたりまえのようだが、人は慣れるし、自分の力を本来のものより過大評価しがちだ。一定のレベルを越えて、緊張感を持ち続けていくのは、中々できることではない。

その緊張感を持っているからか、以前と意識が変わったからなのか、西野には、自分が店の看板だという意識はないのだという。

「エモという看板があるから、自分がいる。
 看板の下に、自分がいる。

 順番で言うなら、看板があり、エスプレッソ屋としての生業があり、カップやソーサーなど、コーヒーを淹れる道具があり、その下にようやく自分がいる。道具が合って、その下に、抽出する自分がいる、ってことだね」

西野は、私にそう言った。

なぜそんなふうに思えるのか?

「それらのものがあるから、自分は今、ここにいられるっていう想いがあるからだね」

西野はそう言って、穏やかに笑った。

自分の力を驕り、省みることもなかった西野は、病気によって死を突きつけられ、そこから這い上がってきた。そこには、かつての驕りはなく、謙虚さと穏やかさが漂う。

一人の男の生きざま、支えた家族、助けてくれた人々……人生の恩人となった、SPシステムの鈴木氏、根岸清バリスタ、外科の主治医……

カフェ・エモ・エスプレッソで飲む一杯のコーヒーの裏には、そんな重厚で、濃いストーリーがある。

そのストーリーを感じながら飲んでみると、目の前に出された一杯が、より味わい深いコーヒーになるのではないだろうか。


著者:白犀
協力:カフェ・エモ・エスプレッソ
Webサイト:http://www.cafe-emo.com/


みなさんに元気や癒やし、学びやある問題に対して考えるキッカケを提供し、みなさんの毎日が今よりもっと良くなるように、ジャンル問わず、従来の形に囚われず、物語を紡いでいきます。 一緒に、前に進みましょう。