自分って 大器晩成型だな、と思ったら確認する”袋”の話

中学生ぐらいから  私は大器晩成型だな と思っていました。

周囲が若さをワーキャー満喫しているのを、
なんだかよく意味がわからない...ついていけない... と感じる事が多かったです。

興味の対象も人とは割と人とは違ったため、
自信がなくて好きなものに全開になれませんでしたし、
みながいいというものを、そこそこ好きなふりをして話を合わせる苦痛がありました。

また、人生のスタートダッシュか早かったり、
人生の展開が目まぐるしい人を見ると、

う~ん、明らかにそれ失敗するってわかっているのに、
なんでそんな事するんだろう。
それで、また同じことしてるじゃん。

と思っていました。

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それに何の意味があるのか? というのが

振り返れば若い時のテーマだったように思います。
過程ではなく結果を重視していました。


若い時は、ひたすら今の辛苦に耐えて息を潜め、
キリギリスのように浮かれている (と当時思っていた)人達を
出し抜く準備期間である と思っていました。

わたし、「臥薪嘗胆」 という言葉も好きでして、
若い時は目の前の苦に耐えて、後に見返す精神が好きだったのでしょう。

結果 : 若さを利用できず、若さを満喫できず


何にも挑戦しない負け惜しみの状態に、
ヒタッと寄り添ってくる「大器晩成」という甘言。

今にして思うと、人間の優しさが作り出した慰めの言葉 に聞こえるのです。


ある程度の年齢になって、
あれっ?大器が晩成していないぞ と、じわってきました。

そもそも 晩成するには

少なくとも中期までには仕込んでおかなければいけなかったのです!


じぶん、仕込んでいたかしら!?
仕込んでいたと思っていた物は、もう古くなっていないか確認していた?
仕込んだつもりが実は勘違いだったとか?

自分の 仕込み袋 は防災用日よろしく、時折改めないといけなかったお話でした。

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