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そしてそれがなぜ「note」だったのか

前回は
「私がなぜnoteを書き始めたか」
について書いたつもりだったのだけれど

よくよく読み返してみたら
「書く」ことを始めようと思ったきっかけについてしか書いていなくて。


今日は
その「書く」場所が
「なぜnoteだったの?」
ってことについての話です。


まず
たとえ発展途上であっても
ひとりで書くよりも
誰かが見てくれてるところで書きたい
って思ったんです。

前回書いた交換日記をしていたときに思ったんですが
自分だけで黙々と書くよりも
読んでくれる誰かがいる、と思うと書けるなぁ
って。


もちろん
「誰にも読まれたくないけど書いて吐き出しておきたい!」
ってこともあります。
そーゆーことは
デスノート的な自分の手帳とかにひっそりと書き出しておこうって思ってるんですけど。

それ以外は
自分の身近な人とかじゃない
「どこかの誰か」に読んでもらえたらってつもりで書いて、
それで実際読んでもらえたらなぁ
って思ったんですよね。


note巡りをしていたとき、
私のそんな感情に近いんじゃないかなぁ
っていう方達の文章にけっこう出会って。

「あ、こういう書き方でもいいんだ」
私が頭の中で自問自答しているようなことをそのまんまの言葉で書き出している感じ!
って。


noteの存在はだいぶ前から知ってました。

チラチラと読んだりもしていました。
でも
「書く」というところには至りませんでした。
読む専門。
でもいつのまにか、読むことすらしなくなってしまっていて。

そのまま数年が経って
また久々に
読む専門ではあるけれど、
noteに戻ってきた。
そのタイミングで、前回書いたような
「書いてみようかな」
と思うようなことがあったんです。

それからnoteの中をいろいろと
巡ってみました。

ブログとか、発信するプラットフォームはいろいろとあるけれど
なんか
「noteがいいなぁ」
って思ったんです。

なんか暖かさを感じたというか
文章が好きな人が多いというか。(読むのも書くのも)


前にも書いたけれど
優しい世界、と感じたんですよね。
まあ私もnoteの中を全て見たわけじゃないから
それはnoteの一面だけなのかもしれないけれど。


それでとにかく

「noteで書いてみる」

ことにしたんです。


今のところ
とても心地良いです。

まだまだ
「書く」
よりも
「読む」
の方が圧倒的に多いけれど。


そのうち
「めっちゃ書いてる人」
になってたらいいなぁ、

なんて妄想してる今日この頃です。

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