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ありがとう、教授

また一人、私の人生に大きな影響を与えてくれた人が天に召された。

坂本龍一さん。きょーじゅ。

幸宏さんが旅立ってまだ間もないというのに。


私は、幸宏さんの音楽はYMOとしてしか接したことが無かったのだけれど
教授の音楽はその後ソロでの音楽も、映画音楽も、POPS歌手へ提供した音楽なども、どっぷりと楽しませてもらった。

昔は、自分がファンだという意識は無かったけれど、
今思えば若かりし頃はFM番組サウンドストリートも毎週のように聴いていたし
レコードも買ったりしていたな。

実は今まで誰にも言ったことないのだけれど、
自分の娘の名前は、教授の娘さんの名前をヒントに名付けたのです。
教授が好きだからとかではなく、名前の音の響きが素敵!
とずっと思っていて、当時はあんまり無い名前でもあったのですごく素敵だなあ、と強烈に印象に残っていたんですよねぇ。
それで自分にこどもが生まれた時にふっとそのことを思い出して
全く同じ名前では無いんですけど近い名前を名付けたんです。

でも今考えてみると、これってけっこうなファンじゃん!って思いますが(笑)


教授の曲はしばらくあんまり聴いていない時期もあったのだけれど、
たまに無性に聴きたくなる時期が巡ってきて、
そのたんびにCDやDVD買い集めては聴く、ということを
何度か繰り返してました。

そしてその度に、
「あ〜やっぱり良いなぁ」って。


特に好きな曲をいくつか挙げてみると、
YMOでは、テクノポップとして最初の衝撃が「テクノポリス」。
その後では「音楽」かな、教授が娘さんのために作ったと言われている。
テクノなんだけど娘への愛が垣間見える、という一見異質なものの組み合わせのようなところがなんだか好きで。

映画音楽では「ラストエンペラー」。
映画自体も大好きだし、荘厳で重厚なこの曲が大好物です。
のちに気づいたんですが、私は中国音階の曲とか中国楽器二胡なんかの音が好きなんだなぁと。
まあそもそもYMOの始まりもチャイニーズテイストですしね。
教授の音楽ではないけれど、映画「レッドクリフ」のテーマとかも大好きなんです。
そして中国映画も好きです。
ラストエンペラーを観たことがその後、中国映画や香港映画、アジア映画にハマっていくきっかけにもなったんですよね。
映画、音楽ともに私は中国系のものが好きなんだということに気づかせてくれた原点であります。

ソロ曲は好きなのがたくさんあり過ぎて選べないのだけれど、
「undercooled」「美貌の青空」「aqua」とか。
娘さんをfeaturing SisterMとして創られた「The Other Side Of Love」も素敵でした。

他の方への提供曲としては、
中谷美紀さんの「クロニックラブ」かな。
「The Other Side Of Love」を日本語詞にした「砂の果実」も
なんとも切なくて良かった。

教授は、同じ曲でもオーケストラだったりピアノソロだったり、トリオ編成だったりと様々なバージョンでのアレンジやライブ盤でアルバムを出しているのでそれぞれ違った趣きがあります。
再結成してからのYMOやHASの演奏も初期のYMOとはかなり異なるのだけれど、それはそれで私は好きです。大人のテクノ、しっとりテクノ、みたいな感じで。
色々聴き比べてみると好きな1曲、好きな演奏、に出会えるんじゃないかな。
是非聴いてみて欲しいです。


数年前には、縁あって教授が監修していた若者たちのオーケストラ、
東北ユースオーケストラのコンサートにも行くことができました。
生で教授の音楽を聴くことができたのは後にも先にもこの1度だけになってしまいましたが。
でも、数ある教授の曲の中でも特に好きな何曲かを教授の指揮や演奏で聴くことができてそれはもう感無量でした。
たった1度だけでも生で聴くことができて、本当に良かった。

さらにこの時、ゲストのうないぐみさんとのコラボでの「弥勒世果報(みるくゆがふ)」を聴けたことは私の人生において本当に大きな幸運でした。
私のルーツは沖縄にあって(私自身は沖縄生まれでも育ちでも無いのですが)
幼い頃同居していた祖父がいつも、三線を弾いたり沖縄民謡のレコードを聴いたりしていて、私の中には音楽のルーツとして沖縄の音楽は染み付いているんです。
この曲も原曲の「undercooled」も大好きな曲だったので、
この時聴くことができて、なんだかえも言われぬ多幸感があったのを覚えています。大きな宝物になりました。


その後も、聴かない時期、かき集めて聴く時期、を繰り返して、
つい最近もまたちょうど「聴く時期」になっていたところでした。

そんな矢先の訃報。

虫の知らせ、というやつだったのかもしれません。


教授は天に召されたけれど
たくさんの音楽をこの世に残してくれました。
晩年の活動の様子から、
最後までご自分の出来うる限りの音楽を創り続けていらしたし、
あとの世界に生きる者たちへ、その社会へもたくさんのメッセージを残されたなぁと思います。

私もがんサバイバーなので色々と思うところあります。
残りの人生を、最後の最後まで思い切り楽しみたいし、
こどもや孫のために少しでも良い社会を残したい。
そのために今私にできることを少しずつでもやっていけたらな、と。

がんを患った時にずいぶん考えていたはずのことなのだけれど、
人間とは忘れてしまう生き物で、体調が戻って治療から離れて日常を過ごしていたら、そんな大切なことをまた見失いそうになるところだった。
noteを始めたこともそんなことがきっかけのひとつだったはずなのに。


今回はまだ当分、
「聴く時期」が終わらないような気がします。

教授、たくさんの素敵な音楽とメッセージをありがとうございました。




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